10,どこにも行かないで(5)

– Porom Side –

 遠くで鳥の声が聞こえる。
 眩しい。
 わたしはその眩しさを手で遮りながら、ゆっくりと重い瞼をこじ開けた。
 ・・・ずいぶん長い間眠っていた気がする。
 目に入ってきたのは、自分の部屋とは違う古い木造の天井。
 身体の上には、ひんやりした空気から身体を守るための毛布。
 眩しい光の正体は、窓を通して斜め上から差し込む陽の光だった。
「・・・・・・?」
 自分の部屋ではない。
 ここは、どこ・・・?
 目元が熱くてはっきりしない頭を横に向ける。
「――!!!!!」
 そこで、わたしの半分まだ眠っていた意識は瞬く間に覚醒した。
 床に座り、壁に背を預けて腕を組んでいる金髪の男。
 眠っているのか、顔はうつむき加減で表情を窺うことはできない。
 さあっと全身の血の気が引いた。
 わたし、いつの間に眠ってしまったの!?
 どれくらい眠っていたんだろう!?
 わたしははっとしてもう一度窓から差し込む光に目を向ける。
 コテージの窓は東向き・・・
 ということは!
 今は、もしかして・・・朝!??
 何てこと!!
 わたしはさんざん泣いて、朝まで眠ってしまったのだ・・・。
 その事実に愕然とする暇もなく、走馬灯のように昨日の出来事がわたしの脳裏にめまぐるしく蘇ってきた。
 髪を撫で、手を握るカインさんの大きな手、わたしを包む優しい胸、肌に伝わるあたたかい体温・・・
「!!!!」
 顔がマザーボムの大爆発を起こす。
 わたしは声にならない叫びを上げた。
 声が枯れるまで叫んで、どこかへ全速力で走り去ってしまいたい。
 ああああもうこの世から消え去ってしまいたい。
 わたしは、わたしは何という恥ずかしいことを・・・!
 自分の言った台詞を思い出してさらにわたしは消えたくなった。
『カインさんは、わたしの前からいなくなったり、しませんよね・・・!?』
 ・・・。
 ・・・・・・。
 きゃあああああああああああ!!!
 は、恥ずかしすぎる!
 感情が昂っていたとはいえ、わたしったら何と恥ずかしい台詞を・・・!!
 これじゃあ、カインさんに「傍にいてください」って言ってるようなものじゃないのよー!!
 わたしは思わずくらくらして頭を抱えた。
 でも同時に指の間からカインさんを盗み見て、彼の台詞を思い出す。
『どこにも行きはしない』
 カインさんはそう言ってくれた。
 それが単にこの先も試練の山にいるという意味なのか、それともわたしの傍にいてくれるという意味なのかは分からないけれど、その言葉とカインさんのあたたかさはわたしを嘘みたいに安心させた。
 でも、でも。
 いくら安心したからって朝まで寝てしまうなんて、わたしは最低だ!
 ほら、そのせいでカインさんは床で眠っているんだわ。
 どうしていいか分からず、わたしはそっと寝台を下りた。
 音を立てないよう注意して、カインさんの前に座りこむ。
 下から見上げると、カインさんは目を閉じて静かに寝息を立てていた。
 ・・・睫毛、長いんだぁ。寝顔は、ちょっと可愛いかも。
 ってポロム! 何を考えているの!
 ついまじまじ見詰めてしまった自分に気付いてわたしはあわてて首を振る。
 でも近くでじっくり見るとカインさんは本当に端正な顔立ちで、流れるような金色の髪は見入ってしまうほど綺麗だった。
 触ってみても、いいかな・・・。
 わたしは金糸の髪に指を近づける。
 すぐに思いとどまって指を引っ込めた。
 でもちょっとだけなら・・・。
 ごく、と唾を飲み込んで、わたしは恐る恐る指を近づけた。
「――!」
 さらさらと流れるような感触が指を伝う。
 カインさんの髪はわたしの癖っ毛とは全然違って、やわらかくて、櫛で梳かしたようになめらかだった。
 慣れない感触に感動していた、その時。
「!!!」
 突如、それまでぴくりとも動かなかったカインさんの手が、髪を触るわたしの手をがしっと掴んだ。
 あまりに突然の出来事に、わたしの心臓は口から出る寸前だった。
 カインさんの力強い手はそのまま乱暴にぐいとわたしの手を引き寄せ、わたしは彼に覆いかぶさるような格好になってしまった。
 目の前にはカインさんの顔が・・・!
 心臓がこれ以上ないくらいに鼓動して壊れてしまうのではないかと思った時、わたしの眼前でカインさんはゆっくりと瞼を開けた。
 青い瞳にわたしが映る。
「・・・何をやっている・・・!!」
 明らかに不機嫌な、怒ったような低い声にわたしは身をすくませた。
「ご、ごめんなさい!! あまりに綺麗な髪だったので・・・つい・・・」
 泣きたい気分でわたしは弁解した。
 震えるわたしの至近距離で、カインさんは睨むようにわたしを見ている。
 そして徐々にその眉間の皺が減ったかと思うと、「ポロム・・・?」と思い出したように呟いた。
「は、はいぃ・・・ごめんなさい・・・」
 手を引っ張られているわたしはその場から逃げることもできず、ただただ顔を火照らせながら情けない声で答えた。
「・・・いや、俺の方こそ驚かせてすまなかった」
 あまり表情の変化がない中にも気遣いを見せてそう言ったカインさんの声は、あまりにも優しかった。
 思わずわたしはぽーっと見惚れてしまう。
 距離は近いわ、握られた手はあたたかいわでわたしの心臓はオーバーヒート寸前だ。
 もしかしたら外までこの鼓動が聞こえているんじゃないだろうか!?
「目が・・・腫れているな」
 カインさんの指先がわたしの目元に触れた。
 その瞬間、昨日の抱擁の記憶が妙にビビッドに蘇る。
 もう、限界だった。
「きゃーーーーーーーー!! もうダメですーーーーーーーーーーーー!!!」
 わたしは跳ねるように跳び退くと、ヘイストのごとき速さで寝台の上へと逃げ出した。
 正座にしゃがんだ上からばさっとテントのように毛布を被る。
 外から見ればさながら小山のような状態だろう。
 でも、カインさんの間近にいればいるほど昨日の記憶が呼び起こされて、恥ずかしさにいてもたってもいられなかったのだ。
 はー、はー、と毛布のテントの中で呼吸を落ちつける。
 すこし心臓が落ちついた頃、毛布の向こうから「すまん」というすこし困った声が聞こえた。
「カインさんは悪くないですっ!!」
 わたしは毛布の合わせ目からばっと顔だけを出し、勢いよくそう言った。
 毛布のテントから顔だけ出したわたしの姿はさぞや滑稽だろうが、そんなことを構う余裕などわたしにはない。
 カインさんはわたしの言葉を待つようにわたしを眺めている。
 はぁ、とわたしはため息をつく。
「・・・恥ずかしかったんですっ」
 わたしは唇を尖らせて渋々言った。
「・・・何がだ」
「だから! その・・・昨日のことを思い出して、恥ずかしくなったんです!」
 ああ、言ってしまった。
 わたしの顔は真っ赤になっているに違いない。
 それでもわたしは何か意地でも張っているかのように、口をへの字にしてカインさんの目をじっと見つめた。
 わたしの語気にカインさんは一瞬驚いたようだったけど、やがてふっと表情を緩ませた。
「・・・そうか。それは悪かったな」
 カインさんの言葉にわたしはふるふると首を振る。
「いいえ・・・わたしは本当にカインさんにたくさんご迷惑をお掛けしてしまいました・・・。その・・・な、泣きついてしまっただけではなく、朝まで寝てしまうなんて・・・。もう、自分が情けなくて仕方ありませんわ・・・」
 はぁ、とわたしは肩を落とした。
 恥ずかしいやら情けないやら・・・。
「・・・でも」
 わたしは顔を上げる。
 恥ずかしさと情けなさが生まれた代わりに、すこしだけ、されど確実に和らいだものがあった。
 それは、弟が去って行った孤独感。
 昨日はあれだけ嵐のように波立っていたこころが、今日はすこし高い波程度におさまっていた。
「カインさんのおかげで、とっても楽になれました。ありがとうございます」
 瞼の腫れたひどい顔だろうけど、わたしは精一杯の笑顔を浮かべた。
「大したことはない」
 そう言ってカインさんがふっと笑う。
 それだけで、わたしのこころはまたひとつほっこりとあたたまる。
 同時に、自分に比べおとなの反応だなぁ、と一抹の寂しさも感じた。
 わたしがいちいち一喜一憂して恥ずかしく思うようなこと――手を握ったり抱き締めたり――なんて、きっとカインさんにとっては何てこともないんだろうな。
 わたしなんて、カインさんにとってはひと晩泊めるくらい何でもない相手なんだわ。
 そう考えると寂しいような気もしたけれど、それはわたしの我侭が過ぎようというもの。
 最初は話せるだけでもこころ躍る思いだったのだから、彼が傍にいてくれる今それ以上を望もうものならばちが当たってしまう。
 わたしは今ある幸せを噛みしめ、目を細める。
 ねえ、カインさん。
 あなたがいてくれて、本当に良かった。
 あなたがいなければ、わたしは今頃パロムを追ってトロイアに行ってしまっていたでしょう。
 カインさんの青い瞳を見つめ、わたしはこころの中で囁く。
 わたし、カインさんのことが大好きです。
 この気持ちをいつか口に出して言える日が来るかどうかはわからないけど。
 あなたのことが、大好きです。
 そんなわたしを見てカインさんは、「どうかしたのか?」といつも通りふっと微笑った。

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