6,青天の霹靂(1)

– Porom Side –

 翌日、山頂の社の周りに花の種をまいて帰ろうとしたわたしを、耳触りのよい低い声が呼び止めた。
「おい」
 振り返ると、見慣れた姿の竜騎士が昨日のバスケットを持って歩み寄ってくるところだった。
「カインさん」
 兜を被っていることにほっとする。
 反面、もう一度あの素顔を見れないのが残念なような・・・
 はっ、わたしったらまた何を考えているの!
「残りは今朝頂いた」
 カインさんはわたしにバスケットを手渡してくれた。
 昨日はどうやら中身が多すぎたらしく、余りをバスケットごと置いて帰っていたのだ。
 そしてカインさんはまた律儀に「美味かった」と言ってくれた。
 それだけでわたしのこころはふわふわと落ち付かなさげに舞い上がる。
 いつからこんなにわたしの感情は振れるようになったのだろう?
「あら・・・?」
 満面の笑み(たぶん気持ち悪いくらいの)を浮かべながらわたしはバスケットを受け取り、あることに気が付いた。
 包んできた、水玉のハンカチが入っていなかったのだ。
 指摘しようかとも思ったが、それではカインさんに取りに行かせてしまうような気がして言葉を飲み込む。
 でもその前にカインさんの方が気付いてしまっていた。
「・・・すまん、布を忘れてしまった」
 珍しくうっかりしたような口調でカインさんが言う。
「あ、いいんです、ハンカチはたくさん持ってますから!」
 慌ててわたしは首を振ったが、カインさんは踵を返す。
「取ってくる」
「そんな、わざわざ申し訳ないですわ!」
「いや、忘れた俺が悪い」
「だったらわたしも一緒に行きます!」
 取って来させてはカインさんにコテージとここの間を往復させることになってしまう。
 でもわたしも同行すれば片道で済む。
 わたしは小走りでカインさんの後を追った。
 さすがはカインさん、歩くのが速い。
「・・・・・・」
 わたしが追いかけているのに気付くと、カインさんは立ち止まった。
 そしてわたしが追いつくと今度は先程よりもゆっくり歩き始めた。
 何も言わないけれど、わたしの歩く速さに合わせてくれているらしい。
 そんな何気ない気遣いに、わたしの胸はまたきゅっと苦しそうに、でも嬉しそうに締め付けられる。
 ダメダメ、ポロム。
 この方は十歳も上の殿方なのよ。
 わたしは自分で自分に言い聞かせた。
 コテージに着くと、カインさんは扉を開けて中に入っていった。
 初めて見るコテージの中。
 わたしは扉の前で立ち止まり、開いたままの入り口から中の様子を興味深く眺めた。
 古い木造の壁。
 以前わたしがこっそり外から修復した隙間は埋まっているけれど、それでも窓以外の数か所から光が中に漏れている。
 棚には質素な食器がいくつか並び、寝台には毛布が無造作に置いてある。
 部屋の中心には手作りと思われる木のテーブルと二脚の椅子があった。
 遠慮なくわたしが入り口から観察していると、やがてカインさんはこちらを向いて言った。
「どうした、入れ」
 意外な言葉にわたしはきょとんとして問い返す。
「・・・いいんですか? 入っても」
「入るなと言った覚えはないが」
 何ということだろう!
 今までずっと、カインさんの領域を侵してしまう気がして扉にすら触れなかった。
 それなのに、カインさんの方から入れと言われるなんて!
「ではお言葉に甘えて、し、失礼します!」
 嬉しさと緊張が相まって、上ずった声でわたしは言った。
 中に入るとカインさんは何も言わずに椅子をすすめてくれた。
 まさかカインさんにエスコート(と言ったら大袈裟だけど)してもらえるとは思わなかった。
 もしかしたら一通りの作法はご存知なのかもしれない。
 見た目もどこかの王子様か貴族かのようだし・・・。
 そんなことを考えていると、暗いのを嫌ったのかカインさんは兜を外し始めた。
 わたしの心臓が跳ね上がる。
 そして二度目に見たカインさんのお顔は、昨日と変わらず美人だった。
 男の方に美人と言っても喜んでもらえないだろうが、そこいらの女性たちより美人なのだから仕方がない。
 壁から壁に渡した紐に掛かっている水玉のハンカチを外すカインさんの様子を目で追うだけで頬が緩むことこの上なかった。
 わたしはカインさんからハンカチを受け取り、本当はもっとここにいたかったけれど席を立とうとした。
 用もないのにこれ以上いてはカインさんの邪魔になろうというものだ。
 けれどそこでカインさんは思い出したように「そういえば」と切り出した。
「これは・・・何だ?」
 そう言ってカインさんが引き出しから取り出したのは、たくさんの小さな茶色い豆のようなものが入った袋だった。
「・・・?」
 見覚えがある。
 確か、いつだったか覚えていないけれど差し入れと一緒にバスケットに入れておいたものだ。
「情けない話だが食べ方が分からなくてな・・・いつか訊こうと思っていた」
 そう言ってカインさんは形のいい眉をすこしひそめて、長い指で小さな茶色い粒をひとつつまみ上げた。
 その仕草がちょっと可愛かったのでわたしは思わず微笑んでしまう。
「ごめんなさい、ご存じありませんでしたか。これは蕎麦茶といって、食べるものではなく飲むものなんですよ」
 わたしが説明すると、
「茶? これが・・・?」
 とカインさんは青い瞳でまじまじと蕎麦茶の粒を見つめた。
「茶とは、葉ばかりかと思っていた」
「よかったらお淹れしますけど?」
 普通の茶葉と淹れ方はそう変わらないものの、わたしは申し出た。
「ぜひ頼む」
「では、茶器をお借りしますわね!」
 カインさんに快諾されて、わたしは張り切って立ち上がった。
 結局、茶器に手が届かなくて焦っているとカインさんが何も言わずに取ってくれたのだけど。
 湯を沸かし、沸騰したら蕎麦茶をざらざらと湯の中に入れる。
 何とも言えず香ばしいかおりが広がった。
 そして蕎麦茶が湯を吸って白い花が咲いたように開くのを待ち、火から上げる。
 ただ、この蕎麦茶がらをこのまま放っておくと開きすぎて粉が出て濁ってしまう。
 ちょうどいい頃合いを見計らって蕎麦茶がらを網で全部すくっていく。
 そこでわたしはカインさんの視線に気が付いた。
「・・・どうかしました?」
 じっと見られていると気恥かしいやら居心地が悪いやらでわたしは尋ねた。
「いや・・・手際がいいもんだと思ってな」
「そうですか?」
 褒められると素直に嬉しい。
 頬がぽっと熱くなる。
「山を登る様子からは想像もつかん手際の良さだ」
 そう付け足したカインさんの目は、すこし意地悪そうに笑っていた。
「な、なんですかそれは! 失礼しちゃいますわ! ・・・反論できないのが悔しいですけど」
 デリカシーのない台詞に思わず頬を膨らませながらわたしはコップにお茶を移した。
「どうぞ、あつあつの蕎麦茶です。冷ますともっと美味しいんですよ」
 カインさんは静かに一口、蕎麦茶を口に含んだ。
「・・・どうですか?」
 正直すこし不安だった。
 蕎麦茶はその独特な風味ゆえに嫌う人もいるからだ。
「・・・不思議な味がするな」
 カインさんの第一声の感想に、やっぱりダメだったかとわたしは焦る。
「だが、妙に癖になる味だ」
 そう言ってカインさんはあっという間にコップの蕎麦茶を空にした。
 良かった、嫌いなわけではなかったようだ。
「わたしもそう思います。すごく癖になる香ばしさなんですよね!」
 安心してわたしも自分のぶんに口をつけた。
 あの茶色の粒粒から出てきたとは考えられないような香ばしい香りが鼻腔に広がる。
 わたし、今カインさんのコテージで一緒にお茶なんか飲んでるんだ。
 信じられないような状況に、わたしの心は浮かれて仕方がなかった。

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