16,ふたりで街へ(3)

 しばらく歩いてわたしが立ち止まったのは小ぢんまりした古めかしい店の前。
「お祝い、ティーカップのセットなんていかがですか?」
「ティーカップ?」
「はい。ミシディアは白い陶器が名産なんです。セシルさんは紅茶がお好きでしたから、カップとソーサー、スプーンのペアセットに紅茶葉をお付けしたらいかがかと思うのですけど」
「・・・なるほど。確かにセシルとローザは魔導船の中でもよく茶の時間をとっていた」
 カインさんが満足げに頷いたのを確認し、わたしは店の扉を開けた。
「こんにちはー・・・あら?」
 だがそこにいたのは予想外の人物だった。
「ぬぬ・・・そこで飛車を動かすとはお主やるのお・・・!」
 カウンターをはさんで店主とにらみ合っているのはなんとミンウ長老だった。
「長老!?」
「邪魔をするでない! わしは今猛烈に忙しいんじゃ」
 振り向きもせずに長老は言った。
 唖然としていると店主がぺこぺこしながらこちらに助け船を差し出す。
「やあ、いらっしゃいませ。すみませんねえ、数か月前にエブラーナ王が下さった『将棋』というゲームが流行っておりましてね」
「・・・エッジの奴」
 呆れたようにカインさんがため息をつく。
 その声に、長老がにやりと笑って振り向いた。
「久しいな、竜よ。もう死んだかと思うておったぞ」
「あいにく死ぬわけにはいかなくなったものでしてね」
「ほう・・・? 確かに、しばらく見ぬ間に憑き物が取れたような面構えになりおって」
「だから俺は今日ここにいるんです」
 そしてカインさんはすっと進み出ると、長老の将棋の駒を勝手に動かした。
 わたしには分からなかったけれど、それは状況を打開する最善の一手だったようで店主が目を丸くした。
「・・・バロンに、行ってきます。親友を祝いに」
 カインさんの落ち着いた声に、長老は一瞬動きを止めた。
 でもすぐにしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして相好を崩した。
「そうかそうか、バロンにのう。ついにこの日が来たか」
 うんうんと満足げに頷く長老に目線を合わすように屈んで、カインさんは柄にもなく頭を下げる。
「・・・あの日俺を助けてくれた貴方のおかげです」
「ふぉっふぉっふぉっ、わしが助けたのはお主の命だけじゃ。こころまでは救っておらんよ。礼ならポロムに言うがよかろう。」
「ちょ、長老!」
 突然名前を出されてわたしは頬を染めた。
 まったく、この長老は何もかもお見通しなのだろうか。
 人のこころの奥の奥まで見抜いているんじゃないかと時々思わされる。
「もうっ。変なこと言わないでくださいっ!」
 わたしはぷりぷりしながら店主の方に向き直る。
 そして先程カインさんに提案した祝いの品を注文した。
「ティーカップ、ソーサー、スプーンのペアセットと茶葉ですね、かしこまりました。包装しますので少々お待ちくださいね」
 そして店主はいそいそと店の奥へ消えていった。
 その背中を見送り、長老はすこし真剣な顔になって声音を落とした。
「・・・これでもう、安心じゃ」
「安心?」
 カインさんが訊き返す。
「わしがお主を助けた時言ったことを覚えておるか? お主のこころの闇は悪霊たちの恰好の獲物になりうると言ったことを」
「はい。それに対抗するために試練の山で精神の修行を積ませていただいたこと、感謝しています」
「うむ。実はそれにはもうひとつ理由があっての・・・」
 そこで長老はいったん言葉を切った。
「・・・お主の闇は深く、あまりに暗すぎた。それは悪霊たちにとって真夜中の灯よりも明るく映ったことじゃろう。正直・・・再び悪に利用されても仕方がないかと危惧しておった。わしはお主を・・・野放しにはできんかったのじゃよ」
 わたしは派手な音を立てて椅子から立ち上がる。
「そ、それって! カインさんを見張るために、長老の目の届く試練の山に留め置いたってことですか!?」
「そう思うてくれても構わぬよ。何か異変が起これば刺し違えてでも阻止するつもりじゃった。じゃが」
 そこで長老は目を細めた。
「杞憂じゃったようじゃな。今のお主には、悪霊がつけ入る陰など一片もない」
 慈愛にあふれた笑みがカインさんに向けられた。
「長老と・・・ポロムのおかげです」
 静かに言ったカインさんの声にわたしの胸がドキンと跳ねる。
「ほっほ、この子はなかなかに癖があるが偏屈者のお前さんにはぴったりなようじゃな! 結構結構!」
「もう、長老! 変な言い方しないでください!」
 わたしは顔を赤らめて抗議したけれど、長老は「ふぉっふぉっ」と笑うばかり。
 わたしはぷいっとそっぽを向いた。
 視界の端でカインさんを盗み見ると、カインさんも何だか照れくさそうに頬を掻いていたのですこしわたしの気持ちは落ち着く。
 そして長老はさらに楽しそうに話を続ける。
「そうじゃカイン、バロンから戻ったらわしの館に来てくれんか。先程の一手、なかなかの棋士と見た」
 何かと思えばそれですか、とわたしは苦笑した。
 よほどエッジさんのお土産の将棋がお気に入りらしい。
「魔導船でさんざんエッジの相手をさせられましたからね、俺でよければいくらでも。それに・・・」
 すこし声のトーンを落としたカインさんに長老の目が光る。
「どのみち、お伺いするつもりでした。すこし・・・気になることがあるので」
「ほう?」
 気になること?
 わたしも首を傾げる。
 でもそんなに神妙な顔をして告げるようなことは何も思い当たらない。
 きっと後で教えてくれるだろう。
 その時はわたしはそんな軽い気持ちで、決して深くは考えなかった。
 まさかカインさんのこの危惧がのちにわたしたちをおびやかす大事件になろうとは、思ってもいなかったのだ――。

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