20,誓詞(4)※エジリディ

 コチ、コチ、コチ。
 静けさの中に時計の秒針の音だけがやたら大きく響く。
 だから、蚊の鳴くようなリディアのか細い声も、十分に俺の耳に届いた。
「あ、あたし・・・」
 身体全体を震わせながらうなだれるリディア。
 そうさせているのはまぎれもなく俺だ。
 すまねぇとは思う。
 酷なことを言っているのは分かってる。
 けど、エブラーナの王たる俺は、もう後には退けねーんだ。
 リディアの本音を全部聞くまで、俺はもう逃げねぇぞ。
 返事を待つ俺に、リディアは潤んだ瞳を向けた。
「あたしだって、エッジが好き・・・一緒にいたい・・・ずっと、ずっと」
「リディア・・・」
 くっ・・・この上なく嬉しい言葉だぜ。
 思わず心が妥協しそうになる。
「でも、じゃあ、何でダメなんだよ・・・?」
 極力穏やかな声音を心がけて問い返すと、リディアはふるふると首を振った。
「あたしじゃダメなの! あたしじゃ・・・エブラーナの王妃にはなれない・・・!!」
 半ば叫ぶように、リディアは言った。
 同時にぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちた。
「・・・やっぱり、王妃になるのは嫌か?」
 これはあらかじめ予想していたことだった。
 誰だって、王の嫁になるなんてことは受け入れ難いもんだろう。
 旅の途中で出会い、王族を意識することなどさっぱりなかった俺たちならなおさらだ。
 さらに言えば控えめな性格のリディアだ、ミストの田舎でのどかに暮らしていたのが突然エブラーナの頂点に立つなんてのは想像もつかねー未知の領域に違いねぇ。
 ところがリディアの返事は俺の予想とは若干食い違っていた。
「そうじゃないの。王妃になるのが嫌なんじゃないの・・・。もちろん重荷に感じないわけじゃないわ。でも、王妃になったら頑張って公務をまっとうしたいと思ってる」
 ・・・そこまで考えて、覚悟を決めていてくれたのか。
 けどそれじゃあなおさら疑問が残る。
 俺のことが好きで、王妃になるってのも了承してくれてんのに何で結婚はダメなんだ?
「・・・もしかして、召喚士は結婚できねーなんて掟があるとか?」
 まさかとは思ってそう訊くと、リディアは涙を拭いて苦笑した。
「ううん、そんなことないよ。だってあたしのお母さんだって、お父さんと結婚してあたしを産んだんだもん」
「そっか、そうだよな」
 ・・・じゃあ、何でだ?
 俺が予想していた理由はあらかた否定されてしまった。
 他にどんな理由が残ってるってんだよ?
 俺が難しい顔をしていると、リディアは俺の心を読んだかのように、静かに話し始めた。
「・・・エブラーナ、だから」
「・・・え?」
「忍の国、エブラーナだから・・・」
 俺は一瞬意味が分からずに眉をひそめた。
 エブラーナだから?
 リディアはエブラーナが嫌いなのか・・・?
「エッジは忍の国エブラーナの王にして、忍一族の長・・・。エッジのお父さんやお母さんも優秀な忍で、みんなの長だったんだよね。きっと、エッジのおじいちゃんやおばあちゃんも」
「あ、ああ・・・確かにそうだけど」
「そのまたお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんも優秀な忍の王だったんだわ。・・・その血が、代々受け継がれている」
 そこまで聞いた時、俺はようやくリディアの懸念を理解した。
「リディア、まさかオメー・・・!」
 突如、リディアは音を立てて立ち上がった。
 涙がぽたぽたとテーブルの上に落ちて染みを作る。
「あたしは! あたしは召喚士・・・忍じゃないもん! 忍の血を薄めてしまうどころか、召喚士の血まで混ぜてしまう・・・!!」
 リディアは叫ぶように言った。
 どうすることもできない事実に悲しみ、ぶつける先のない憤りを持て余すように。
「あたしじゃエブラーナにふさわしい後継者を残すことができないんだよ・・・!!」
 そしてリディアは顔を覆ってわあっと泣いた。
「・・・それでずっと、俺との結婚を・・・?」
 涙を落としながら頷くリディア。
「エブラーナのためを思って、拒否してきたのか・・・」
 泣きながらリディアはこくこくと頷いた。
 リディア・・・!!
 俺はたまらなくなってリディアを抱き締めた。
 強く、強く。
「すまねぇ・・・! 俺は何にもわかっちゃいなかった・・・!!」
 エブラーナの未来のために、リディアが俺との結婚を辞退していたなんて。
 それなのに、俺はありきたりな理由ばかり予想して自分だけが辛い思いをしている気になっていた。
 最低の馬鹿野郎だ。
 本当は、リディアが一番辛かっただろうに・・・!!
 リディアはこれまで溜め込んでいたものを全部吐き出すように俺の胸でさんざんに泣いた。
 これは、俺が今までリディアを安心させてやることを怠っていた報いだ。
「すまねぇ・・・!!」
 その言葉を繰り返し、俺は懸命にリディアを抱き締めた。
 確かにエブラーナの王は、王であると同時に忍一族の長となる宿命を負っている。
 そのため優秀な世継ぎを残すべく、昔は王妃候補を決める忍術大会を開いて、優勝した『くの一』を妃に娶るという王も少なくはなかった。
 今はもうそんなことはしちゃいないが、実際、じいが俺に勧めてくる見合い相手はトップクラスの実力を持つくの一ばかりだ。
 けど、そんな王ばかりじゃねぇ。
 俺の親父とおふくろは恋愛結婚だった。
 酒場の歌姫だったおふくろに親父が一目惚れしちまって、何度も何度も通いつめて口説き落としたって話だ。
 身分も全然違うし、おふくろが特別優秀なくの一だったわけでもない。
 案の定、保守派の連中からは批難の声が上がったらしいが、国民はそうはならなかった。
 その理由のひとつが、親父がおふくろをこれでもかというくらい大切にし、その想いの強さが国民に伝わったこと。
 そしてもうひとつが、おふくろ自身の人気の高さだ。
 歌姫としての人気はもとより、その明るい笑顔と村娘のような庶民的な振る舞いは国民に快く受け入れられ、おふくろの服装の真似が流行るなど一種の社会現象にもなったほどらしい。
 そんな国民の声援に後押しされて俺の両親は無事結婚し、おふくろは今でも『最も国民に愛された王妃』として語り継がれている。
 リディアが同じように受け入れられるかどうかは断言できないが――エブラーナの民じゃねぇことに文句をつける連中もいるかもしれねぇけど――とにかく、少なくとも、昔よりは保守的な気風は薄くなったってことだ。
 リディアの可愛らしさなら間違いなく皆の人気の的になることだろう。
 それにリディア自身、月の戦役で勝利をもたらした大魔道士としてすでにエブラーナではセシルたちと並んで有名になっている。
 その召喚魔法や黒魔法の実力についてケチをつけるヤツなんかひとりもいねぇ。
「・・・いいじゃねぇか、オメーの血が混じったって」
 俺はリディアのふわふわした髪に顔を埋めて言った。
「今やオメーは世界を救った最強の召喚士様、黒魔道士様だ。その気高い血を恥じる必要が、どこにある?」
「エッジ・・・」
「想像してみな? 忍術だけじゃなく黒魔法も操る忍者。しかも召喚獣まで呼び出せる! これほどすげぇ世継ぎはいねーぞ?」
「でも・・・みんなに、反対されたら・・・?」
「そんときゃオメーのおふくろのドラゴン召喚して皆に見せてやれ。そうすりゃオメーの血がどれだけすげぇもんか皆わかってくれるさ。むしろエブラーナにもたらされた新たな可能性だと考えてくれるかもしれねぇ」
「でも・・・あたしのせいで、エブラーナ王族の伝統が・・・」
「気にすんなよ! 昔、親父が俺に言ったんだ・・・自由に生きろ、ってな。自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えて、自分で決断して、自分で人生を掴みとれ、って・・・。それが親父の教えだったから俺はこんなふうになっちまったんだけどよ。まぁそれは置いといてだな・・・とにかく、俺がデントウだのシキタリだのに囚われて幸せな人生掴めなかったとしたら、俺はあの世の親父に大目玉くらっちまうんだよな。親父の鉄拳はトンカチより痛ぇからできれば遠慮してぇんだよなァ・・・」
 茶化すように俺が言うと、腕の中のリディアがくすっと笑ったのがわかった。
「・・・セシルも言ってたじゃねぇか。『正義よりも、正しいことよりも、大事なことがある』ってよ。同じだと思うぜ? 血よりも、伝統よりも、大事なことがある」
 セシルの親父さんの受け売りだというあの言葉。
 妙に心に突き刺さって今でもよく覚えている。
 リディアも同じらしく、ひとつこくりと頷いた。
「でも・・・」
 『でも』を繰り返すリディアを胸から離し、俺は目線の高さを合わせてまっすぐに見つめた。
「心配すんな・・・必ず、俺が幸せにする。何があってもオメーを守る。絶対にだ。だから・・・」
 愛しい、リディア。
 健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも、慈しみ、敬い、慰め、助け、この命ある限り、全身全霊をもってオメーを愛し続けるからよ。
「だから・・・俺の嫁さんになってくれねぇかな。しわしわのジジババになるまで一緒にいようや」
「・・・・・・!!」
 息をのんだように俺を見つめるリディア。
 でももうその表情は、困惑のそれではない。
 そして、ついに、リディアは首を縦に振った。
「・・・うん!!」
 リディアはぶつかるようにして俺の胸に飛び込んできた。
 そして子どもが親にするようにぎゅっと俺にしがみついてぐしゃぐしゃに泣いた。
 俺はあやすように髪を撫でてやりながら目を閉じる。
「ありがとな・・・リディア」
 こころの中が、あたたかい感覚で満たされていく。
 愛しい人と結婚できる――それがこんなに嬉しいことだとは。
 親父とおふくろも、昔こんな気分だったのかな。
 俺、頑張るからよ。
 親父たちに負けねーくらいの幸せ家族築いてやっから、天国から見ててくれよな。
「エッジ」
 リディアが泣き笑いの顔を上げて言った。
「これからもよろしくね」
「ああ。ゲリュオン倒したら、式挙げような。その後は世界一周旅行だ」
「ふふ。絶対、ゲリュオンに負けられないね」
「ったりめーよ! 俺たちの新婚生活がかかってんだ!」
 俺は、もう一度リディアをきつく抱き締めた。
 痛いよ、なんて文句言われても放してやんねぇぞ。
 ずっと、ずーっと、一緒にいような。

 俺たちが共に歩む人生は、まだ始まったばかり――

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