10,どこにも行かないで(1)

– Porom Side –

 エッジさんたちが来た後すぐに下山したわたしは、まだ明るいうちに家に着くことができた。
「あら・・・?」
 玄関の扉の鍵穴に鍵を差して首を傾げる。
 鍵は、開いていた。
「パロム、いつもはこんなに早く帰って来ないのに」
 珍しいこともあるものだ。
「ただいまー」
 いったいどういう風の吹きまわしだろう?
 わたしは鞄を置き手洗いうがいをしてからパロムの部屋に向かった。
 ノックをしてドアを開けると、パロムはせっせと黒マントにブラシをかけていた。
「珍しいわね、服のお手入れなんて」
 するとパロムはわたしの声に振り返りもせずに「まあな」と答えた。
 いつもやかましい弟にしては妙に落ち着いた声だった。
 表情も何だか真剣で、それ以上声を掛け難い雰囲気だ。
 不思議に思っていると、パロムはやがてにやっと笑って振り向いた。
「ポロム」
「・・・何よ」
 何か、おかしい。
 もしかして、わたしがカインさんに届かぬ想いを寄せていることがばれてしまったのだろうか?
 わたしは勝手にドキドキしていたが、パロムはちっちっちと指を振って言った。
「聞いて驚くなよ」
「だから、何?」
「オレさぁ・・・」
 わたしはじっと言葉の続きを待った。
 何だろう。
 わずかな間が、もどかしい。
 そしてパロムが言った驚きの台詞は。
「トロイアの黒魔法特別講師として雇われちゃったもんね~!」
「ええーーーーーっ!??」
 あまりに予想外で、あまりに衝撃的すぎて、わたしはその場にぺたんと腰を抜かしてしまった。
 パロムが、トロイアの黒魔法特別講師ですって!?
 この、ちゃらんぽらんなパロムが!??
「何かさ、トロイアには飛び抜けて優秀な黒魔道士がいないんだってさ。で、もしまたダークエルフみたいな敵が現れたらまずいからってことで強化したいらしいんだ。そこでこのオレの出番ってわけさ!」
 パロムはにかっと白い歯を見せた。
 なるほど、それで納得がいった。
 確かに以前からパロムはちょくちょくトロイアへと行っていた。
 わたしはどうせ仲がいい女の子でもいるんだろうなどと思っていたけど、仕事のためだったんだ・・・。
 内心でパロムに詫びる。
 不真面目で遊んでいるばかりだと思っていた弟だけど、もう彼も一介の魔道士なのだ・・・。
「・・・おめでとう、すごいじゃない」
 自分が知らなかった弟の成長に一抹の寂しさを感じたが、わたしは精一杯の笑顔で讃えた。
「へっへーん。見直したか」
「ええ、見直したわよ」
 素直に言ってやると、パロムはすこし照れたように鼻をこすった。
「ま、そんなわけで明日から行ってくらぁ」
「うん、頑張ってね!」
「わーってるよ」
 ・・・よかった。
 正直心配していたのだ。
 わたしがいないと怠けるばかりする弟だったから、修行で強くなっても遊び呆けるのではないかという不安があったから。
 それが、黒魔道士の講師だなんて。しかもトロイアという大国の!
 これは、今夜はご馳走だわね。
 わたしは頭の中で献立を思い描いた。
 その時、パロムは黒マントをハンガーに掛け直すと、ふいに身体ごとこちらに向き直って神妙な顔を浮かべた。
「・・・?」
 それは、わたしが今まで見たこともないような真剣な顔で。
 沈痛で、苦しげで、どこか申し訳なさそうな――そんな顔だった。
 そして、パロムはぼそっと言った。
「・・・三食・部屋付きだ」
「・・・え?」
 わたしは我が耳を疑った。
 三食・部屋付き。
 それが示す意味は――
「だから! もうここには帰らねーって言ってんだよ!」
 パロムはわたしの肩を引っ掴んで語気を強めた。
「・・・うそ」
 目の前が真っ白になった。
 茫然としてパロムを見つめる。
 みなしごだった自分たちにとって、唯一の家族。
 小さい時から片時も離れて暮らしたことのない、かけがえのない家族。
 喧嘩もよくしたけれど、知らず知らずのうちに頼りにしていた弟。
 魔法の修行をする時も共に支え、励み合った大切な弟。
 十年前は同じような顔と背格好だったが、今はもうだいぶ違う。
 パロムのほうが背が高いし、顔つきも男らしくなった。声も低くなった。
 それでも何の疑いもなく、この先もずっと一緒にいると思っていた。
 それが、明日にはもうこの家を出るという。
 唯一無二の弟は、明日からはもう帰って来ないのだという――
「何、泣いてんだよ・・・」
 言われて初めて気が付いた。
 わたしの目からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。
「だって・・・だって・・・黒チョコボで通うのかと・・・」
「・・・それも考えたけどさ、ちょっと遠すぎるし、やっぱり仕事に集中したいんだ。特別講師とは言っても、初めての仕事だからな。もう長老の許可ももらってる」
「わたし、何も聞いてない・・・!」
「俺が長老に頼んだんだ・・・ポロムには伏せておいてくれって。きっと泣くから」
「泣くわよ・・・泣くわよバカー!!」
 そしてわたしはパロムの肩に額を押しつけ、声を上げて子どものようにわんわん泣いた。
 パロムの手がわたしをそっと抱き締め、あやすように髪を撫でる。
「ゴメンな・・・でもやっぱ仕事頑張りたいんだよ。・・・オレ、男だからさ」
「うっ・・・うわぁああん・・・分かってるわよ・・・うえぇぇん・・・」
 涙が止まらない。
 弟と離れることがこんなに辛いなんて思ってもみなかった。
 崖から突き落とされたような気分で、わたしは泣き続けた。
 パロムは何も言わず、ずっとわたしの髪を撫でてくれた。
 これじゃ、わたしのほうがよっぽど子どもじゃないの。
 こんなに泣いていたらパロムが心配してしまう。
 明日は笑顔で送り出そう。
 でも、今は、今だけは・・・。
「うっ、うっ、うわあああん・・・」
「ゴメンな・・・オレ、頑張ってくるから。ゴメンな・・・」
 わたしはパロムの胸で、泣き続けた。

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