15,誰よりも、いとおしい(3)

 しばしの間、わたしは甘い感覚に浸っていた。
 けれど、ずっとこころに引っかかっていた棘がちくりと痛み、すぐにわたしの意識は引き戻された。
 この決して無視できない最後の棘が消えないかぎり、わたしは手放しで喜ぶことなんてできないだろう。
 訊かない方がいいのではと躊躇いつつも小声で尋ねた。
「でも・・・ローザさんのことは・・・?」
 そう、彼がずっと愛してきたのはあの美しいローザさんだ。
 彼はわたしのことが誰よりもいとおしいと言ってくれたけれど、本当にローザさんへの想いはもうないのだろうか。
 わたしはほんの一時の埋め合わせじゃないのだろうか・・・。
 我ながら暗くて無粋な考えだと思うけれど、愛情が募れば募るほど不安もまたそれに比例して増大するものなのだ。
 わたしは恐る恐る返事を待つ。
 カインさんはわたしを抱き寄せたままふっと微笑んだ。
「君が・・・すべて消してくれた。これまで苦しんできた俺の闇も、すべて」
 そして力を緩めると、わたしの目を見つめて言った。
「・・・信じられないか?」
 その青い瞳は澄みきっていて、吸い込まれるように見入ってしまった。
 影も曇りもないカインさんの眼差しに、嘘はなかった。
 カインさんはわたしを引き寄せる。
 彼の優しい瞳が、近付く。
 ・・・そして。
「・・・・・・!!」
 わたしに唇をそっと重ねた。
 突然訪れた柔らかい感触に、わたしの頭の中は麻痺して真っ白になった。
 カインさんが、わたしに、口づけを・・・!?
 心臓は跳ね上がり、今起こったことに混乱してわたしは瞬きすらも忘れた。
 こういう時は目を閉じるものだろうに、わたしは驚きと緊張のあまり目を見開いたまま硬直してしまった。
 ああ、わたしってば、バカ、バカ。
 いくら男性に免疫がないからといって、この反応はあまりにひどいじゃないの!
 せっかく、せっかく大好きなカインさんからの口づけなのに・・・!!
 嬉しさがあふれる半面、反応すらできない自分が情けなくて胸中で泣きたい気分になってしまった。
 そんなわたしを見てやがてカインさんは唇を離し、苦笑した。
「・・・すまん。驚かせてしまったな」
 わたしはもう嬉しいやら恥ずかしいやら申し訳ないやらで、顔を真っ赤にして首を横に振る。
「そ、そんなこと・・・!」
「いや、遠慮しなくていい。・・・俺も自分で驚いている、案外自然にできるもんだなと」
 すこし照れたように頭を掻いたカインさんが可笑しくて、つい私はぷっと噴き出してしまった。
「そんなに笑うなよ。・・・だが、信じてくれたか?」
「・・・は、はいっ、それはもう、じゅうぶん、ばっちり!」
 髪を梳かれ、わたしは夢中で頷く。
 唇にはまだ彼の感触が残っている。
 わたしは今更ながらに動悸が速まるのを感じた。
 こんなふうに言われて、信じられないわけがない。
 不安がないと言えば嘘になるけど、わたしには勿体ないほどに充分すぎる。
 いつか伝えられる日を期待してずっとずっと胸に抱いてきたカインさんへの恋心があふれ出す。
 もう、この想いを秘めたままにしておくなんて堪え切れなかった。
 でも、伝えたくて伝えたくて仕方がない想いなのに、いざ口に出そうとするとわたしの喉は蓋をしたしまったかのように詰まってしまう。
 胸が高鳴る。
 カインさんも、こんな気持ちで告白してくれたんだろうか・・・?
 勇気を・・・勇気を出すのよ、ポロム。
 動悸が最高潮に達した時、わたしは震える唇を開いた。
「わたしも・・・わたしもカインさんのことが、大好きです」
 言えた・・・!
 ようやく、わたしは彼への想いを伝えることができた。
 ほっとしてわたしは相好を崩す。
 見ると、カインさんはすこし驚いたように瞬きをしていたけれど、やがて満ち足りたような穏やかな笑顔を浮かべた。
「ポロム・・・!」
 カインさんはわたしの顔を肩に引き寄せた。
 ああ、幸せ。幸せすぎる。
 想いが通じ合うことがこんなに素敵なことだなんて。
 わたしはカインさんの背に両手を回し、ぎゅっと抱きついた。
 頬を寄せてそのあたたかさを満喫する。
 カインさんも包みこむように抱き締めてくれて、わたしはかつてない最高の幸せに浸っていた。
「・・・ポロム」
「・・・はい」
「今度、俺はバロンに行ってくる。セシルとローザに・・・五年遅れの祝辞を言いにな」
「・・・・・・!」
 はっとして見上げると、彼は翳りのない瞳で微笑んでいた。
 セシルさんとローザさんを祝う――それが言外に何を意味するか、分からないわたしではない。
 まだわたしが小さかった頃、セシルさんたちの結婚披露宴に出席せずにバロン城を去っていったカインさんの哀しげな背中はいまだに目に焼き付いている。
 こころから祝うことができない闇に苦しんできたカインさんも知っている。
 それが、祝えるということは・・・!
「ポロム、君のおかげだ。・・・ありがとう」
「カインさん・・・!」
 わたしは彼の胸に飛び付いた。
 よかった、よかったね、カインさん。
 もう、闇に苦しまなくていいんですね。
 ずっと、わたしがおそばにいます・・・!
 カインさんを蝕んできた闇が消えたことが自分のことのように嬉しくて、わたしの目から涙がこぼれる。
「・・・明日、買い物に付き合ってくれるか? 祝いの品など何を送ったらいいのかわからんのでな」
「はい、何件でも、何十件でもお供しますっ!」
 カインさんの胸にぎゅっと涙を押しつけたわたしを、大きな手が優しく撫でる。
 夢なんじゃないかと思ってしまうほどの幸せの中、わたしは胸中でもう一度カインさんへの想いを繰り返した。
 ねえ、カインさん。
 わたしは、あなたのことが、大好きです。

次のページへ進む

UP