知らなきゃよかった(チェイニー→マイユニ→ジョルジュ)

前のSS、『はかなさの狭間で』の少し前のお話です。
英雄戦争中、アンリの道から帰還したマルスたちによって奪回されたアリティアにて。
チェイニー→マイユニ(→ジョルジュ)のSS。

マイユニの名前はフェンリル、女スナイパーです。

   *     *     *

 ~知らなきゃよかった~

 アンリの道から帰還したマルス王子により奪回されたアリティアの城では、皆が思い思いのやり方で束の間の休息を謳歌していた。飛竜、火竜、氷竜と激戦を繰り広げた彼らは、ある者は羽根を伸ばし、ある者は武器の手入れに精を出し、そしてある者は昼も夜も眠りを貪っている。
 そんな中、アリティア場内をぶらぶらと歩く赤毛の竜族の姿があった。腕を組み、しかめっ面でぶつくさと文句を言いながら歩いている。
「ったく、あんなに怒ることないだろ。エルレーンも冗談の分かんない奴だな。もう少しで消し炭にされるところだったぜ」
 おおこわ、とチェイニーは肩を竦めた。
「ちょっとマリクに化けてちょっかい出しただけなのにさ。いきなり『勝負だ!』はないだろまったく」
 今にも飛んでくる寸前だったトロンの雷球を思い出してチェイニーはぶるっと身体を震わせる。マルスたちと同行し始めてからしばらく経つが、あの金髪の魔道士とは一度も世間話すらしたことがない。だからここらでひとつ仲良くなってみようと思ったのに、どうやらマリクに化けたのは逆効果だったようだ。普段からマリクマリクと言っているからといって仲が良いわけではないらしい。
「あーあ、つまんねぇな。どこかにちょうどいいカモは……」
 いないかな、と辺りを見回した時。
 向こうの廊下から、ショートカットの少女が歩いてくるのが見えた。マルスの近衛騎士、フェンリルだ。歳若く小柄なのに、男性顔負けの弓さばきを見せる軍屈指のスナイパーである。
 彼女とはここまでの道程ですでに何度も話をする機会があったのでだいたいの人柄は知っている。真面目で忠義心に溢れる、どこまでもまっすぐな少女。何十年何百年と悠久の時を生きてきたチェイニーにとって、マルスを除けば久々に強く興味を惹かれた人間である。
「あいつならあっさり引っかかってくれそうだな」
 人を疑うことを知らない彼女のことだ、きっと百点満点の反応を返してくれるに決まっている。それに、自分の気に入っている相手にちょっかいを出すのはなかなか面白いものだ。
 だがここで、いや待てよとチェイニーは眉をひそめた。
「この前マルスに化けた時すぐばれちまったからな、今回は気を付けないと。さて誰に化けるか」
 ふむ、と考えてからチェイニーはひとつ頷く。
「うん、スナイパー同士、ジョルジュにしよう。あいつなら歯の浮くような台詞言っても違和感ないだろ」
 そうと決めたら即実行。チェイニーの身体が光に包まれた次の瞬間、そこには金髪の弓使いが立っていた。ジョルジュになりきってチェイニーは薄い微笑を浮かべる。
「よし、完璧」
 そしてジョルジュに化けたチェイニーはフェンリルが向かってくる廊下へと現れた。
 フェンリルはすぐにこちらに気付き、“気をつけ”の姿勢で足を止めた。
「ジョルジュ殿! お疲れ様です」
「やあ、フェンリル。元気そうだな」
 軽く手を挙げて挨拶をし、さて今日は何を言おうかとチェイニーは考えを巡らせた。ところが、言うよりも早く、フェンリルの表情がさっと曇る。
「……ジョルジュ殿」
「うん?」
 そしてなんとフェンリルは険しい目つきでチェイニーに食ってかかってきたのだ。
「ジョルジュ殿、聞きましたよ! せっかく一息つける時だというのに、貴方は休みもせずに仕事をなさっているそうですね!? どうして貴方はそうやって無理をなさるのですか!」
「えっ、ああ、それは」
 まったく予想外の展開にチェイニーは一歩後ずさった。
 予定ならば、ジョルジュに扮した自分が何か軽口を叩き、うっかりフェンリルが鵜呑みにしたところで変身を解いて怒らせて楽しむ、というものだった。だが予想外なことにフェンリルに先手を取られてしまった。その上、本物のジョルジュだと信じきっているようだからたちが悪い。
「またそうやってはぐらかして! 今日は言わせていただきます、どうか休んでくださいっ!!」
 普段見たことのないフェンリルの剣幕にチェイニーはたじろいだ。
 ジョルジュはスナイパーとしての役割の傍ら、軍の経理係という重役を担っている。軍がひと休みしているこの間にこれまでの出納をきっちりまとめてしまおうとデスクワークに精を出しているらしいと、チェイニーも人づてに耳にしていた。
 だが、それに対してフェンリルがこれほど本気で怒るとは。
「あ、ああ。身体なら大丈夫だから、心配するな」
「心配します!!」
 普段の彼女からは想像もできないほどに感情的な声だった。チェイニーが知らなかった、彼女の熱い眼差し。
「心配……しますっ……! 貴方はいつもいつも……行軍中だって、夜眠る時間を削って経理の仕事をなさっているのを、私、知っているんです。休める時くらい……休んでください……お願いですから……!!」
「フェンリル……」
 ――驚いた。
 チェイニーは素直にそう思った。フェンリルが、これほど感情的になるなんて。いや……これほど感情的になる相手がいるなんて。
 今まで何度か他の人に化けてはフェンリルをからかってきたチェイニーだったが、このような反応をされたのは初めてだった。明らかに他とは違う反応。これは、まるで――
「分かった、分かったから」
 気が付けば、フェンリルをからかってやろうなどという気持ちはすっかり萎んでしまっていた。チェイニーは静かにフェンリルを宥める。
「今日は休むことにする。それでいいな?」
「……絶対ですよ」
 フェンリルは約束を破ったら泣いてやると言わんばかりの表情で見上げてきた。
「ああ、絶対だ」
 そう言って頭を二、三回ぽんぽんと撫でてやると、フェンリルはぽっと頬を染めて固まってしまった。
 その反応にチェイニーは心中で苦笑し、天井を仰いだ。ああ、そういうことなんだな、と。

 変身を解いたチェイニーは、宛てがわれているベッドの上にごろんと仰向けに転がった。灯火も焚いていない薄暗い部屋を、質素なシャンデリアが見下ろしている。
「悪いことしちまったな」
 今更ニセモノでしたとは言えない。とりあえず、フェンリルが心配していたと後でジョルジュに伝えておこう。
「…………」
 チェイニーは深く息を吐く。限りなくため息に似た、空虚な息を。
「あいつ……ジョルジュに惚れてんだな」
 自分で気付いているのかどうかは知らないが、他には見せないあの顔――間違いない、あれは恋する女の顔だった。あの激情だけはいつの時代も変わることがない人間の性(さが)。何百年も人間を見てきたのだから見誤ることはない。
 ああ、馬鹿だな。チェイニーは目を覆う。こんなことならジョルジュになど変身するのではなかった。
「知らなきゃよかった……なんてな。今更」
 チェイニーは自嘲気味に苦笑する。それは人間を嫌いになりきれない、孤独な竜の笑みだった。

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