1,プロローグ(1)

 長かった戦いにもついに終止符が打たれ、もうひとつの月は去った。
 月の民たちは永き眠りにつき、天翔ける艦・魔導船は再び竜の口へと還っていった。
 それから一か月後。
 バロン城ではセシルとローザの結婚を祝う盛大な披露宴が今日、開催される。

「ねえセシル。どう? 似合っているかしら?」
 日ごろからバロンの白魔道士いちの美女とうたわれるローザだが、この日はそれをも凌ぐ美しさと華やかさで夫セシルの前に現れた。
 白いドレスは母がこの一か月をかけてひと針ひと針縫った手製のもの。胸元に飾られた細かなレース編みからその技術の高さが窺える。
 円錐形に広がったスカート部分をつまみ、その重みにも関わらず軽やかにターンするとローザは優雅に微笑んだ。
「ローザ・・・」
 セシルはぽかんと口を開け、瞬きを繰り返す。
「もう! 何か感想はないの? 綺麗だね、とか、似合ってるよ、とか」
 腰に手を当てて頬を膨らませると、セシルはようやくその相好を崩した。
「いや・・・驚いたよ。あまりにも、その、綺麗だったから」
 照れながらセシルが言うと、ローザは満足げにうふふと微笑んだ。
 よく見ると目元や唇も華やかな色合いで、旅の中ではあまり化粧などできなかったぶんいっそうローザの美しさが発揮されている。
「あなたもあれだけ渋っていた割にはよく似合っているわよ、そのタキシード」
「そうかなあ・・・やっぱり僕には似合わない気がするよ、こんな真っ白な・・・」
 小さくため息をつきながらセシルは自分のジャケットの襟をちょいとつまむ。
 元々容姿端麗なセシルのこと、何を着ても似合うと人は言う。
 しかし、ローザの母親が選んでくれたこの真っ白なタキシードは妙に自分には落ち着かない服装のように思えて仕方がなかった。
「明らかに『着られてる感』がするんだけど」
「そんなことないわ。それに、あなたはもう暗黒騎士ではなくて聖騎士でしょ? その色は聖騎士にふさわしいものだわ」
 ローザに言われると不思議とそんな気がしてくる。
 若干首を傾げながらもセシルは頷いた。
「うん、君がそう言うならそうなんだろうね。ありがとう」
 納得したその時、扉の向こうから銅鑼を鳴らすような大きな声が響いてきた。
「セシル! ローザ! そろそろ時間じゃぞい!」
 このしゃがれた声は聞き間違えようもない、シドの声だ。
 今回、式の司会進行を務めてくれることになっている。
「分かったよ、シド! すぐ行く!」
 返事をしてからセシルはローザに左腕を差し出した。
 互いに微笑み合い、自然にローザはその腕に自分の右手を絡ませる。
「本当に綺麗だよ、ローザ」
 愛しい妻の額にセシルは唇を落とす。
「あなたも素敵だわ」
 艶っぽい笑みを浮かべ、ローザは長年想い続けてきた夫に頬を寄せた。
「さあ、行こうか」
「ええ!」
 そして幸せに包まれた若きふたりは控室を後にした。

 一方その頃。
 ゲスト用の控室には懐かしい面々が揃っていた。
「お久しぶりです、ヤンさま!」
 可愛らしい声を上げて、辮髪の男に頭を下げたのはおしゃまな少女ポロムだ。
 普段は双子の弟パロムと同じような格好をしている彼女も、今日ばかりは小さなお姫様となっていた。
「おお! ポロム! パロムも・・・!」
 ファブール式の正装姿のヤンは嬉しさに顔をほころばせた。
「よう! おっさん、元気だったか? 地底で寝てたってホントかよ?」
 いたずらっぽい笑みを浮かべて行儀悪く机に座っているのはポロム。こちらは小さな王子様姿だ。
「め、面目ない・・・」
 がっくりとうなだれるヤンを見て、ポロムはポカッと小気味よい音を立てて弟の頭を小突く。
「パロム! ヤンさまに失礼ですわ! こうして生きてお会いできてよかったじゃないのっ!」
「ってーな! お前そんなカッコしたって中身がそのままじゃ衣装が泣くぜ!」
「なんですってー!」
 いつも通りに喧嘩を始めてしまった双子の間にヤンは「まあまあ」と割って入り、
「いやしかし、本当にお主たちが無事でよかった。私はあの時ほど自分の無力さに嘆いたことはないからな・・・」
 と静かに言った。
「ヤンさま・・・」
「おっさん・・・」
 ヤンの言う『あの時』とは言わずともパロムたちには分かる。
 すなわち、ヤン、パロム、ポロム、そしてセシルと賢者テラがかつてバロン城にてゴルベーザの四天王のひとりである水のカイナッツォを撃破した後のことだ。
 カイナッツォは死してなお一行を城の廊下に閉じ込め、壁を狭めて一行を押しつぶそうとしたのだ。
 だがそれを止めたのはパロムとポロムだった。
 自らを石化させることにより、壁の切迫を食い止めた。
 五歳という幼さで、彼らは自ら犠牲となったのだ。
 迷いはなかった。
 セシルたちをここで死なせてはいけない、その思いだけでふたりは自らの意志で石化した。
 賢者テラの魔法エスナでも回復できないほどの強固な意志を持った石化だった。
「ミシディアの長老が助けてくださいましたの。ゴルベーザの呪いは終わったと教えてくださって・・・」
 ポロムが回想しながら言うと、ヤンはうんうんと頷きながらふたりの頭を大きな手で撫でた。
「そうか・・・良かった。本当に良かった。だがしかし、もうあのような無茶はしてはならんぞ?」
 ポロムは神妙な顔で「はい」と頷いた。
「わたし・・・もしもこの先また何かあった時にもう二度とあんな手段を使わなくてもいいように、頑張って修行します」
「うむ、良い心がけだ」
 そんな姉の様子にパロムは「ケッ!」と悪態をつく。
「さっすが、優等生は言うことが違うね~!」
「な、何よー! あんただって『メテオを使うんだー』って張り切ってるじゃないの!」
 沸騰したやかんのように頬を膨らしたポロムの拳をヒョイと避けてパロムはテーブルから椅子の上に飛び降りた。
「へん、ミシディアの天才児パロム様をなめんなよ! あっという間にテラのじーさんだって超えてやらぁ!」
 どこからその自信が沸いてくるのか嘆息ものだったが、ポロムは薄々感づいている。
 賢者テラを超えるという絵空事めいた台詞が、実は冗談でも何でもなく本気なのだということに。
「・・・後でがっかりさせないでよね」
「おーよ! 楽しみに待っとけ!」
 にかっと白い歯を見せたパロムにヤンは目を細めた。
 自分はバブイルの塔で爆発に巻き込まれた際に死ぬつもりだった。
 だが幸いにも地底のシルフたちに助けられ、その後慣れ親しんだ妻のフライパンによって目覚めることができた。
 そうして一命をとりとめることはできたものの、実際は足にかなりの後遺症が残ってしまった。
 自分はもう満足に前線で戦うことはできないだろう。できることと言えば後進の指導やファブール王のサポートくらいだ。
「・・・世代交代かもしれんな」
 ヤンはそっと、しかし新たな時代の到来にどこか嬉しそうに呟いた。

 その後パロムとポロムはひとしきりバロン城を探検した後、パロムはウェルカムドリンク置き場から動かなくなってしまった。
 何しろミシディアにはないバロン産の飲み物がいくらでも飲めるのだから。
 どうやらパロムは端から全種類の飲み物を制覇するらしい。
「お腹壊しても知らないんだからー!」
 ポロムは呆れてその場を後にした。
 式が始まるまでの時間、ひとりでトコトコと城内を歩く。
 カイナッツォと戦った時はこの堅牢な石壁が恐ろしくも見えたものだが、今はすっかり華やかになっていて咲き乱れる花々に目を奪われるばかりだ。
 降り注ぐ明るい陽光、行き交う着飾った人々、今日ばかりはスーツ姿の飛空挺技師たち・・・。
 そんな折、ひとり回廊に佇む鎧姿の男が視界に入った。
 身に付けた黒っぽい鎧とは対照的に輝く、背に垂らした金髪が妙に印象的に見えた。
 被っている兜には、竜の翼のような意匠が凝らしてある。
「あれ・・・」
 ポロムは立ち止まった。
 月の地下渓谷でゼロムスを破ったメンバーに、セシルの親友である竜騎士がいたと聞いていたからだ。
 目の前のこの男性の装備は、どこから見ても竜騎士そのものである。
「もしかして、竜騎士のカインさんですか?」
 小走りで近づいてポロムは声をかけた。
 すると男はポロムのほうに振り向いた。
「ああ・・・そうだが」
 話しかけた主を探すように、背の高い男の顔の角度が少し下がった。
 愛想もへったくれもない声だった。
「わたしはミシディアの白魔道士、ポロムといいます。カインさんのことはセシルさんから聞いておりますわ、小さい頃からのご親友だと」
 ポロムが笑顔で言うと、カインはふっと笑ったように見えた。
 表情は兜に隠れて伺うことはできなかったが。
「親友・・・か」
「ええ。今日はセシルさんのお祝いに来られたのでしょう? でしたらそろそろ、その、お着替えとかなさったほうが・・・」
 ポロムたちはすでに正装に着替えていたが、目の前のこの男はいまだに鎧姿だ。まさかこのまま式に臨むわけにもいくまい。
 おせっかいな節があるポロムは時計を気にしつつ言ったのだが、カインはふいっとそっぽを向いてしまった。
「いや・・・やはり俺はこの場にいることはできん。セシルとローザを祝う資格など、俺にはないからな・・・」
「え・・・?」
 カインのかつての裏切り行為など何も知らない幼いポロムは不思議そうに小首を傾げる。
「すまんが、俺は欠席すると伝えておいてくれ」
 カインはそう言って踵を返した。
「カ、カインさん!? どこへ・・・?」
 訳が分からずポロムが呼び止めると、カインは背を向けたまま言った。
「自分を・・・自分の弱いこころを叩き直す旅だ」
 そして、カインはバロン城から去っていった。
「カインさん・・・」
 何か理由があるのだろう。
 だがこの時のポロムにはその理由の見当がつくわけもなく、ただ茫然と見送ることしかできなかった。
 影を背負った、けれどどこか悲しげな竜騎士の広い背中が、妙に目に焼き付いて離れなかった。

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