2,いざ、幻界へ(1)

 セシルとローザの結婚披露宴からほどなくして、セシルはバロン市民や貴族階級、軍部の人々に推されてバロン国王の座についた。
 弱冠二十一歳の若王ではあるが、シドや周囲の人々の助けも借りて日々公務に精を出しているらしい。
 何よりも、そばで寄り添う美しき妻の存在が大きな支えになっていることは察するにたやすい。
 祖国を失ったギルバートは今ではトロイアの宮廷楽士として迎え入れられ、国王が床に伏せっていたファブールもヤンの尽力もあって活気を取り戻しているそうだ。
 エッジはエブラーナの再建で休む間もないはずだが、何かと理由をつけてはミストの村に通っている。そこには村の復興の一端を担っている可憐な召喚士がいるからだ。
 止まっていた時間が、世界中で再び動き出したのだ。
 あっと言う間に四年の月日が過ぎ、セシルにも王としての貫禄が付き始めた頃。
 十歳になったミシディアの白魔道士ポロムは、魔法学校の教室で静かに板書をノートに書き写していた。

– Porom Side –

 ふう・・・。
 わたしはこころの中でため息をついた。
 授業中だから決して外には聞こえないように。
 鉛筆を握る手をふと止め、窓の外の青い空をちらりと見る。
 昼間だというのに、白い小さな月が浮かんでいた。
 月を見るたびわたしは思い出す。
 まだわたしの背がもっと低かった頃、セシルさんたちと旅した日々のことを。
 出会った頃はまだ初歩の白魔法しか使えなくて、モンスターとの戦闘も怖かった。
 でも、冒険は思った以上に驚きとワクワクの連続で、それまでミシディアの質素な街並みしか知らなかったわたしには、忘れようにも忘れられない経験となった。
 それは自分を犠牲にしても仲間を守りたいと思わせるほどで――。
 感傷に浸りながらわたしは黒板に目線を戻す。
 先生が、ケアルラについての説明を話している。
 教室の中には寝ている生徒もいたけれど、わたしは授業中に寝たことなんかはない。
 ケアルラなんてセシルさんと旅をした頃からもう使えるけれど。
 それでもわたしは、もう十分に知っているケアルラの呪文をノートに書き写した。
 今頃パロムはまた授業をさぼっているのだろうか。

 その日わたしは、同級生の女の子三人と帰宅することになった。
 お花のキーホルダーをじゃらじゃらつけた鞄を振りながらジェシカは言った。
「ヤダなー、ケアルラなんて普段絶対使わないのに」
 制服のローブのリボンを短くしたりして御洒落をしているリズもそれに続く。
「あたしもそう思うー。っていうかね、あたし別に白魔道士になりたいわけじゃないのにさ。親が勝手に言うんだもん、やんなっちゃうわ」
 きらきらの髪飾りを付けたアリシアも同調した。
「あーあ、ミシディア以外に生まれたかったなー。そしたらこんなに魔法の勉強しなくてすむのに」
 そしてアリシアは、すっかり三人の話を聞くだけの役になっていたわたしに振り向いて言った。
「ポロムはどうなのよ? ガッコ、つまんなくない?」
 急な質問にわたしはすこし考える。
「うーんと」
 するとわたしが答えるよりも先にジェシカが割って入った。
「ダメダメ、ポロムは優等生なんだから。あたしたちとは違うのよ!」
 なにひとつ悪気のない声でジェシカはさらりとそう言った。
「いいなー、ポロムはもうケアルラなんて楽勝だもんねー」
 リズは羨ましそうにわたしを見た。
 ううん、羨ましい、とはちょっと違うかもしれない。
 羨ましいけど、そうなりたいとは思わない――そんな目だった。
 その話題はそれで終了となり、はしゃぎ盛りの年頃の女の子たちのこと、話題は次から次へと流れて行った。

 交差点で三人と別れ、家の扉を開ける。
「ただいまー」
 パロムはまだ帰っていないらしい。
 わたしはいつも通りまず洗面台に向かって手をきれいに洗ってうがいを済ませた。
 そして鞄を持って自室へ向かう。
 今日の課題はケアルラとレイズの呪文の書き取りだった。
 使っている白魔法の教科書はこども向けのもの。
 ページを開くと、無駄なくらいにスペースをとっている動物のイラストとともに、かつて幾度となく唱えた魔法の呪文が載っていた。
 ――ガッコ、つまんなくない?
「・・・つまんないわよ」
 ふいに、ぽろりとそんな言葉が口をついて出た。
 自分にとっては簡単すぎる学校の授業。
 志が高いとは言いかねる級友たち。
 流行っている遊びも、皆がやるからやっているだけだ。
 セシルさんたちと旅をしていた頃の方がずっと、ずっと楽しかった。
 生きているということを毎日実感できた充実した日々だった。
 あれから世界は復興に向けて動き出したというのに、わたしの時間は止まったまま。
 そんな気がしてならなかった。
 それでも課題をやらなかったことなんか一度もない。
 幼い頃からパロムの姉として、わたしがしっかりしなきゃと頑張ってきた。
 最近になってようやく自分のその真面目さが他の子と違うことに気が付いたけれど、しっかりと身に染み付いてしまったその性格はもう治らない。
 ――ダメダメ、ポロムは優等生なんだから。あたしたちとは違うのよ!
 悪びれないジェシカの言葉が耳に蘇る。
 あの台詞は、まさにわたしのことを正確に表現している。
 同級生は、わたしのことを優等生だと言う。
 先生は、わたしは何でもひとりでできるねと褒める。
 うまいこと授業をサボり、級友とも面白おかしくうまくやっている弟が羨ましいと思い始めたのがいつからだったか、今となってはもうわからない。

 教科書を見つめてぼんやりしていると、外から聞き慣れた声が聞こえてきた。
 パロムのものだ。
 大勢の同級生たちと帰っているのだろう、わいわいがやがやと実に楽しそうだ。
 そんな時わたしは決まって思い出の中に逃避する。
 セシルさんたちに最後に会ったのは四年前、セシルさんとローザさんとの結婚披露宴の時だ。
 セシルさん、立派な王様になったんだろうな。
 ローザさん、女性としても白魔道士としても素敵な方だったな。
 中には初めて会った人たちもいたけれど、今でもしっかりと覚えている。
 背の高い竜騎士の長い金髪が脳裏に蘇る。
 カインさん、バロンにはもう戻ったのかな。
「ダメだわ、わたし」
 つい回想に逃げ込もうとした自分の頬をぺちっと叩いて叱咤する。
 もしかしたらわたしは、寂しいのかもしれない。

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