15,誰よりも、いとおしい(1)

– Cain Side –

 白い空間を漂っていた。
 空に浮かぶ雲のような、穏やかで心地よい白い空間がどこまでも続いている。
 いつまでもこうしていたい――俺は全身の力を抜いて浮遊感に身を任せる。
 こんなにもすっきりと晴々した気分なのはいつ以来だろう。
 そこには今までずっとこびりついていた闇はなく、ただひたすらに穏やかなあたたかさが広がっていた。
「・・・こんなにも、簡単なことだったのか・・・」
 独りごちて俺は目を閉じる。
 ローザへの執着、セシルへの嫉妬から生まれたこの闇は長い間俺を蝕み続け、そこに生まれた隙は悪の支配すらも受け入れてきた。
 共にゼロムスを倒した後ですらこの闇は消えず、親友にいまだ結婚の祝辞すらも言えていない。
 四年間世界を放浪してもこの闇は俺をがんじがらめにしたままで、一度は命さえも断とうとした。
 だが・・・こんなにも、簡単なことだったのか・・・俺の闇を消し去ることは。
 いや、消そうと思えばいつだってできたはずだ。
 しかし脅威であると同時に俺を突き動かしてきた信念でもあるその闇を失うことを、俺はどこかで恐れていたのだ。
 このローザへの執着心をなくしたら俺が俺で無くなってしまう――知らず知らずのうちにそんな疑念を抱き、この闇を消し去りたいと切望しつつも失うことを自分で拒んでいた。
 だから――自分の中の変化に気付かぬふりをした。
 やたらと俺に構いたがるあの少女。
 最初はただのお節介焼きくらいにしか思っていなかったのに。
 いつから俺はあの白いローブ姿を目で追うようになった?
 なぜ放っておけなくなってしまった?
 何が俺に彼女の手を握らせた?
 俺にとって彼女は・・・何なのか?
 言い訳のように俺は『彼女は十歳も下の子どもだ』と自分に言い聞かせてきた。
 だが、今なら分かる。
 俺は、ローザに対する執着が占めていた部分を、あの少女に取って代わられるのが怖かったのだ。
 その気がないなら優しくするなとリディアに言われた時も、結局突き放すことなどできなかった。
 彼女は大切な存在だから――あの時はその答えしか出せなかったが、結局のところ俺は、その気がないふりをしていただけなのだ。
 大切にしたい。
 傍にいてやりたい。
 傍にいてほしい。
 誰よりも・・・いとおしい。
 彼女に抱き締められた瞬間、ようやく俺はそのことに気が付いた。
 スカルミリョーネにこころの闇を占拠された俺はあがけどもあがけども為すすべもなく、ポロムに向かって槍を振り上げた。
 頼む、逃げてくれ。
 俺にはもう動きを止めることはできん。
 頼むから、逃げてくれ・・・!
 けれど次の瞬間、俺はポロムに抱き締められていた。
 包みこむような、あたたかい、それでいて力強い抱擁。
 なぜ、と声を漏らしたのは俺だけではなかった。
「あなたを置いて、逃げることなんかできません!!」
 毅然として見上げてくる彼女に、俺の中のスカルミリョーネが揺れたのが分かった。
 さらに語気を強めてポロムは続けた。
「カインさんはわたしに言ってくれました、『どこにも行かない』って・・・。だったらわたしもあなたのおそばを離れません! ずっと、ずっと一緒にいます!!」
 涙を流しながら、これ以上ないくらいの真剣なまなざしで彼女は叫ぶように言った。
 俺は閉ざされた精神の中ではっとする。
「たとえあなたの中に闇があっても、何かに操られたとしても、わたしにとってカインさんはあなたしかいないんです! あなたがいないと、ダメなんですっ!!!」
 ――ポロム・・・。
 俺なんかのそばにいてくれるのか・・・?
 俺を・・・俺を必要としてくれるのか・・・?
 突如、俺の中にそれまで見てきたたくさんの彼女の姿がフラッシュバックした。
 毎日弱音を吐かず仕事に精を出す生真面目な彼女。
 嬉しそうに俺に飯を持ってくる彼女。
 頬を膨らせて怒る彼女。
 大粒の涙をこぼす彼女。
 顔を真っ赤にして照れる彼女。
 そして何よりも、花のように明るく笑う彼女・・・。
 ああ、俺は。
 この少女が愛しいのだ。
 誰よりも愛しい。
 ローザへの執着を、こころの闇を失くしてしまうほど愛しくて愛しくてたまらない。
 そう悟った瞬間、俺の中のスカルミリョーネが苦しみ始めた。
「う・・・ううッ・・・! 俺を・・・見るな!」
「いやです! わたしは、ずっと、ずっとカインさんを見ていたいんです! 嫌だって言われてもやめません!」
 俺のこころにポロムという光が差し、あたたかさが満たしていく。
 それは無数に穿たれた穴に浸透し、凝り固まった闇を溶かしていった。
 ポロム・・・ありがとう。
 俺も、同じだ。
 ずっと君の笑顔を見ていたい。
 ずっとそばにいてほしい・・・!
「何だと・・・!? や、闇が狭くなっていく・・・!?」
 あれほど深かった闇が、よく晴れた日の水たまりのようにどんどん霧散してゆく。
 代わりに広がっていくのは穏やかな白。
 これまで感じたこともないような、濁りのない空間。
 これが、ポロムが俺にくれた世界なのだ。
「お、押し出される・・・っ!!! ぐ、ぐあぁぁぁああああっ!!! 」
 そして闇は消え、居場所を失くしたスカルミリョーネは俺の身体から出ていった。
 ついに俺は、解放されたのだ。
 スカルミリョーネからだけでなく、ずっと、ずっと俺を捕らえて離さなかったこころの闇から。
 ポロムが、俺に闇を手放させてくれたのだ・・・。
 初めておぼえた安らぎの空間に、俺は眠るように身を任せた。
「あなたはひとりじゃありません」
 そう言った彼女の優しい声が聞こえた気がした。
 そして今、こうして心地よい白い波間に漂っている。
 だが、そろそろ戻らねばな。
 彼女には伝えたいことがたくさんある。
 操られていたとはいえ無理矢理襲おうとしたことの謝罪、俺の闇を払拭してくれた感謝、そして・・・
 俺の、素直な想いを――。

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