はかなさの狭間で(チェイニー→ユニ子←ジョルジュ)

英雄戦争後、チェイニーとマイユニのお話です。
マイユニは女、名前はフェンリル。
チェイニー→マイユニ(←ジョルジュ)な感じのシリアスです。

   *     *     *

 「行ってしまわれるのですか……?」
 アリティア郊外に広がる草原の波の中、フェンリルは揺れる声で呟いた。
「ああ。おれはいつまでもここにはいられないからな」
「チェイニー殿……」
 夕日を背に受けて無邪気な笑顔を見せるチェイニーはいつもと何ら変わらない。飄々とした所作、どこか厭世的な眼差し。今も、フェンリルのことを視界の中心に当てているようでいて、実はまったく別のところを見ているのではないかという気にすらさせる。
 いつからだろう、彼の瞳にそんな憂いを見出したのは。最初は単なるお調子者かと思っていたのに――

~はかなさの狭間で~

「あの、やはり皆さんにお別れを言ってからのほうが……?」
 フェンリルは背後に小さく見える城をちらちら振り返りながら言った。チェイニーは自分以外、マルスにすら別れを告げずに去ろうとしている。フェンリルとて、つい先程ひとりで城を出てゆくチェイニーに気付いたからこそこうして別れを惜しんでいるのだ。
「いや、いいんだ。あの甘ちゃん王子のことだ、会っちまうと引き止められるに決まってる」
 チェイニーはからからと笑う。そんな軽口も、フェンリルにはもの寂しく聞こえてしまう。
「それに……顔を見たら、別れづらくなるだろ」
 唇の片側だけ持ち上げて、チェイニーは言った。紅い髪が夕日を受けて燃えるように輝いている。憂いを帯びたその表情とあまりに対照的で、フェンリルは思わず声を詰まらせた。
「だ、だったら……! ずっと私たちと一緒に……!」
「それはできない」
 チェイニーはきっぱりと首を振る。
「なぜです!? あなたは人間が嫌いだと仰るけれど、本当にそうなのでしょうか!? 少なくともマルス様のことは好いていたはず……」
「フェンリル。おれは人間が嫌いだ。それは今でも変わらない」
「チェイニー殿……」
 毅然とした態度で断言され、フェンリルの声は小さくなった。人間嫌いを公言していたチェイニーだったが、戦いを通して自分たちと多少なりとも打ち解けてくれたものだとばかり思っていたのに。
「……ごめん、言い方が悪かったな」
 しゅんとしてしまったフェンリルに苦笑して、チェイニーは言葉を変えた。
「嫌なんだよ。人間はすぐに死んでしまうから」
「…………!!」
「人間の寿命はおれたち竜族に比べてはるかに短い。仲良くなっても、あっという間におれを置いて逝っちまう。おれは、そんな人間の死をたくさん見てきた」
「人間の、死……」
「誰かが死ぬたび、周りの人間は喪に服す。それは死者の冥福を祈るためだって言うけど、半分は自分たちの中で死を納得させるための儀式だとおれは思う。死者は神様のいる天国に迎えられて幸せに暮らすんだって思うことで、自分たちが救われてるのさ。残された人間がそう思いたいだけなんだ。『死んだら何も残らない』よりはそのほうが精神的にマシだからな」
 チェイニーはそこで一旦言葉を切って、茜色の空を見上げた。また、あの遠い目だ。雲の向こうに誰か懐かしい人々の姿でも思い描いているのだろうか。
「けど、結局は死んだら何も残らないんだ」
 驚くほど感情のない声でチェイニーは言った。
「死は消滅だ。記憶の中にこそ残っても、そいつはもう帰ってこない。永遠にな」
 そう言った横顔は、もう悲しみに暮れることを放棄したような、世の無常を身を以って知る者の顔だった。
 死は消滅、もう帰ってこない、永遠に。
 フェンリルは胸中でチェイニーの言葉を反芻する。思い出されるのは祖父の姿。厳しさとたくさんの愛情を与えてくれた祖父。しかしもうこの世にはいない祖父。祖父の死、それは祖父という人間が亡骸という“モノ”に変わってしまった瞬間だった。だからフェンリルも分かるのだ、死とは生命の消滅なのだと。
「こうして悠久の時を生きてきて、何度も人間の死を見てきた。もう……たくさんなんだよ、あんな思いするのは」
「だから人間とは深く関わりたくないと……?」
「ああ。深く関わればそのぶん、死が辛くなる」
 フェンリルは唇を噛んだ。
 チェイニーの言っていることは理解できる。自分だって唯一の家族であった祖父を亡くして人の死を知り、願わくばもう誰も死なないでほしいと思っている。あのような悲しい思いは二度としたくはない。
 けれど、だからといって誰とも親しくなるまいと考えたことなどはなかった。いつか死は訪れる。それでも、出会いや交流は何にも代えがたい喜ばしいものだと思うのだ。
 そんなフェンリルの頭をぽんぽんと撫で、チェイニーは笑った。
「気にするな。フェンリルには……人間には分からなくて当然さ」
「チェイニー……殿……」
 知らないうちに、涙がこぼれていた。
 なぜ泣いているのか分からない。祖父の死を思い出したからなのか、チェイニーの境遇が不憫でならなかったからなのか。ただ何かが悲しくて仕方がなかった。
「おいおい、泣くなよ。おれだって昔は人間と暮らしたこともあったんだぜ? 好きな子だっていた。フェンリルに似た、負けん気の強い子だったよ」
「負けん気……って……!!」
 むっとして上目遣いに睨むフェンリルの目元にチェイニーの指がそっと触れる。
「はは、怒った顔は似てないかもな。もう忘れちまった、何百年も前のことだからな」
「からかわないで……ください……!」
 フェンリルの涙をすくって、チェイニーはそっとフェンリルを抱き寄せた。
「……! チェイニー殿……!?」
「フェンリル、君のことは好きだよ。一緒にいたいと思う。昔のおれならそうしたかもしれない。でも、おれは行くよ。そしてもう会うこともない」
「……っ……!!」
 フェンリルの瞳から大粒の涙が落ちた。
 寂しさ、悲しさ、哀れみ、色々な感情が綯い交ぜになって溢れ出し、止めることができない。フェンリルはチェイニーの胸に額を押し当て、声を殺して泣いた。涙が嗚咽に変わるまで、チェイニーは優しく髪を撫でていてくれた。その時チェイニーがどんな顔をしていたのか、フェンリルには見えなかった。
「さ、もう行くから」
「……うっ、ひっく……」
「……フェンリル、泣いてくれるのはありがたいんだけど、あまり男の前で涙を見せないほうがいいと思うぜ? 勘違いしそうになる」
「勘違い……?」
 赤い目をして小首を傾げるフェンリルを離しながらチェイニーは苦笑する。やっかいな女に惚れちまったもんだ、と。
「ほら、向こうで怖い顔したお兄さんが待ってるぜ」
 チェイニーは少し離れた場所のポプラの木を指さした。そこにはなかなか戻ってこないフェンリルを迎えに来た金髪の弓使いの姿があった。落ち着いた横顔ながらも今にも弓矢を射んとする眼光がチェイニーを突き刺している。
「ジョルジュ殿……!」
 フェンリルが目を丸くしたその隙に。
「じゃあな、フェンリル。元気でな」
 チェイニーはフェンリルの額にくちづけを落とした。
「チェ、チェイニー殿!? 今、何を……!??」
「ははっ、皆によろしく!」
 からからと笑って、チェイニーはさっと身を翻し、何事もなかったかのように去っていった。
 突然の出来事にどぎまぎしながらフェンリルはチェイニーの背を見送る。チェイニーは一度も振り返ることなく、真っ赤に染まった夕焼けの中へと消えていった。
 まるで、明日またひょっこり帰ってくるような、そんな足取りで――。
 少しひんやりした風が草木を揺らす。フェンリルの頬を撫でる。乾いた涙の跡が冷たい。
 もしかしたらチェイニーは人間になりたかったのかもしれない、とフェンリルは思う。悠久の時を生きるよりも、人間と共に生き、共に死にたいのかもしれない。だって彼は本当は人間が大好きなのだから。
「……戻ろう、フェンリル」
 振り返るとポプラの木のそばでジョルジュがフェンリルを待ってくれていた。
「……はい」
 フェンリルは寂しげに微笑み、頷いた。

 一本の白い羽根と小さな紙切れがフェンリルの文机に置かれている。
 それは、赤毛の竜族が愛用していた羽飾りと、『ありがとう』というメッセージ――

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