12,闇の足音(1)

– Cain Side –

 その日、ポロムを送って行った後、俺はこうこうと輝く満月の下で瞑想を行っていた。
 寄りついてくる悪霊を精神の力だけで跳ね返す。
 今では少々の悪霊の手招きなど何ということはない敵だ。
 だが、突如俺の背筋を言いようもない寒気が襲った。
「!!!」
 あまりの邪気に俺は目を開け、辺りに目を配る。
 何もいない。
 だが、確実に『何か』がいる!
 そこかしこにいるような悪霊とは比べ物にもならない、どす黒い邪気の塊が・・・!
「何者だ!」
 俺は目を閉じ、精神を集中させる。
 そうしなければ、黒い渦に飲み込まれてしまいそうだった。
『ほほほほほ・・・美味しそうなこころの闇だこと・・・』
 頭の中に甲高い声が鳴り響いた。
 『何か』が俺を狙っている・・・?
「消え失せろ!」
 俺はひときわ精神を研ぎ澄ました。
『まあ、怖い。ずいぶんとこころが強くなったようね、カイン・・・?』
 何者だ!?
 俺はこころの中で威嚇した。
『うふふふ・・・でもまだまだね・・・憎いセシルと愛しいローザにおめでとうの一言も言えないようじゃあ、ねえ・・・』
 甲高い声が頭の中でがんがん響く。
 すこしでも気を抜こうものなら身体ごと掻っ攫われてしまいそうな圧力だ。
「く・・・っ」
 だが俺もだてに悪霊相手に精神修行を行ってきたわけではない。
 これくらいで屈してたまるか!
『ほほほ・・・頑張るわねぇ。・・・あらぁ? まあ、可愛いお嬢さんがこころの中に住んでいるわね・・・?』
「!!」
『ふぅん、ポロムちゃんっていうの・・・うふふふふ・・・』
「何が可笑しい!!」
 俺は抵抗するように叫ぶ。
『ずいぶんと気に入られてるみたいじゃない・・・どう? いっそのこと、この子に乗り換えたら?』
「馬鹿を言うな! 俺はローザを・・・!」
『本当かしら? 過去の記憶はねぇ、実際よりも大袈裟に美しく見えるものなのよ。それにローザがもう手に入らないのは貴方だってよく分かっているんでしょう? いつまでも幻想に浸ってないで、現実を受け入れなさい・・・』
「く・・・」
 その声が言うことは図星だった。
 ローザがもう手に入らないことは俺だってもう理解しているし、納得もしているつもりだ。
 だがそれでも未練がましくローザに対する想いを忘れられない自分がいる。
 それはもう自分が本当にローザを愛しているのかどうかも分からないような、思い込みにも似たある種の狂信的な観念だった。
 すかさず俺の闇に『何か』が入り込む。
 しまった、気を許してしまった。
『ほら・・・あなただってそう思ってる。それに比べ、ポロムちゃんは手を伸ばせばすぐそこにいる・・・あらぁ? 貴方も案外まんざらでもないみたいじゃない。抱き締めたりなんかして』
「ふざけるな! あいつはまだ十六だ、俺より十も下なんだぞ!!」
 『何か』を追いだすように俺は気を奮い立たせる。
『まぁ! 年齢を理由にするのね・・・? ずるい言い訳だわ・・・』
 これ見よがしなため息をつく『何か』に、俺はいい加減苛立ちを覚えた。
「何が目的だ! はっきり言え!!」
 すると甲高い声はすっと声音を落として囁いた。
 耳元で息を吹きかけられたような悪寒が身体中を襲う。
『・・・あの子を抱いてしまいなさい』
「なん・・・だと・・・!?」
『あの子を無理矢理押し倒して、抱いてしまいなさい。彼女は優しいから抗わないかもしれないわね・・・でも貴方は彼女の涙を見て後悔する。死にたいくらいに後悔して絶望する! そしてこころの闇はより一層、大きく、深くなる!!!』
「やめろ!!!」
 恍惚とした声が鳴り響き、俺は耳を押さえた。
 やめてくれ。
 そんなことは想像もしたくない。
 言葉で聞くだけでも拷問だ。
『ほら、貴方ができないのなら私が手伝ってあげるわ。身体の力を抜きなさい・・・』
 甘く、だが毒々しい声。
 すうっと、何か冷たいものが俺の内臓を撫でるように入ってこようとした。
 こんな誘惑に、負けてなるものか・・・!
「俺はその手にはもう乗らん! 出て行け、バルバリシア!!!!!」
 俺は気を爆発させた。
 一瞬頭が真っ白になり、膝から崩れ落ちる。
『ふふふ・・・また会いましょう・・・』
 声は、遠のいて行った。
 やがて、邪気は消えた。

「・・・・・・」
 夜風の冷たい月光の下、俺は背にじっとりと脂汗をかいていた。
 悪寒が走る。
「あれは・・・バルバリシア・・・!!」
 間違いない。
 耳に障る甲高い声といい、まとわりつくような邪気といい、蛇のように絡みつく甘ったるい毒々しさといい・・・。
「なぜ今頃・・・? 四天王は倒したはずでは・・・?」
 ともかく、長老に言われたとおりに精神を鍛えておいて良かった。
 そうでなければ俺はまたいいように操られ、とんでもない愚を犯していたことだろう。
「・・・真相は分からんが、油断はできんな・・・」
 俺はぐっと目を瞑ると再び瞑想に入った。

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