3,山守と竜(2)

 次の日。
 試練の山に到着したわたしはきょろきょろと竜の気配を窺ってから一合目の調査を始めた。
 最初はまたあの濃紺の竜が現れるのではないかとひやひやしたものだけど、次第に気持ちが仕事に集中していく。
 白魔道士用のぶかっとしたローブの裾が汚れたが、そんなことは気にしていられない。
 時々魔法で悪霊を一掃しながら、わたしはメモ帳を引っ張り出した。
「あれ・・・ない」
 そこで初めて、本来右手に持つべきものが見当たらないことに気が付いた。
「ペン、落としちゃったのかしら?」
 バックパックをごそごそ探すが、見当たらない。
「あーーーーーーーっ!!!」
 そうだ、思い出した!
 昨日竜に襲われた時、あまりに仰天して放り投げてしまったんだった!!
「うぅ・・・気に入ってたのに・・・」
 ずっと前にパロムがくれたボールペン。
 何て言うことはない品だけど、小さな羽根の飾りが可愛くて気に入っていたのだ。
 わたしはしょんぼりしてほかの書くものを探した。
 その時だった。
「!!!」
 突然、わたしの上を暗い影が覆った。
 身体が粟立った。
 竜かしら。
 振り向いたほうがいい?
 それとも振り向かずにダッシュで逃げる?
 こっそりテレポを唱えてしまおうか?
「探し物は、このことか」
 予想に反して、背後から聞こえてきたのは男の低い声だった。
 驚いて振り返ると、背の高い男がいつの間にかわたしのうしろに立っていた。
 背に朝の日差しを受けて、わたしの上に影が落ちている。
 男の様子は逆光でよく見えなかったが、手にしているペンは間違いなく自分が昨日放り投げたものだった。
 突然のことにわたしは声が出ず、震える手でペンを受け取ると、
「・・・ありがとうございます」
 と蚊の鳴くような声でようやく言った。
 男はもう用事は済んだとばかりに踵を返す。
 次の瞬間、わたしは目を見開いた。
 なんとその男性は、ぐっと低く構えたかと思うと次の瞬間空高く舞い上がったのだ!
「うそ!?」
 そしてまぶしい光の中に消えた。
 なんという跳躍力だろう。
 とても人間とは思えない。
「人間とは・・・思えない・・・あれっ?」
 ふとわたしは手の中のペンに目を落とす。
 これはわたしが昨日竜に驚いて投げたものだ。
 なのに、なぜあの男性が持っていたのだろう。
 そしてあの跳躍力。
「あの人が・・・昨日の竜?」
 そう呟いてわたしはぶんぶんと頭を振る。
 そんなバカな話はない。
 逆光でシルエットしか見えなかったけれどあれは間違いなく人間の男性だった。
 第一、 ちゃんと言葉を喋っていたではないか。
 答えはひとつしかなかった。
「あの人が竜なんじゃなくて、竜だと思っていたのがあの人だったんだわ・・・!」
 先程の跳躍を見ればどこから降って来たって不思議ではない。
 ポロムは今更ながらに自分の早合点が恥ずかしくなった。
 長老も、竜が人間だと知っていて言ったにちがいない。
「まったく、長老ったらひどいですわ! それならそうと教えてくださればよろしいのに」
 ぷりぷりしながらわたしはペンを握る。
 書こうと思っていたことをすべてメモ帳に書きこむと、次に沸いてきたのは先程の男の正体への興味だった。
「でも、あの方、こんな所でいったい何をなさっているのかしら?」
 頂上のコテージを思い出す。
 竜が人間なら、コテージに住んでいてもおかしくはない。
「住むならもっといい場所がありましょうに・・・」
 ミシディアには空き地がたくさんある。
 何もこんな悪霊はびこる山の上に住むこともなかろうに。
 ・・・気になる。
 わたしはローブの裾をぐっと掴み、頂上目指して登り始めた。

「はぁ、はぁ・・・」
 コテージの前に着いた頃にはすでに太陽は南中を過ぎ、わたしの息は上がっていた。
 ひとつ深呼吸をしてぐっと息を落ちつける。
 そして、ゆっくりと、コテージの扉に手を伸ばした。
「何か用か」
「きゃーーーーーーーーっ!!!!!!」
 突然の男の声にわたしは文字通り飛び上がった。
 思わずテレポを唱えそうになったのを、鉄のこころで制止する。
 ダメよ、ポロム。
 この男の正体を確かめるまでは今日は帰れないのよ!
 腰が抜けたようにへたり込んだわたしが恐る恐る振り返ると、背の高い鎧姿の男性がうるさそうに耳元を兜の上から覆っていた。
「何という叫び声だ・・・!」
「へっ?」
 どうやら逆にこちらが驚かせてしまったらしい。
 男性はふらつくように二、三歩わたしから離れた。
「あ、ごめんなさい・・・」
 わたしは急いで立ち上がる。
 そして今度は男性の姿をしっかりと見た。
 見上げるくらいの、高い身長。
 無駄なぜい肉などまったくなさそうな、それでいて決して分厚くはない身体にまとった濃紺色の鎧。
 竜の頭部を模したような兜。
 背後に流れる金糸のような長い髪の毛。
「え・・・」
 わたしは我が目を疑った。
 幼い頃の記憶が忙しく去来する。
 わたしはこの人を知っている?
 まさか。そんなはずないわ。
 だってあの方はバロン人のはずだもの。
 でもこの姿はまるで、幼い頃セシルさんたちの結婚披露宴で会ったあの竜騎士――
「何だ、俺に何か用があるのか」
 低めの耳触りのよい声。
 声までは覚えていないけれど、記憶に違和感は感じない。
「いえ・・・昔一度だけ会った方に、よく似てらしたので・・・」
 不躾かと思ったけれどなかなか目線を外すことができない。
「人違いだ。俺はお前など知らん」
 男性は愛想もなく言い捨て、ポロムに背を向けた。
 去っていく、広い背中。
 さらさらと風になびく金髪――
 瞬間、その後ろ姿はわたしの中の記憶と寸分たがわず、音を立てるように合致した。
「カインさん!!」
 あとすこしで姿が見えなくなろうかというところでわたしは叫んだ。
 男性がはっと振り返る。
「やっぱり、カインさんですわね!?」
 わたしはローブの裾を掴んで駆け寄る。
「なぜ俺の名を・・・?」
「セシルさんの結婚披露宴でお会いしたじゃないですか!」
 するとカインさん(とわたしは確信している)はすこし考えるようにしてから、
「誰だ・・・? すまんが、思い出せん」
 と首を振った。
「ポロムです! ミシディアの白魔道士です!」
 わたしは昔の知人との再会が嬉しくなって笑顔で言った。
 覚えていてくれているだろうか?
 廊下で二、三の言葉を交わしただけの子どもなんて覚えていないだろうか?
 しかしカインさんはわたしの期待をよそに、眉をひそめて怪訝な表情を浮かべるばかりだ。
「いや・・・俺が知っているポロムは、今はまだ・・・十歳くらいの少女のはずだが」
 はっとしてわたしは自分の姿を見る。
 残念ながら女らしいスタイルではないし身体のラインがあまり出ないローブだったが、それでもやはり十歳とは程遠い。
 身長だってカインさんの肩くらいまではありそうだ。
 これでは分かってもらえないのも仕方がない。
 でも、小さい頃の自分を覚えていてくれたことが分かっただけでもわたしは嬉しかった。
「わたし、リディアさんに紹介していただいて、六年間――えっと、こっちでは半年なんですけど、幻界でアスラさまに修行をつけてもらってましたの!」
「何、幻界で・・・?」
 カインさんも幻界のことを知っているらしく、驚いたような声音が返ってきた。
 リディアさんとは共に戦った仲間だったはずだから、リディアさんがたった一年ほどのうちに十歳以上も大人になって戻って来たのを知っているのだろう。
「はい。こちらの世界は半年しか経っていなくても、幻界は時間の流れが早いのであちらでは六年が経ったんです。だから、分からなくても仕方ないですよね」
「では本当に、あのポロムなのか・・・?」
 いまだ信じられないように、カインさんはわたしを眺めた。
「そうか・・・見違えたもんだな」
 カインさんが、ふと笑った気がした。
 ああ、この人こんな笑い方するんだ。
 一見怖そうに見えるけど、ちゃんと驚いたり笑ったりするんだ。
 そんな発見をしてわたしは妙に嬉しくなった。
「わたしも昨日はカインさんだと気付きませんでした」
 昨日、というのはいきなり何か濃紺色の衝撃が降ってきた時のことだ。
 しっかり見る間もなくテレポを唱えて逃げてしまったことが今ではすこし恥ずかしい。
 今になって思えば、あれは空高く跳躍して着地してきたカインさんだったのだ。
 するとカインさんもばつが悪そうにすこしうつむいた。
「・・・すまん、怪しい者かと思っていきなり攻撃してしまった。ぎりぎりで外せたが」
「ふふ、大丈夫です。もう竜の正体は分かりましたから」
「竜?」
「はい、長老がそう仰っていました」
 カインさんは「そういうことか」と言わんばかりに、
「どうにかまだ生きている、と伝えておけ」
 とわたしに言った。
「ご存知なんですね、長老のこと」
「・・・まぁ、な」
 カインさんはそれ以上話してくれなかったので、わたしもそれ以上訊かなかった。
「・・・それで、何か俺に用があるのか」
 改めてカインさんはわたしに向き直り、すこし面倒くさそうに尋ねてきた。
 あまり饒舌なタイプではないらしい。
「わたしは長老に試練の山の山守に任命されたんです。だから山の調査をして長老に報告する義務があるので、このコテージが気になったんです」
「これは長老の許可をいただいているから問題はない。放っておいてくれ」
 カインさんはそう言ったけれど、コテージはところどころ隙間が見えて寒々しい。
 これでは風雨も入ってくるだろう。
 お食事なんか、どうしているのだろうか?
 気にはなったものの、わたしは笑顔で頷く。
「はい、わかりました」
「じゃあもう俺に用はないな。俺は修行中だ、くれぐれも邪魔をせんでくれ」
 そしてついにカインさんはとうとうぷいっと背を向けて、どこかへ跳躍していってしまった。
「あ・・・」
 もうすこしお話したかったのにな。
 すこし残念な気分でわたしは肩を落とす。
 でもやっぱりおとなの人と話すのは楽しい。
 同じくらいの年ごろの女の子たちと流行りの香水について話すよりよっぽど楽しい。
「だからわたしはダメなんだわ・・・」
 思わず声が落ちた。

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