15,誰よりも、いとおしい(2)

– Porom Side –

「うぇえん・・・うっ・・・うっ・・・」
 突然倒れたカインさんの頭を膝に乗せ、わたしはただただ泣いていた。
 カインさんが自分で刺した手の傷はケアルガで治した。
 でも、あのままカインさんは目覚めない。
 まさか精神がどこかに行っちゃったりしたのだろうか?
 ううん、そんなわけない。
 きっと疲れて寝ているだけよ。
 そう自分に言い聞かせながらわたしはカインさんの目覚めを必死に祈った。
 その時。
「!!」
 頬に何かが触れてわたしはすぐに目を開けた。
 見ると、膝の上のカインさんがわたしの頬に手を伸ばしていた。
「・・・泣くな・・・」
「カインさん・・・!?」
 わたしは目を見開いて彼の名を呼んだ。
 さっきまで閉じられていた青い瞳が、今はわたしを映している・・・!
「気が・・・ついたんですね・・・!」
「ああ・・・君のおかげだ」
「よ・・・よかったぁああぁぁっ!! うわぁあぁぁん!!!!」
 緊張の糸が切れ、わたしは声を上げて泣いた。
 安堵の涙があふれて止まらない。
 よかった。カインさんが帰ってきてくれた。
 信じてたもの、どこにも行かないって・・・!
「すまん・・・俺はお前を泣かせてばかりだな・・・」
 わたしはぶんぶんと首を振る。
「そんなこと・・・ありませんわ! 嬉しいんです・・・カインさんが、ちゃんと戻ってきてくれて、嬉しいんです・・・!!」
「ポロム・・・」
 うつむいて泣きじゃくりながら必死に言うと、頭の上にぽんと大きな手が乗せられた。
「心配・・・かけたな」
 そう言ってカインさんはすまなそうに笑った。
 その手は、わたしの涙が止まるまで、優しく髪を撫でてくれた。
 そして徐々に嗚咽もおさまってきた頃、すこし冷静になったわたしはあるとても重大なことを思い出した。
「あーーーっ!!」
 突然叫んだものだから、カインさんは驚いたように手を離した。
「どうした・・・?」
「あ、あ、あのっ、カインさん? わたし、一応ベッドに運ぼうとしたんですよ? でも、その、力及ばず、それで、床に放っておくことも悪いと思ったので、その・・・!!」
 ああ、もううまく言葉にできない!
 カインさんは不思議そうにわたしを見上げている。
 だからそのわたしが言いたいのは、なぜ膝枕なんかしているかというその言い訳であって・・・!
 こんな日に限っていつものローブではなくてカインさんに借りたシャツを着ているから、わたしの脚は今かなりきわどいところまで肌が露出してしまっている。
 カインさんが目覚めてしまうとこれは非常に恥ずかしい状況だ。
 わたしがしどろもどろに説明にもならない説明をすると、やがてカインさんはわたしの言わんとすることを察したらしく「なるほど」と頷いた。
「あ、あの、起きられますか・・・?」
 するとカインさんはすこし考えるように静かに目を閉じた。
「ああ・・・だが、もうすこしだけ・・・このままでもいいか」
 そう言ったカインさんの顔はまるで眠る直前のように安らかで、首の後ろから伝わる私の体温に身をゆだねているようだった。
「・・・はい」
 恥ずかしかったけれど、それでカインさんが安らぐなら、とわたしは頷いた。
 そして、そっとさらさらの金髪に触れてみる。
 背まで届くその長い髪は、わたしのお気に入り。
 わたしのために切らずに伸ばしてくれていることも知っている。
 そう考えるとなおさらカインさんへの愛しさは募った。
「・・・ポロム」
 しばしそうしていた後、ふいに真剣な声で名を呼ばれてわたしは髪を梳く手を止めた。
 髪を撫でられるのは嫌だったかしら、と一瞬思ったけれど、カインさんが話し始めたのは謝罪の言葉だった。
「・・・すまなかった。操られていたとはいえ・・・!」
 身体を起こしてわたしの膝から離れ、カインさんは隣に腰を下ろしてうつむいた。
 ああ・・・やっぱり謝るのね。
 あれは仕方のないことだったのに・・・。
「カインさん・・・」
「意識はあったのだ! だが・・・止められなかった・・・」
 顔を伏せているのでその表情は見えない。
 でもその憎々しげな声音が、彼が後悔の念にさいなまれていることを存分に物語っていた。
「すまん・・・!」
 カインさんの謝罪にわたしの胸がちくりと痛む。
 だって、本当は・・・謝らなきゃいけないのは、わたしの方なんだから。
「謝らないでください・・・」
 かすれた声でわたしは言った。
「わたしが、悪いんです・・・」
「何・・・?」
 カインさんは戸惑いの表情でこちらに顔を上げた。
 そう、私が悪いんだ。
 あの時、壁に押さえつけられて甘い台詞を囁かれた時わたしは何を思った?
 必死に抵抗しようとなどしただろうか?
「わたし・・・薄々気づいてたんです。カインさんが何か別のものに操られてるって・・・。でも、でも・・・! カインさんの姿を見ると、拒めなかった・・・つい・・・甘えようとしてしまいました」
 操られていてもわたしに迫ったのは紛れもなくカインさんで、わたしは一瞬でもその誘惑を受け入れたいと思ってしまった。
 間近に迫った唇に、胸が高鳴ってしまった。
 首筋に走る官能的な感覚に、甘い吐息を漏らしてしまった。
 彼とならそうなってもいいと――。
「わたし・・・最低ですね・・・」
 まさかこんなに自分が軽い女だとは思ってもいなかった。
 わたしががっくりと肩を落としていると、カインさんは困ったような微笑を浮かべた。
「・・・妬けるな」
「え・・・?」
「そこまでお前を虜にした、偽物の俺に、な」
「カインさん・・・?」
 『妬ける』・・・? それってどういうことですか――?
 わたしがどぎまぎしながら次の句を探していたその時、カインさんは苦笑を浮かべたままわたしの手を掴んだ。
 急に距離が狭まってわたしの心臓は跳ね上がる。
 身体を引こうとした時にはもう遅く、カインさんはわたしの後頭部を引き寄せてしまっていた。
 ただし、操られていた時とは違って、抗おうと思えば簡単に抗えるようなきわめて優しい力で。
 そしていつになく真剣な表情で彼は口を開く。
「あれは俺ではない。俺の意志でやったことではない」
「カイン・・・さん? あの、ちょっと近すぎる気がするんですけど!?」
 額がくっつくほどの至近距離で見つめられ、わたしの全身の血はもう沸騰寸前だ。
 けれどカインさんはわたしの抗議に耳を貸さず、そのまま続けた。
「できることなら・・・本物の俺もあの十分の一程度でも積極的になれたらいいんだがな」
「・・・?」
 戸惑うわたしの前でカインさんは自嘲気味に苦笑した。
「・・・真剣に聞いてほしい。もっとも、俺は口下手だからうまく伝えられるか分からんが」
 わたしを見つめるカインさんの目はその言葉に寸分たがわず真剣そのものだった。
 すこし緊張したような、固さのある面持ち。
 そんなカインさんの様子にわたしも覚悟を決めた。
「・・・はい」
 彼はわたしに何かを伝えようとしている。
 ならばわたしも真剣に受け止めなければ。
 カインさんは言葉を選ぶように、ぽつぽつと話し始めた。
「俺は・・・四年間ずっと闇の中で生きてきた。明るい色彩などない、暗く、孤独な世界だった。君に出会うまでは」
 わたしは黙ってカインさんの話を待つ。
「君は・・・俺なんぞに構ってくれて・・・俺を救ってくれた。俺を必要としてくれた。生きるということを思い出させてくれた・・・」
「カインさん・・・」
「だが俺は事あるごとに君はまだ十も下の子どもだと考えていた・・・だがさっき君が抱き締めてくれた時に分かったんだ。それは、言い訳として俺がそう思いこもうとしていただけだったのだと」
「言い訳・・・?」
「ああ。俺のこころの闇・・・ローザへの執着心やセシルへの嫉妬・・・それを消そうとしながらも手放そうとしなかったのは、他ならぬ俺自身だったとようやく気付いた。今まで俺を突き動かしてきたその執着心が・・・何か他のものに、つまり君に取って代わることを漠然と恐れていた。・・・だが」
 カインさんは穏やかに目を細めた。
「だが、もう迷わん。俺は、君を大切にしたいと思っている。君が望むなら、そばにいたいと思っている」
「カインさん・・・」
 そして、すこし間を置いてから。
「君が・・・誰よりも、いとおしい」
「・・・・・・!!!」
 その瞬間、胸の中にあたたかくせつない想いがあふれた。
 苦しいわけじゃないのに、胸が締め付けられる。
 カインさんが、わたしのことを。
 大好きな、大好きなカインさんが、わたしのことを・・・!!
『君が・・・誰よりも、いとおしい』
 そう言ってくれた真摯な声に、わたしのこころはうち震えた。
 それは、嬉しさなのか、喜びなのか、幸せなのか。
 胸いっぱいに広がったこの想いを、言葉で言い表すことなんてできない。
 わたしはただただこのせつないような苦しいような甘い感情を噛みしめた。

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