7,酔っぱらいの戯言(4)

 夕方になると、彼女は目を覚ました。
 上体を起こし、辺りをきょろきょろと見回してからようやく自分の状況を理解したようだ。
「あれ、わたし・・・」
 きょとんとした間抜け面は先程の酔っぱらいとはとてもじゃないが同一人物には見えない。
 その無邪気な所作に俺はほっとした。
「目が覚めたか」
 俺が言うと、彼女はおずおずと寝台の上で正座になった。
「あ、あのー・・・つかぬことをお聞きしますが、どうしてわたしはこんなところで寝ていたんでしょう?」
 眉を八の字にして、くそ真面目に尋ねてきた。
 その様子が可笑しくてつい俺は笑ってしまった。
「覚えていないのか」
「えっと・・・お水を飲んだと思ったら、頭がくらくらしてきて・・・それから・・・もう分かりません」
 しゅんとして彼女はうなだれた。
 こちらとしては好都合だ。
 あんな甘言を覚えていられては、こちらもどういう顔をすればいいのか分かったもんじゃない。
「お前が飲んだのは強い酒だ。目が覚めたのならもう大丈夫だろう」
 だが彼女はなおさら情けない顔になって「もしかして、」と続けた。
「カインさんがここまで運んでくださったんですか・・・?」
「・・・俺以外に誰がいる」
 憮然として答えると、彼女は頬を真っ赤にしてぺこぺこと頭を下げてきた。
「きゃーっ、ごめんなさいごめんなさい! あああ、わたしったら、もう・・・!」
 今更そう言われても、な。
 あったかい、などと言いながら俺に頬を摺り寄せてきたのはどこのどいつだ。
 やはり、『優しい』など酔っぱらいの戯言だったのだ。
「あ・・・それから」
「何だ」
 彼女は思い出したように居住いを正した。
 すこしためらうように目線をさまよわせてから彼女は言った。
「ごめんなさい・・・ローザさんのこと」
 何かと思えば、そのことか。
 俺としては彼女が酔っ払っている間の会話で済んだ出来事だったので今更である。
 だが彼女は覚えていないだろうから同じ台詞を言ってやった。
「・・・気にするな。俺の方こそ・・・怒鳴ってすまなかった」
「カインさん・・・」
 彼女は申し訳なさそうにもう一度小声で「すみません」と言った。
 これだけ気を遣わせるくらいなら、話しておいたほうがいいのかもしれない。
 少なくとも俺の知らない場所で彼女がどこからか耳に入れてくるよりは、自らばらしてしまったほうがまだマシだろう。
 彼女はおそらく自分からは訊いてこない。
 訊きたくても訊いてくる性格ではない。
 ならば今ここで俺が伝えた方がお互いすっきりするというものだ。
 話そう、俺の過去のあやまちを。
「俺とローザは、バロンの上流階級の家に生まれた」
「・・・・・・」
 彼女は寝台に正座したまま、じっと俺の目を見ながら話を聞いた。
 俺は淡々と、昔の記憶を吐き出していく。
 竜騎士団隊長だった父をはやくに亡くしたこと、ローザの母親がローザと俺を結婚させたがっていたこと、だがローザはずっとセシルのほうを向いていたこと、ローザに応えようとしないセシルに憤りと友情の混ざり合った嫉妬を抱いたこと・・・
 そしてある時、俺の闇に何か『別のもの』が住みついたこと。
「ファブールやトロイアのクリスタル、果ては地底のクリスタルを奪ったのはこの俺だ」
 目の前の少女は手で口を覆った。
「闇に囚われた俺の中では、セシルが憎い・・・ローザの傍にいたい・・・その思いだけが膨らんでいった。意識はあったのだ・・・だが俺はゴルベーザに加担し、セシルたちを裏切ってしまった。何度も・・・何度も」
 話していると何か苦いものがこみ上げてくる心地だった。
 あれから五年近くも経ったのだからもう大丈夫だろうと思っていたのに、声に出すと吐き気がした。
「俺は月の戦役の後、自分の中にある闇を消すために旅に出た・・・。だがどうやらいまだに克服できていないらしい」
 ひとつ呼吸を置いて、俺は静かに言った。
「俺はそういう汚い人間なんだ。お前のことも、いつ裏切るか分からん。だから――」
 もう俺に構うな。
 そう言おうとした時。
「カインさんはそんな人じゃありませんわ!!」
 彼女が叫んだ。
「そんな人じゃありません! 昔はそうだったかも知れないけど、少なくともわたしが知っている今のカインさんは・・・!」
 彼女は、泣いていた。
 ぼろぼろと大粒の涙を流し、怒ったように俺の目を真正面から睨んでいた。
「この先誰かを裏切るだなんて、ぜっっっったいにありませんっ!!!」
 顔を真っ赤にして怒りながらそう言い切った。
 俺が二度と裏切らないだと・・・?
 いったい何を根拠にそんなことを。
 どこからその自信が沸いてくるのか?
「なぜ怒るんだ」
 どうしていいやら分からず俺が訊くと、
「カインさんがバカだからです!」
 と彼女は泣きながら怒鳴った。
 ますますもって意味が分からない。
 自分の罪を罵倒されることはあっても、突然バカと言われる筋合いはない。
「・・・意味がわからんぞ」
 すると彼女はなおさら憤慨したように顔を赤くして俺を睨むと、子どもを叱る母親のように語気を強めて怒鳴った。
「あなたのようなお優しい方が誰かを裏切るはずがないじゃないですか!!!!!」
 優しい――だと!?
 一瞬、思考が止まった。
 数刻前の酔っぱらいの戯言が脳裏に蘇る。
『・・・あなたは・・・こんなにもお優しい方なのに・・・』
『カインさんだって・・・セシルさんに負けない素敵な方だと・・・わたしは思います』
『お世辞なんかじゃ・・・ありませんわ』
 酔っぱらいの戯言では・・・ない?
 冷え切ったこころの中に、何かあたたかいものが満ちていく。
 闇の中に差す、ひとすじの光。
 俺ははっとして顔を上げた。
 怒りをぶちまけた彼女は今度は子どものように声を上げてわんわん泣いていた。
 俺は掛けるべき言葉に迷った。
 優しくなどない、と否定するべきなのか。
 すまん、と謝るべきなのか。
 ありがとう、と感謝するべきなのか。
 俺が迷っている間にも彼女の菫色の瞳からは大粒の涙が零れ落ちる。
 俺は、その溢れる涙をすくってやるのが精一杯だった。
「カインさん・・・?」
 彼女は驚いたように目を丸くした。
「お前の言う通り俺は馬鹿だからな、こういう時にどう言っていいのかわからん・・・」
 頬に伝う雫をすくいながら俺は静かに言った。
 先程感じたような吐き気は、もうどこかへ消え去っていた。
「だが・・・そういう風に言ってもらえることを、素直に嬉しいと思う。・・・ありがとう」
 俺が最初に選んだのは、否定でも謝罪でもなくその答えだった。
 つたない言葉だが、正直な気持ちだった。
 見上げてくるのは、涙に潤んだ菫色の瞳。
「・・・だが、泣いている君を見るのは・・・すこし辛い。泣かせてしまったのは俺のせいなんだろうが」
 すまない、と俺は付け加える。
 どうにもうまくまとまらない台詞になってしまったが、彼女はぶんぶんと首を左右に振った。
「わ、わたしの方こそ・・・バカって言っちゃいました・・・」
 情けない顔になって彼女はしおしおと言った。
「構わん。多分、俺は本当に馬鹿者だからな」
 今の今まで、自分がこの少女に『優しい』と思われているなどと知りもしなかった。
 言葉で言われても、酔っぱらいの戯言だと思って無視しようとしていた。
 そうやって自分ひとりで勝手に解釈しようとするから俺は馬鹿なのだ。
 俺はうなだれた彼女の頭を撫でてやった。
 彼女の頬が赤くなったのは気のせいだろうか。
 彼女は顔を伏せ、上半身をすこし前に傾けた。
 額が俺の肩に当たり、体重が掛かってくる。
「すこし・・・このままでいさせてください・・・」
 顔を伏せたまま小声で彼女は言った。
「・・・どうした」
「今更自分の言ったことが恥ずかしくなってきました・・・」
 何を言うかと思えば。
 いきなり怒ったり、泣いたり、しおれたり、恥じらったり。
 何とも忙しいやつだ。
 だがそのよく動く表情は見ていて飽きない。
 気が付けば、晴れた日の海のようなとても穏やかなこころが自分の中にあった。
 俺がもう二度と裏切るはずがない、か――。
 根拠などないくせにはっきりとそう言い切った彼女のその言葉に、俺はどうやら救われたらしい。
 ローザに対する炎にも似た激情とは全く違う、穏やかで心地よい木漏れ日のようなあたたかさを感じた。
「・・・ありがとう」
 俺は彼女の背に腕を回し、自分の方へ引き寄せた。
 それは妙な下心などではなく、自然と取った動作だった。
 一瞬彼女は戸惑ったように身を硬直させたが、やがておずおずと控えめに俺の服を掴むと上体を俺に預けた。
 これほど落ち着いた気分はいったいいつ以来だろう。
 目を閉じると眠ってしまいそうな心地よさの中、俺はここ数年感じたこともない安らぎを感じていた。

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