10,どこにも行かないで(2)

 散々泣いて、翌日パロムを送り出す時わたしの瞼は赤く腫れていた。
 トロイアへと旅立つパロムは、いつも通り茶色の髪を後ろで三つ編みに結い、黒マントを羽織った。
 もともと荷物などほとんどないので軽装である。
 郊外の森に黒チョコボの迎えが来るそうだけど、そこまで見送りに行ってしまうと自分も付いて行ってしまいそうなので、見送りは玄関先までと決めていた。
 そして笑顔で見送る、ということも。
「ちゃんと好き嫌いせずにご飯食べるのよ」
「分かってるよ」
「寝坊したらダメだからね」
「分かってるよ」
「皆さんにきちんと敬語使うのよ」
「分かってるよ」
「それから・・・」
「大丈夫だって! いざとなったらいつでも帰って来れるんだからさ!」
 パロムが苦笑する。
 わたしも寂しさをこらえて微笑んだ。
「うん・・・そうだよね。・・・頑張ってね!」
「おうよ! 無敵のパロム様に任せとけ!」
 パロムは親指を立ててニッと白い歯を見せた。
「じゃ、行ってくる!」
「うん! 行ってらっしゃい!」
 パロムがわたしに背を向ける。
 どんどんその背が遠くなる。小さくなる。
 一度だけ振り返って手を振って。
 そうして、パロムは行ってしまった。
 わたしはその後もしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて玄関の戸を閉め、ぺたん、と廊下にへたりこんだ。
 立ち上がる力が入らなかった。
 今までずっと一緒に過ごしてきた双子の弟はもう行ってしまった。
 どうやら今日からこの家で、わたしはひとりで過ごさなければいけないらしい。
 そう思うと狭くて古いこの家も、やけにがらんとして広く思われた。
「お料理とか・・・今までの半分にしなきゃね・・・どうしよう・・・」
 堪えていた涙がひとつ、ぽろりと溢れた。
「ひとりだと・・・お風呂張るのもったいないわよね・・・シャワーだけにしようかな・・・」
 床に雫が落ちる。
「お洗濯・・・半分になっちゃうね・・・」
 ぱたぱたと涙が落ちた。
 まさか、こんなにも唐突に弟との別れが訪れるなんて。
 パロムの就職なんて、諸手を上げて喜ぶべきことのはずなのに。
 こころにこんなにも大きな空洞ができてしまうなんて・・・。
 わたしはしばらくの間そこから動くことすらできず、ただただ床に落ちる涙を抜け殻のように見つめていた。

 どれくらい経っただろうか。
 再び顔を上げた時にはもう太陽が南中にさしかかろうという頃だった。
「お仕事・・・行かなきゃ」
 こんな時でも仕事をさぼろうとしない自分の生真面目さが今日ばかりは呪わしい。
 わたしはのろのろと立ち上がると白魔道士のローブを手に取った。

 この時期、山頂の風はすこし冷たい。
 でもそんなことを感じるような繊細さなど今のわたしにはなく、わたしは山頂の社にもたれるようにして流れゆく雲をずっと見るでもなく眺めていた。
 仕事に来たはいいものの何も手に着かない。
 わたしはひとりになってしまった――その空虚さだけがわたしを支配していた。
 ぼんやりと空を眺めて時が過ぎてゆく。
 この空は、青色か、灰色か。
 それすらもよく分からない。
 ただただ満ちる、孤独感。
 色とりどりに紅葉している眼下の森も、今日はぐじゃぐじゃに混ざった絵の具のように目に映る。
 低い声が聞こえたのは、そんな時だった。
「・・・おい」
 緩慢な動作で振り向くと、カインさんが立っていた。
「・・・・・・」
 言葉が、出てこない。
「・・・何かあったのか」
 抑揚のない言い方だけど、これはカインさんなりの精一杯穏やかな声だ。
 きっとわたし、ひどい顔してるんだわ。
「・・・ロムが・・・」
 ふらり、とわたしは立ち上がる。
 声を出した途端、堪え切れなくなって視界がぼやけた。
「パロムが・・・!!」
 涙が、堰を切ったように溢れ出した。
 普段のわたしならそこで踏みとどまっただろう。
 でも、もう何も考えられなくて。
 ただただ、悲しくて、寂しくて、どうしていいのか分からなくて。
 真っ白のわたしは、カインさんの胸に顔を埋めていた。

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