23,エピローグ(1)

– Porom Side –

 ゲリュオンの脅威は去った。
 各国の情勢が落ち着いた後、わたしは再び試練の山に――否、試練の山があった場所に立っていた。
「嘘みたいですけれど……」
 わたしは辺り一周をぐるりと眺める。
「試練の山は、もうないんですね」
 切り立った岩山はゲリュオンの自爆によって壊滅し、地面に大穴を穿った。
 その夜爆発の熱を浄化するかのように雨が降ったため、今では試練の山は広大な湖のようになっている。
 森の中に突如生まれた湖は、瓦礫の堤に囲まれて穏やかに水面(みなも)を輝かせている。
 今はまだ単なる水たまりにすぎないけれど、やがてここから川ができ、豊かな生態系が築かれてゆくだろう。
 死霊の山は、生命の湖へと生まれ変わるのだ。
「何か言いたそうな声音だな」
 樹の幹に背を預けているカインさんがわたしに言った。
「人も世界も救われたにしては浮かない顔だ」
 言われてわたしは苦笑する。
「……嬉しいですよ、もちろん。ゲリュオンを倒せて、みんな無事で帰ってくることができて。……でも」
 わたしはきらきらと日光を反射させている水面に目を向けた。
 みんなの未来が守られて嬉しいのは当然だ。
 セシルさんとローザさんは近いうちに新たな家族を迎えるだろうし、エッジさんとリディアさんは両日中にもゲリュオン撃破の宴も兼ねて結婚式を挙げるそうだし。パロムもトロイアでの仕事が評価されているそうで嬉しそうにしていた。
 ……でも。
 試練の山はなくなってしまった。
 死霊の山といえばそれまでなんだけど、わたしにとってはそれだけでは片付けられない。
 つまり……カインさんと出会った、思い出の場所。
 カインさんと楽しい時間を過ごした、かけがえのない場所でもあったのだから。
 それが今やもう見る影もなくなってしまった。
 目の前の美しい湖に不満を言う気はないのだけど、思い出の場所がなくなってしまったのはひどく寂しく、悲しい事実のように思われた。
 わたしが黙っていると、カインさんはわたしのそばにやってきて同じように湖に目をやった。
「……悲しむことはない」
 まるで心の中を見透かしたようにカインさんはぽつりと言った。
 驚いて顔を上げると、穏やかな瞳が私をとらえた。
「俺たちにはこれからたくさんの時間がある。……思い出の地など、また作り直せばいい」
「カインさん……」
 すこしだけ照れくさそうに言ったカインさんに、わたしのこころはほっとあたたまる。
「……そうですよね。これから……ずっと」
 ずっとずっと、一緒にいられるのだから。
 わたしはえへへとはにかむと、カインさんの左肩に寄り添った。

 二日後。
 エブラーナにて、エッジさんとリディアさんの結婚式が盛大に執り行われた。
 誓詞を朗々と読み上げるエッジさんは普段からは想像もつかないほど大人っぽくて凛々しく、エブラーナ式の婚礼衣装に身を包んだリディアさんはこの世のものとは思えないくらいに美しかった。
 何年間も愛し合っていたのに結婚まで踏み切れなかったふたりがようやく今日結ばれたとあって、互いに交わす視線にはたくさんの愛情や喜びが含まれているのが傍で見ていても感じられる。
 厳粛であたたかい式の途中、わたしは何度も何度も涙してしまった。
「よかった……ほんとに、よかったですわー!」
 挙式が終わり、この後は部屋を移してパーティーということで今わたしはエブラーナの控え室にいる。
 緊張が緩んで再び鼻をぐずぐず言わせていると、パロムが鬱陶しそうな顔で目の前にやって来た。
「おいポロム、オメー泣きすぎだぞ! そりゃ感動的だったけどさ……」
「う、うるさいわね~。何よ、あんただってさっきボロボロに泣いてたじゃないのよ~!」
「んなっ……!!」
 言い返してやると、見てたのかよ、と言わんばかりにパロムは顔を赤らめた。
 ええしっかり見ましたわ、リディアさんが「誓います」って言った瞬間、わたしだけじゃなくみんな涙してましたもの。
 特にセシルさんなんか、ハンカチで拭うほどの滝涙で嗚咽を漏らしていらっしゃいましたわ。
「い、いいだろ別に! ポロムと違ってオレは化粧がはげる心配もないんだからよ」
「わたしだってはげるほどお化粧してませんっ!」
 ローザさんに軽くおしろいをはたいてもらって紅をさしただけだもの、パロムに心配されるようなことじゃないわ。
 まったく、この弟は何かにつけて人をおちょくらないと気が済まないんだから。
 わたしがつーんとそっぽを向くと、ようやくパロムは「っと、そんな話をしに来たんじゃなくて」と本題に入った。
「もうすぐ会場の準備が整うらしいんだけどさ、セシルのあんちゃんと竜騎士のあんちゃん知らねーか?」
「そういえば、式が終わってから見かけていませんわね」
「まいったなー、移動するよう伝えてくれってヤンのおっちゃんから頼まれたんだけどなぁ……」
「それは困ったわね、わたしも手伝うわ」
 親友同士のおふたりのこと、きっとどこかで話し込んでいるのだわ。
 わたしはパロムの伝言を伝えにセシルさんとカインさんを探すべく、席を立った。

– Cain Side –

 挙式が終わり、久々にセシルとゆっくりと話せる時間ができた。
 俺はセシルとともに、エブラーナ城の屋上で心地よい風を感じつつ他愛のない話を続ける。
「エッジの奴もようやく結婚か。今まで長かったな」
「うん、本当にめでたいよね。あぁ……思い出すとまた泣きそうだ」
 セシルは目頭を抑えながら笑う。
 月の戦役で長い間リーダーだったから、エッジとリディアに対しては保護者に近いような想いもあるのだろう。
 ひとしきり鼻をかんでからセシルはひと呼吸ついた。
「ねえカイン、ところでさ」
「何だ?」
 ふいにセシルは俺の方に向き直った。
 突然真面目な顔をして、何だというのか。
「月の戦役から約五年、今回ゲリュオンも無事退けることができた」
「ああ、そうだな。早いものだ」
「そろそろバロンに戻ってこないか?」
「――!!」
 俺は一瞬言葉を失った。
 セシルの目は、とてもではないが冗談を言っているようなそれではない。
「実はさ、赤い翼を再結成しようと思うんだ」
「軍部拡大か……?」
 らしくない、と俺が訝るとセシルは首を左右に振った。
「いや、各国への支援を目的とする平和部隊だ。今なお月の戦役による被害が残っている地域はあるし、今後どんな天災や厄災が起きないとも限らない。そういった地域を支援するために派遣する、新生赤い翼だよ」
 そして石塀に肘を乗せて瞼を伏せ、セシルは自嘲気味に呟く。
「偽善だと言われるかもしれないけど……それでも僕は、償いたいんだ」
「セシル……」
「僕が暗黒騎士として犯してきた罪やバロンが各国にもたらした甚大な被害……これらは償っても決して許されることじゃないのは分かってる。でも、それでも、僕はすこしでも何かを返したい」
 セシルは顔を上げて空を仰いだ。昼間の青空に、白い小さな月がひとつ浮かんでいる。
「そしてゲリュオンとの戦いの時……ふたつの月が現れて、確かに兄さんの声が聞こえたんだ。あの時兄さんが助けてくれなければ、僕らの勝利はありえなかった。兄さんは、僕らを、この星を救ってくれたんだよ」
 ふたつの月、それは俺もこの目で見た。
 傷ついた俺たちの身体を回復させ、ゲリュオンの動きを止めたもの――それはあの月、すなわちセシルの兄によるものだった。
「だから僕も、兄さんがそうしてくれたように、この世界の助けになりたい。それが僕の――バロンの勤めだと思うんだ」
 セシルは再び真剣な目つきで俺に向き直った。
「そこでカイン。君に新生赤い翼の騎士隊長を任せたいと思っている。受けてもらえないだろうか?」
「何だと……!?」
 突然降ってきた話に俺は瞬きを繰り返す。
 俺が、赤い翼の隊長に……?
「待て、俺は飛空艇の操縦にそれほど長けているわけでもない。もっと適任者がいるんじゃないのか」
「それなら心配ない。そもそも飛空艇は移動の手段であって軍事としては使わないし、支援活動を担う騎士隊とは別に航空隊も創設するつもりだ。飛空艇のことは航空隊長となるシドに任せればいい」
「しかし……」
 しかし俺は。
 セシル以上に多くの過ちを重ねてきた大罪人だぞ。
 言葉には出さずともその懸念はセシルに伝わった。
「カイン。僕はなにも、君の身体能力だけを買って推薦しているわけじゃない。バロン同様過ちを犯してきた君だからこそ、頼みたいんだよ」
「セシル……」
 そうか、こいつはそこまで考えて、俺に任務を……。
 世界各国を支援する平和部隊の隊長――つまり、俺に償いの機会を与えてくれようとしているのだ。
「もう一度訊くよ。カイン、バロンに戻ってきてくれないか?」
 いつもの人好きのする穏やかな表情とは違う、真剣な眼差し。
 それをまっすぐに受け止め、俺は答えた。
「……分かった。よろしく頼む」
「ありがとう……!!」
 そして俺たちはがっちりと握手を交わした。
 こうして握手をするなど、いつ以来だろうか。
 親友と再びバロンで仕事ができるというありがたい現実に、俺の胸は打ち震えた。

– Porom Side –

「まったく、カインさんたちはどこへ行ってしまわれたのかしら……」
 パタパタと小走りでふたりの姿を探しながらわたしは場内をうろうろさまよう。
 まさか外には出ていないと思うので、どこかにいらっしゃるとは思うのだけど。
「上かしら」
 左右の塔にもいなかったのでわたしは屋上への階段を上った。
 すると案の定、セシルさんの銀髪とカインさんの金髪が風になびいていた。
「カインさ……」
 声をかけようとしてわたしははっと口を塞ぐ。
 何やら神妙な声で話をしている様子だったからだ。
 わたしはそっと陰に隠れて聞き耳を立てる。
『カイン、バロンに戻ってきてくれないか?』
 セシルさんの声にわたしの全身は総毛立った。
 カインさんが、バロンに戻る……?
 ゲリュオン戦後、カインさんはミシディアの長老の館に寝泊まりしていたから、わたしはついそのまま居着いてくださるのかと思っていた。
 だからカインさんがバロンに戻ってしまうなんて、わたしは愚かにも考えもしなかったのだ。
 まさか、まさかうんとは言わないわよね……?
 だって、湖のほとりで言ったじゃないですか、「これからたくさんの時間がある。思い出の地など、また作り直せばいい」って……!!
 しかし。
『分かった。よろしく頼む』
 わたしの目の前は真っ暗になった。
 そんな……嘘ですよね……?
 いいえポロム、カインさんが冗談を言うような方じゃないって知っているでしょう?
 でも、でも、こんなのって……!!
 気がつくとわたしは幽霊のような足取りで陰から出て、震える声で問いかけていた。
「バロンに……行ってしまうんですか」
「ポロム!?」
 そして、わっと顔を覆うとわたしは駆け出した。
「待て! ポロム!!」
 後ろで呼び止めるカインさんの声が聞こえたけれど、千々に乱れたわたしのこころは聞き入れようとしなかった。
 両想いになって、ゲリュオンも倒して、ようやく平穏の時が訪れようとしていたのに――カインさんはわたしを置いて行ってしまうのね!
 カインさんの残酷な仕打ちと自分の運命を呪いながら、わたしはただただ逃れるように走った。

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