23,エピローグ(2)

「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
 無我夢中で走った。カインさんがわたしを置いてバロンに帰ってしまうという悲しさ、寂しさ、そして憤りが私をそうさせた。
 ひどい。
 どこにも行かないって言ったのに。
 あの言葉は嘘だったんですか……?
「……っうっ……うわああん……」
 膝を抱えて座り込んだ場所は白砂の上だった。
 周囲に構わず走っているうちにエブラーナ城を飛び出して浜辺まで出てしまっていた。
 カインさんが行ってしまう。
 私のもとから去っていってしまう。
 いくらセシルさんの頼みとはいえ、少しくらい躊躇してくれてもいいじゃないですか。
 ミシディアにいる私を置いてはいけないと、わずかでも拒否してくれてもいいじゃないですか。
 私は、そんなにも簡単に切り捨てられるものなんですか……?
 信じたくない事実が胸を締め付ける。苦しい。苦しい。苦しい……!
 その時、砂を踏みしめる音とともに背後からカインさんの声が飛んできた。
「ポロム!!」
 声を聞いた瞬間、子どもっぽくて我侭な私のこころは、悲しさ苦しさだけでなく荒ぶる炎を巻き起こした。
 勢いを殺そうともせず私は言葉の刃をカインさんに投げつける。
「嘘つき! カインさんの嘘つき!!! 私のことなんてどうでもいいんですね!!!」
「待て。ポロム、俺は」
「は、放してくださいっ! どうせ私を置いてバロンに行くんでしょう!?」
「話を聞いてくれ、」
「もう、ほっといてくださいっ!!」
「聞け、ポロム!!!!!」
 びくり。
 滅多に聞かないカインさんの強い語気に、掴まれた私の肩が跳ねた。
「……聞いてくれ、ポロム」
 真剣な眼差しが、私の瞳を射すくめる。
 こころの中で暴れていた炎が時を止めたかのように静止した。
「……何ですか」
 この期に及んで話だなんて、言い訳? それとも許しでも乞うつもりですか?
「俺は……バロンで生まれてバロンで育った。当分帰ってはいないが家もある。バロンの街は俺の庭のようなものだ」
「それが何か?」
 だから故郷であるバロン帰るのは仕方ないとでも仰りたいわけ?
 それではわたしの気持ちはどうなるの!
「君はミシディアで生まれ、ミシディアで育った。ミシディアという地、そして人々をどれだけ君が愛しているか俺は分かっているつもりだ」
 今更何を仰っているの?
 分かりきった話に私は眉をしかめた。
「だがそれを承知の上で君に言いたいことがある」
 何――と問うよりも先に。
「俺と……バロンへ来てくれないか」
「……へっ?」
 バロン……へ?
 えっ、待って。それってどういうこと?
「君がミシディアを愛しているのはよく知っている。それを捨ててバロンへ来いなどと言うのは酷な願いだとも承知している。だがそれでも……俺は君を、バロンへ連れていきたい」
「バロンへ……私を……?」
 目の前には真剣そのもののカインさんの瞳。
 しかし私の頭の中はといえばまったくの逆で疑問符ばかりが浮かぶ放心状態、憤りの炎すらかき消えてしまった。
「えっ、ええええっ!??」
 怒りと悲しみに傾いていた感情が一気に反対のベクトルに動き出す。
 唖然とする中、それでも脳が現実を理解しようと忙しく状況把握に努める。
 徐々に組み合わさっていくパズルのピースのごとく、わたしはようやくカインさんの言わんとすることを理解し始めた。
 同時に変な熱が顔に立ち上る。
「えっ、えっ、そ、それってあのあのあのあのあの」
 どういう意味ですか、ううん、どういう意味もこういう意味もないわよね……?
 どう頑張ってみても導き出される答えはひとつしかないわけで……。
 カッカと火照る頬を押さえカインさんを見上げると、幾分緊張気味な固い表情でカインさんは続けた。
「君とバロンで共に暮らしたいんだ。そして……俺の妻になってくれないか」
「…………!!!」
 つ、ま。
 つま、って。
 つま、つま、妻……妻ー!!??
「カカカカカカカインさん!? 貴方、今、『妻』って仰いました……??」
 完璧に動転してしまったわたしは声がひっくり返るのにも構わず問い返す。
「……落ち着け、ポロム。まったく、プロポーズのつもりなんだがな……」
 ふう、とカインさんが困ったように苦笑して溜息をつく。
「ぷ、プロポーズ……」
 あぁ、もうダメ。
 わたしの頭はこれ以上の刺激には耐えられませんわ……もう、思考がぐるぐる回って、何が何やら……。
 けれど今にも卒倒しそうなわたしの肩をカインさんの手が逃すまいと掴んでいる。
「ああ。はっきり言おうか、俺と結婚してくれと言っているんだ」
 結婚――
 頭は沸騰、こころは動転。
 けっこん。わたしが、カインさんとけっこん……
 夢かうつつかも分からないような焦点の定まらない目でカインさんを見上げた。
 わたしとは対極なくらいに真摯なカインさんの眼差し。
 穏やかで、けれどどこか緊張したような。
 それを見た時、わたしは冗談ではないのだと悟った。
 ……ポロム、しっかりしなさい。
 カインさんが意を決して言ってくださってるんじゃないの。
 わたしがひとり動転して、しっかり受け止めないでどうするの。
 これは夢じゃないのよ、真っ直ぐな言葉には真っ直ぐに答えなければ。
 さあ、ひとつ深呼吸したら今度はわたしが答える番よ。
「……嬉しいです」
 内心ではうち震えながらもわたしははっきりと言った。
「わたし、カインさんのお嫁さんになりたいです。ずっと、ずっとそう思ってました」
 試練の山で出会って、好きになって。
 ローザさんに嫉妬したこともあったけど、相思相愛になって。
 ゲリュオンさえも退けて平和になった今、これからももっともっと一緒にいたい。
 カインさんと結婚すればそれが叶う。
 カインさんが別の女の人と結婚してしまうなんて想像しただけで耐えられない。
 そう、カインさんのお嫁さんにはわたしがなるの。
「ポロム……。では……!」
「本当に嬉しい……でも……でも……! わたしはミシディアを離れることはできない!!」
 わたしは叫んだ。
「親同然の長老を残して、バロンへなんて行けない! 頼みのパロムもトロイアに行ってしまったからあてにできない……。カインさんのことは大好きです。結婚して一緒に暮らすなんて胸が躍ります。でも……でも……ミシディアを気にせずバロンへ行くなんてわたしには……!!」
「ポロム、落ち着くんだ。そのことなら」
 カインさんは言葉を切った。
 別の足音、それもふたりぶんの足音が聞こえてきたからだ。
 現れたふたりの姿を見てわたしは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「セシルさん……と長老!?」
 セシルさんが追ってきたのならまだ分かる。
 でもどうして長老がここにいらっしゃるの!?
 エッジさんたちの披露宴会場へ移動したのではなかったの……?
「ふおっふおっふおっ、ポロムがこの老いぼれのことを気にかけておるのではないかと思ってのう」
「えっ……?」
 何、何なのかしら長老のこのしたり顔は。
 まるですべて分かっているとでも言いたげな。
 斜め上を見上げると、カインさんもまったく動揺していなくて、長老と頷き合ったりなんかしている。
 状況が分かっていないのってもしかしてわたしだけ……?
「ポロムや。実は昨夜、彼はわしのところに来おってのう。こう言うんじゃよ。ポロムをバロンへ連れていきたい、結婚させてくれ、とな」
「え、え、えええっ!?」
 愉快そうに笑いながら長老に言われ、わたしは一気に頬が熱くなった。
「えっ? えっ? そうなんですかカインさん!??」
 長老とカインさんを交互に忙しく見比べわたしは詰め寄る。
「ああ。まあな」
「まあな、じゃありませんわー!! どーーーーうしてそう大事なことをわたしに仰ってくれないんですか!!」
「さっき言おうとしたんだが」
「そういう問題じゃありませんわ!!!」
「す、すまん」
 蒸気を噴出しかねない勢いのわたしと、猫背になってうなだれるカインさんを見てセシルさんがくすくす笑っていらっしゃる。
「セシルさんっ! 笑い事じゃありませんわよこんな重要なこと!!」
「あはは、ごめんごめん。早くもカインが尻に敷かれてるなあと思って」
「む、今のは聞き捨てならんな、セシル」
「カイン、君も悪いんだよ、早く言わないから」
「う……」
 黙ってしまったカインさんに肩を揺らして笑いながら長老が話を続けた。
「いやはや、まれに見るような礼儀正しい挨拶じゃったよ。こう、床に手をついて、ポロムがミシディアにとって宝であるのは承知している、それでも、と……」
「長老。野暮な話はやめてもらえませんかね」
「おお、すまんのう。つい嬉しくてな」
 カインさんってば……そんなに正式に申し入れをなさったの……?
 見上げるとカインさんは気恥ずかしそうにそっぽを向いていた。
「……それで、長老は何とお答えになったんです?」
「ふぉっふぉっ! 彼のような好青年を断る理由など見つからんわい! しかと覚悟を聞き届けた上で了承したぞい。当たり前じゃろうが」
 当然のように長老は仰る。
「し、しかし! ミシディアは……」
「心配せんでもええ、わしはまだ介護が要るほど老いてはおらんぞ? それにな、もうじきパロムが帰ってくるのじゃ」
「パロムが!??」
「さよう。トロイアで黒魔法を教えておったんじゃがこのたび任期満了しての。しかも生徒じゃった神官も共に来るというのじゃから心強いて。もっとも生徒といっても姉さん女房なんじゃがの、ふおっふおっふおっ」
 そんな、パロムは何も言ってなかったじゃないの……!
「知りませんでした……それに姉さん女房って」
「お主も一度会っておるはずじゃぞ? ゲリュオン戦で飛空艇上のパロムを補佐しておったレオノーラというおなごじゃ」
「あの女の人!??」
 覚えている。
 確か、ふわふわの金髪で、サイズの合っていないローブを着た、どこかのんびりした雰囲気の女性。
 ゲリュオン戦の後パロムと黒チョコボに乗ってトロイアまで帰っていくのを目撃した。
 まさか年上女性を射止めていたなんて……やるわね、パロム!
「そういうわけでの、ミシディアのことはパロムに任せ、安心してバロンへ行くがよい。お主が最も幸せになれる場所はミシディアではないじゃろう?」
「……長老」
 まさか長老からこのような形でお許しが出るとは思っていなかったわたしの胸は驚きや感動でいっぱいになる。
「ポロム、僕からも頼むよ。どうかバロンに来てくれないかな」
「セシルさんまで!?」
「ほら、今ローザが身重だろ。この先も当分白魔道士としての仕事には復帰できないと思うんだ、公務もあるしね。だからそろそろ白魔道士団を引退するつもりなんだよ、彼女は。ところがバロンには特別秀でた白魔道士がいない。そこに君が講師として来てくれたら僕としては非常にありがたいんだけどな」
 そう言ったセシルさんの表情は、いつもの柔らかいものではなくバロン王としてのそれだった。
「ポロム、バロン国白魔道士団講師職を引き受けてもらえないだろうか」
「わ、わたしが……!?」
 戸惑うわたしの横でカインさんがふっと笑う。
「味な真似を」
「王として有能な人材を招へいしたいだけさ」
 セシルさんはそう答えたけれど、言葉はなくても伝わってくる。
 セシルさんは親友のカインさんがわたしとバロンで幸せに暮らすことをこころから望み、祝ってくれているのだ。
 そのためにわたしの場所まで用意してくださろうとしている。
 実質、ローザさんの後継ぎとなる白魔道士講師職。
 わたしなどに務まるのかしら?
 でも、セシルさんが単に情だけで人事を取り計らうようなお方ではないと分かっている。
 わたしならできる、わたしに任せたい、と思ってくださっているからこのようなありがたいお話をわたしにしてくださっているのだ。
「わたしは……ローザさんに比べればまだまだ実力も経験も及ばない半人前です」
 カインさんの心配そうな視線が降ってくる。
「でも……わたしにと仰っていただけるのであれば、全力で務めさせていただきますわ!」
 セシルさんを真っ直ぐに見上げ、わたしは堂々と言い切った。
 住んだこともないバロンでいきなりそのような高い位の職に就くなんて不安に決まっている。
 暮らしに慣れるのだけでも大変だろうし、よそ者に対して良く思わない人たちもいるだろう。
 けれど、恐れていては新たな世界は開けないわ。
 この先に待つ、新たな幸せも新たな苦難もわたしは受け止めていきたい。
「よろしくお願いしますわ、セシルさん――いえ、陛下」
「こちらこそ、よろしく頼むよ。ポロム先生」
 わたしとセシルさんはがっちりと固い握手を交わした。
「ふぉっふぉっふぉっ、ではポロムや、本日付けでそなたの山守の任を解く! すでに試練の山は生命の湖、もはや山守の手も必要あるまい」
「長老……」
「これからはバロンで頑張るのじゃぞ。なに、辛くなったらいつでも帰ってくればよい」
「……はい!!」
 顔を皺くちゃにして微笑む長老とも握手を交わす。
 長老の手は痩せていて節くれだってはいたけれど、そこには確かな力があった。
 このぶんなら長老がミシディアの指導者の任をパロムに譲るのはまだまだ先になりそうだ、と安心した心地がした。
「今まで……ありがとうございました!!!」
「改まって言われると照れるのう、ふぉっふぉっふぉっ」
「もう、長老ってば……」
 これまでの感謝を伝えたかったのに微妙にはぐらかされてしまった。
 うん、この先の言葉はまだ言わないことにしよう。
 先程の結婚式でリディアさんが幻獣王様たちにしたように、私も晴れの舞台を迎えた時に長老に感謝の手紙を書くんだ。
 長老の手を放すと、今度はカインさんと視線がぶつかった。
 カインさんは一瞬視線をうろうろさせて、苦笑しながらぽつりと零した。
「ポロム。俺には……何も言葉はないのか」
「へっ?」
 素っ頓狂な声を上げてから、わたしは「しまった」と口を塞いだ。
「…………」
 落ち込んだように黙りこむカインさん。
 へっ、じゃないわよわたし!と後悔してももう遅い。
「ごっ……ごめんなさい!!! あの、あの」
 ああもうわたしってば、セシルさんにバロンに誘われ、長老の了解を得た時点で脳内完結してしまうなんて!!
 まだわたしは、何よりも肝心なことを言っていないじゃないのよー、すなわち……カインさんの求婚への返事を!!!
「……カインさん。わたしの答えを聞いてください」
 いじけたように斜め下に落ちていたカインさんの視線がこちらに向き直った。
 わたしはすっと息を吸う。そして短く。
「わたしを、カインさんのお嫁さんにしてください」
 私は言った、出会ってからいつしか夢に見てきたその願いを。
 一寸の嘘偽りも迷いすらもなく、もはや相手に断られるかもしれないという不安すらもなく。
 何にも憚ることなく自分の想いを伝えられるということはこれまで知りえなかった清々しさだった。
「ポロム……」
 わたしの表情が予想以上に晴れやかだったのか、カインさんは一瞬面食らったような顔を見せたけれどやがてふっと微笑んだ。
「……ああ、喜んで!!」
 セシルさん、長老に続く最後の握手の相手はカインさんだった。
 がっちりした大きな手が差し出され、わたしが握り返す。
「不束者ですが、どうぞよろしくお願いしますね」
 いま、未来への扉が開けた――そんな漠然とあるべき事象を、わたしは確実にはっきりと感じた。
 ここからわたしの未来が始まる。
 カインさんとバロンで過ごしていく大切な歳月が始まる。
 カインさんとふたりで紡いでゆく新たな人生のページが始まる。
 エッジさんとリディアさんの門出という今日この晴れの日に突然舞い降りてきたもうひとつの門出。
 わたしはこの日のことを一生忘れることはないだろう。

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