17,帰郷(2)

「さあカイン、ローザにも」
 セシルに促され、帰郷の感慨深さを感じながら俺はソファの方へと進み出た。
 近づくと、まるで胡蝶蘭のような微笑が俺に向けられた。
 高く結い上げられたたゆたう髪、陶器のような白い肌、美しい曲線を描く女性らしいプロポーション。
 俺が長年焦がれてきた麗しき女性――ローザがそこにいた。
「久しぶりね、カイン。もうバロンのことなど忘れてしまったのかと思っていたわ」
 ころころと鈴の音のように笑いながらローザが言った。
「すまん・・・すこし、時間がかかってしまった」
 そう答えた俺のこころは驚くほど平静だった。
 薬指に指輪を嵌め、セシルの妻となったローザを見れば以前の俺ならばふつふつと暗い嫉妬の念を煮えたぎらせていただろう。
 だがこの時、俺はただただ帰郷と再会を喜んでいる自分自身に気がついた。
 ローザに恋い焦がれたことも、今ではもう昔の思い出だと思える。
 そうか、俺の闇は本当にあの少女が消し去ってくれたのだな。
 幸せそうなセシルとローザをこころから受け入れられることがこんなにも喜ばしいとは。
「今日は、五年遅れの祝辞を言いに来た」
 ローザの隣にセシルが座るのを待ってから俺はふたりの向かいに腰かけた。
 言葉は、驚くほどになめらかに俺の口から流れ出た。
「結婚おめでとう」
 たったそれだけのこと。
 字面にすればたった七文字の台詞だが、それが言えるようになるまでどれほど時間がかかったことか。
 俺の中でとてつもなく大きな意味を持つその台詞を、俺はようやく、ようやく云うことができたのだ。
 晴々した思いで俺は目の前のふたりを見つめる。
 一瞬驚いたようにしていたふたりの表情が、笑顔に変わった。
「ありがとう・・・カイン!」
 ローザの笑顔がこぼれる。
「カイン、ありがとう! いつか君が来てくれると信じて待っていてよかったよ・・・!」
 そしてふたりは何かを囁き合うと、ひとつ頷いてから俺に向き直った。
「カイン、実はね。今ローザには新しいいのちが宿っているんだよ」
 まだほんの一部の人にしか知らせていないんだけどね、と付け加えてセシルが小声で言った。
 はにかみながら腹部を愛おしそうに撫でるローザ。
「新しいいのち・・・?」
 新たなひとつのいのち。
 セシルとローザの愛の結晶とも言うべきいのちが・・・?
「そうか・・・! それは、めでたいな!」
 俺は自然と相好を崩していた。
 めでたい。
 それ以外に言い表せる言葉などない。
 寄り添い微笑み合うふたりを俺はこころの底から祝福した。
「ありがとう。あなたにそう言ってもらえると嬉しいわ」
 そう言って穏やかに微笑むローザはもう母親の顔だった。
 俺は祝いの品を取り出した。
 ポロムに選んでもらったティーカップのセットだ。
 ・・・ポロム。
 彼女がいなければ、こんな風にふたりを祝福するなどということはできようもなかっただろう。
「よかったら使ってくれ」
 包みごと差し出すと、セシルがすまなそうに受け取った。
「気を遣わなくてもいいのに・・・でもありがとう、使わせてもらうよ」
「ふふ、何かしら。開けるのが楽しみだわ」
 可愛らしいラッピングを見たローザの顔がほころぶ。
 その幸せそうな様子に俺のこころはほっと温かくなる。
 セシルならば、きっとローザを誰よりも幸せに、大切にしてやれるだろう。
 さて、言うことも言った。
 渡す物も渡した。
 幸せそうなふたりの様子も確認した。
 やるべきことを終え、安心した俺は立ち上がる。
「すまなかったな、忙しい時に」
「えっ、今夜くらい泊まって行けばいいじゃないか」
 セシルの申し出にそれもそうかと一瞬思ったが、俺の脳裏には菫色の瞳の少女が浮かぶ。
 自意識過剰かもしれないが、何となく、彼女は自分を待ってくれているのではないかと思う。
 長老と話す大事な用事もある。
「・・・いや、すまんがそれは次の機会にさせてもらおう」
 そう断るとセシルはしばらく口をへの字に曲げて残念そうにしていたが、やがて立ち上がって俺の横に歩み出た。
「じゃあせめて門まで送らせてもらうよ」
「フッ、律儀な王様だな」
「こっちは五年も待ったんだ、それくらい当然だろ」
 そう言ってすたすたと俺の前を歩き始めた。
 まったく、本当にお人よしな親友だ。
「じゃあローザ、ちょっと行ってくるよ。君は先に部屋に戻ってて」
「わかったわ。カイン、またいつでも顔を見せてね」
「ああ、元気な子どもにお目にかかれるのを楽しみにしておく」
「まぁ、カインったら」
 艶やかに微笑むローザ。
 いつまでも、セシルと幸せにな。
 俺は踵を返し、ローザと別れた。
 それは俺のこころの中のローザの幻影との完全な別れでもあった。
 晴れやかな気分で俺は城の出口へと足を進める。
 その間隣を歩くセシルは絶えず城の者に声を掛けられていた。
 どうやら皆に好かれているようで何よりだ。
「この辺りでいい。お前も執務があるだろう」
 俺は出口が見えた辺りでセシルに言った。
「そうか。またいつでも来てくれよ?」
「ああ、美味い酒でも用意しておいてくれ」
 では、またな。
 そう言って出口に向かいかけた足をふと俺は止めた。
「・・・カイン? どうかしたのか?」
「・・・・・・」
 ひとつだけ。
 ひとつだけ気がかりなことがある。
 こんな幸せそうなやつに水を差すのも気が引けるが、何かあってからでは遅いのだ。
 俺は声のトーンを落とし、ここに来る途中に考え巡らせていた懸念を口にした。
「最近・・・バロンで何か妙なことはなかったか?」
 例えばカイナッツォが蘇ったとか――そこまで具体的には言えなかったが俺は真剣に尋ねた。
 セシルは初めはきょとんとしていたが、俺が存外真剣なことに気づいたらしくすぐに真面目な顔になって首を横に振った。
「いや、特にこれといったことはないな」
「そうか、ならいい」
 俺はほっと胸をなで下ろす。
 まだあの忌々しい四天王はここには現れていないようだ。
 そもそもあの懸念自体俺の単なる予測にすぎないのだ。
「カイン・・・?」
「セシル。俺は今ミシディアにいる。もしこの先何かあったらすぐにミシディアの長老に知らせてくれ。いいか、すぐにだぞ」
 静かに語気を強めて念を押すと、セシルは戸惑いながらも神妙な顔で頷いた。
「・・・分かった。すぐに連絡するよ」
「頼む」
 そうして俺はバロン城を後にした。
 セシルたちを祝福することができ、もう気に病むことは何もない。
 このまま何事もなければよいのだが・・・。
 俺は足早に市街地へと向かった。

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