7,酔っぱらいの戯言(2)

 己に対する苛立ちを持て余しながら俺はコテージに戻った。
 あれから一刻ほど経ったのでもう少女もいないだろう。
 ところが、扉を開けた俺の目に飛び込んできたのは予想もしなかった光景だった。
 テーブルの横で、彼女はくったりと倒れていた。
「おい!?」
 声を掛けるが返事はない。
 眠っているのか?
 彼女の頬を軽く叩いて起こそうとした時、俺はあることに気が付いた。
 頬に伝う涙の痕、赤く腫れた瞼――。
「・・・くそっ・・・」
 俺の反応がどれだけ彼女を怯えさせたのか、それは雄弁に語っていた。
「おい・・・こんな所で寝るな。風邪をひく」
 語気を落として俺が彼女の肩を揺さぶると、「ううん」と猫の鳴くような声を出して彼女はうっすらと瞼を開いた。
「・・・カイン、さん」
 とろんとした菫色の瞳が俺を見つめている。
 何か、様子がおかしい。
 そこでやっと俺はテーブルの上のグラスに気が付いた。
 これは俺が昨夜飲み残していた酒ではないか!
 しかも濃度の濃い、ストレートのウイスキーだ。
「お前まさか、これを飲んだのか!?」
 慌てて俺が言うと彼女は、
「お水かと思いましたー・・・」
とまた子猫のような声で言った。
「・・・とにかく、起きろ」
 だがポロムはぐっと頭を上げたかと思うと、すぐにくたっとまた床に張り付いてしまった。
「頭が・・・くらくらします・・・」
 はあぁ、と吐息とともに彼女はそう言った。
 ・・・何ということだろう。
 誰がこんな事態を予想しただろうか。
 グラスのウイスキーはわずかしか減っていない。
 世の中には酒に弱い部類の人間がいると聞いたことがあったが、まさかひと口でダメになろうとは。
 このままではテレポを唱えることなど期待できそうもない。
 酔いどれの始末は、水を飲ませてすこし休ませるのが一番だ。
 俺はポロムの後ろ首の下に左腕を差し入れた。
「・・・カインさん・・・?」
「我慢しろ」
 一瞬彼女は身をよじったが、俺はそのまま彼女の上半身を起こし自分の左胸によからせた。
 そしてテーブルの上にあった酒のグラスとよく似た水のグラスに右手を伸ばす。
「飲め、水だ」
 水を渡すと、彼女は両手でグラスを持ってコクコクと一気に飲み干した。
「ぷはー・・・」
 満足したのか知らないが、彼女は俺の腕の中ですっかり丸くなってしまった。
 上半身の全体重を俺に預け、気持ち良さそうに目を閉じている。
 その無防備さに俺は閉口した。
 もし俺が子どもにまで手を出す悪人だったらどうするつもりだ。
 そんなに俺は人畜無害に見えるのか?
 もっとも俺はこの十ほども年下の少女をそういう対象で見ていないから自由に出入りさせているわけだが・・・。
 自分の腕の中でうとうとしている少女。
 その身体は、小さくて。柔らかくて。温かくて――
 そこで俺はぶんぶんと首を振った。
 何を考えているんだ、俺は。
 ともかくこのままでは埒があかない。
 さっさと休ませて帰さねば。
 俺は右手を彼女の膝の裏に差し入れ、ぐっと力を入れて抱き上げた。
 だが彼女は予想したよりもずっと軽く、逆に俺はよろめいた。
「・・・・・・??」
 揺れのせいで目を開けた彼女は不思議そうに俺を見上げた。
「すこし休め。そうすればすぐに治る」
 そう言うと彼女は幸せそうに俺の肩に頬を寄せた。
「ふふ・・・カインさん、あったかいー・・・」
 ・・・・・・。
 まったく、本当に無防備なやつだ。
 自分が妙な気を起こさないうちに、彼女を寝台に寝かせて毛布を掛けてやった。
 俺はすぐに立ち去ろうとしたのだが、どこかせつなそうな瞳で、何を言うでもなくじっと俺を見ている彼女に気が付いた。
「・・・どうした」
 寝台のそばにかがんで彼女の目線の高さに合わせてやる。
 だが、彼女はふるふるとわずかに首を振るだけ。
 何か言いたそうで、でも言わない――そんな表情だった。
 仕方ないな、と俺はその場に腰を下ろし、壁に背を預けた。
 しばらくして、彼女は消え入るような声で言った。
「さっきは・・・ごめんなさい」
 ローザのことだ。
「・・・気にするな。俺の方こそ・・・怒鳴ってすまなかった」
 俺は詫びたが、彼女は眉を八の字にした情けない顔でうつむいた。
「わたし・・・迷惑かけてばっかりです・・・」
「そんなことはない・・・」
 極力穏やかに俺は言う。
 実際、本当に迷惑だったらとうの昔にミシディアに追い返しているところだ。
 人のことを気にかけすぎなのだ、この少女は。
 人との距離を測って、決してその境界を踏むまいとして。
 訊きたいことも訊かずに。
 小さな我侭も遠慮して。
 若い頃はもっと人に頼れば良いものを。
 その考えはある種の既視感を俺にもたらした。
 それは、幼い頃に両親を亡くし、ひとりで生きて行かねばと虚勢を張った昔の自分だった。
 人付き合いを嫌うはずの自分がこの少女を邪険に思わないのはそのせいか、と思い当たった瞬間だった。
「前も言っただろう。邪魔にはならん、と・・・」
 そう言った俺の声は自分でも驚くほど穏やかだった。
 少女の目が驚いたように見開かれた。
 そしてとろんとした、しかしどこかせつなげな口調で言った。
「ローザさんは・・・」
 ローザ、という名に再び俺の中の闇が反応しそうになったが今度は俺の意志がそれを押し殺した。
 この少女は今正気で喋っているかどうかも分からないのだから。
 彼女はゆっくりと続ける。
「どうしてお分かりにならなかったのかしら・・・」
 突如俺は頬に何かが触れたのを感じた。
 見ると、彼女が細い指を俺の頬に伸ばしていた。
「・・・あなたは・・・こんなにもお優しい方なのに・・・」
 指が、つう、と滑るように頬を撫でた。
 そのくすぐるような感覚に俺は息をのむ。
 こちらに向けられた菫色の大きな瞳は、もはや子どもと呼ぶには失礼なくらいにとろんとして艶っぽく潤んでいる。
 吸い込まれそうな菫色から、俺は囚われたように視線を外すことができなかった。
 気付けば、頬を滑る彼女の手を握ってしまっていた。
「俺よりセシルの方が上だった・・・それだけのことだ」
 自虐的な笑みを浮かべ、努めて冷静に俺が言うと、彼女はゆっくりと首を振った。
 しらふの時には見せない、艶やかな、慈しむような微笑で。
「カインさんだって・・・セシルさんに負けない素敵な方だと・・・わたしは思います」
 彼女の手が、きゅっと俺の手を握り返した。
 その言葉が、笑顔が、ぬくもりがあまりにも優しくて。
 まるで空洞だらけの俺のこころにぴったりと嵌るピースのようで。
「・・・お世辞でも、ありがたく受け取っておく」
 胸に込み上げる泣きたいような心地よいような衝動を誤魔化すように、俺はわざと斜に答えた。
 だが彼女は、すべてをいたわるように穏やかに微笑む。
「お世辞なんかじゃ・・・ありませんわ」
 その瞬間、俺は直感的に感じた。
 ――駄目だ、俺はこのままここにいてはいけない。
 こころの空洞に染み渡ろうとするその屈託のない笑顔と無防備な物言いに、俺の中で警報が鳴った。
 この心地よさに囚われてしまう前に。
「・・・もう眠るんだ」
 俺は手を離し、視線を少女から引き剥がした。
 幸い、もともと半ば意識を手放していた彼女はすぐに寝息を立て始めた。
 それを確認し、俺は逃げるように外に出た。

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