トレミレ小説 第2話『新しい風』

トレミレ小説第2話です。
第1話の続きなので、第1話をご覧になってからお読みいただくことをおすすめいたします。

前提は前回に引き続きトレック×ミレディ支援Aに加え、今回はノアフィル要素も含んでますのでノア×フィル支援Aも前提としております(要はノアフィルがくっついている状態ということです)。
もっと原作を知りたい方は後日談なども読んでみると面白いかも。

それでは物語は第1話から季節が夏に移った頃、ノアとフィルの帰郷から始まります。

第2話『新しい風』 – Regeneration –

 イリアの夏は短い。ようやく溶けた雪解け水が山河を下り、花々は短い一生に力を込めてここぞとばかりに美しく咲き誇る。銀世界ではしんと静まり返っていた森の中にも、鳥のさえずりや動物たちの声が待ちわびていたように溢れている。街では非騎士団の男たちは農作業に精を出し、女たちは天馬の訓練に明け暮れる、それがイリアの夏だ。
 修行も兼ねての傭兵稼業を一段落させたノアとフィルが久々にイリアに戻ったのはそんなある夏の日、よく晴れた午後のことだった。
「やあトレック、久しぶりだな」
 親友との再会も去年の春以来だ。トレックの職務が終わるのを待って、ノアは彼を夕食に誘った。
「あー……もう一年以上も経つのかぁ。道理であったかくてやけに眠いわけだ」
 通い慣れた定食屋のテーブルの向かいに座ったトレックはあくびを噛み殺しながら答えた。
「ははは、お前は変わらないな、トレック」
 親友が小隊長に昇進したことは風の便りで聞き知っていたが、飾ったふうはまるでない。彼がかつてと何ら変わっていないことに安堵を覚えノアは相好を崩した。
「そっちはまたすぐ出かけるのかい?」
 訊かれてノアは頷く。
「ああ。次の仕事がもう決まってるからな、少し休んで来月からまたフィルさんとしばらく行ってくるつもりだ」
 隣に座るフィルの肩を叩いてノアは言った。
 ベルン動乱のさなかに出会い互いに惹かれ合ったこのふたりは、以来動乱後もずっと行動を共にしている。ノアはイリアの騎士団を抜け、フィルと共に腕を磨くために自由傭兵として世界を巡っているのだ。
「来月はナバタ砂漠に行くんですよ。最近また山賊に狙われているらしいので、里の警護に雇われたんです」
 やる気満々、といった様子ではきはきとフィルが言う。正義感が強くまして斧に有利な剣を扱う彼女のことだ、山賊相手とあっては今から腕が鳴るのだろう。ますます追いつけなくなるな、とノアは胸中で苦笑した。
「ふーん、ナバタかぁ。じゃあまた長くなるんだろうねえ」
「そうだな、しばらくは帰って来られないと思う。そうだトレック、明日は仕事か? もし休みなら久々に手合わせでも……」
 そう提案するとトレックは少し考えたふうに「んー」と間を置いてから曖昧に答えた。
「明日は有給取ってるんだけどなぁ、釣りに行くんだ」
 トレックの釣り好きは昔から知っていたし、自分もよく同行していたので今更何も驚くことではない。
「そっか、じゃあおれも一緒に行こうかな。フィルさんもどう? 多分明日もいい天気だろうし」
「釣り、ですか? ああっでも私はその、お恥ずかしい話なんですが足のない虫は触れなくて……」
 およそサカの血を引く者らしからぬ発言をするフィルを微笑ましく思いながらノアは笑う。
「ははは、餌くらいおれがつけてあげるからさ。一緒に行こうよ」
「そ、それでしたらぜひ!」
 なかなか剣以外のものに触れる機会のないフィルは興味深そうに頷いた。しかし盛り上がるふたりを前に、トレックは静止の手を挙げた。
「あー、明日は無理だと思う、多分」
 親友の意外な言葉にノアは目を丸くする。
「……? どうせお前いつもみたいにひとりで釣りに行くんだろ? いいじゃないかおれたちがいたって」
「いや……多分、人が来るから」
「人? 釣り友達でもできたのか?」
「んー、まぁそんなところかなぁ」
 ノアはじっ、とトレックを凝視した。こんなことは初めてだ。彼はひとりでのんびり釣りをするのが好きだったはずだ。唯一の例外といえば、自分やゼロット将軍など親しい人間の場合だけで。
 のらりくらりと明言を避けるトレックを見つめながら、やつが共に釣りに出かける相手などどんな強者なのだろうとノアは疑問を巡らせた。
「多分、多分、ってはっきりしないんだな」
「うーん……このへんに用があるから来るってだけで、おれと会うかは分からないし」
「はぁ? なんだそれ、お前そのために有給取ってるんじゃないのか?」
「まぁそうなんだけど。一応っていうか」
 いまいちはっきり言わないトレックは、わざと隠しているというよりはどう言えばいいのか自分でも説明に困っているふうだった。ともかく、誰かが明日イリアに来てもしかしたらトレックに会いに来るかもしれないから、念のため有給休暇を取っているということらしい。
「ふーん……まあいいや。とにかく、今月いっぱいはこっちにいるから、また都合のいい日があったら言ってくれよな」
「ああ、分かった。覚えてたら言うよ」
 いつも以上に曖昧なトレックにいまいち釈然とせず、ノアとフィルはいぶかしげに顔を見合わせたのだった。

 翌日。早朝からイリアへ飛んで午前中に視察任務を終えたミレディは、目的地である川辺へ向かっていた。
 ベルン・イリア間で何度か親書が行き交った後イリア領内での安全が保障されたため、視察程度の任務であればミレディ単騎でイリアを訪問することも多くなった。事前に許可を取れば飛竜での上空飛行も可能になったのでわざわざ竜を預けて馬車に乗る必要もなくなり、気候も良いことからずいぶん容易に行き来できるようになってきた。
 そんなわけでミレディは任務が終わると帰国の途につくまでにいくぶん空き時間ができる。真面目な彼女からすれば一刻も早く帰国するべきではとはじめは思っていたのだが、それはギネヴィア女王によってやんわりと否定されてしまった。
「せっかくイリアまで行くのだから、ご友人にご挨拶していらっしゃい」
 そう言われ、ミレディは女王直々の自由行動の許可を頂いてしまったのだ。
 こうしてかつての戦友に会いに行くのももう何度目だろうか。はじめに再会した時はまだ雪も降りしきる晩冬だった。その次が初春、初めて釣りを教えてもらった時だ。以来、もう片手を超えるくらいの回数になっている。
 この日もいつもの河川敷に降り立ち、見慣れた榛(はしばみ)色の後ろ姿に声を掛けた。
「こんにちは、トレックどの」
「ああ、えーと」
「ミレディです」
「うん、そうそうミレディさん」
 お決まりの挨拶を交わし、ミレディは河川敷の芝の上に腰を降ろす。トレックは今日ものんびり釣り糸を垂らし、昼寝混じりに魚の当たりを待っていた。どうやら今日はまだ釣れていないらしい。
 仰ぎ見れば真っ青な空。あおあおと枝葉を伸ばす針葉樹林は天にも届かん勢いで、冬にはなかった鳥たちの元気なさえずりも聞こえてくる。雪山で蓄えた水が清流となって川を流れ、水面はひとときの夏の太陽を反射して光溢れんばかりに輝いている。夏とはいっても蒸し暑いベルンの夏とは大違いで、日差しはさんさんと眩しいものの空気は爽やかだ。
 来るたびに大きく様変わりするイリアの自然にミレディは感嘆の溜息をついた。
「今日は非番なんですか?」
「うん、まあ」
 ミレディが問うとトレックはのんびり答えた。
 いつも同じ質問をすると同じ答えが返ってくる。しかしミレディには薄々分かっていた、彼がわざわざ自分の来る時に合わせて休みを取ってくれていることに。でなければ小隊長を務める彼がこんなに毎回非番なわけがない。けれどそれをトレックが言わない以上、追及することは野暮というものだった。
 もしかして自分は彼の休暇を邪魔しているのではと尋ねたこともあったのだが、別段そのようなことはないとの返事だったので今もこうして彼の親切に甘えさせてもらっている。
「ん」
 トレックに釣竿を差し出され、ミレディはにっこり微笑む。
「ありがとうございます」
 最初は苦手だった虫餌も今では自分で付けられるようになった。針に器用に餌を引っ掛けて、ミレディはえいっと釣り糸を川に放った。
「どちらが先に釣れるでしょうね、勝負です」
「あんた筋がいいからなぁ。竜騎士だからかな」
「あはは、竜は関係ないんじゃないかしら」
 愛竜のトリフィンヌを振り返ると、大きな木の下で丸くなって気持よさそうに目を細めていた。どうやらトリフィンヌもこのイリアの地を気に入っているようだった。
 しばし、鳥のさえずりと川のせせらぎ以外に声や邪魔する音もない時間が流れた。穏やかで、ゆるやかな時間。
 普通ならば相手との沈黙というのは気まずいものだが、なぜかトレックとならばそれが苦にならない。それどころかむしろ落ち着ける不思議な空間だった。話したい時はもちろん話すし、別段そうでなければ無理に話題を振る必要はない。それは非常に居心地の良いものだった。
 やがてミレディの釣竿の先がかすかに動いた。そのタイミングを彼女は見逃さない。
「えいっ! ふふふ、私の勝ちですね」
 釣り上げたのは塩焼きに丁度良さそうな大きさの川魚。ミレディは子どものように笑った。
「あーあ、先越されちまったかぁー。これで三勝二敗だっけ」
「違いますよ、私のほうが三勝です」
「あらら、じゃあおれ負けてるのか。うーん、当たり待ってるうちに寝ちまうからなぁ……」
 苦笑しながらトレックは頭を掻く。彼が本気で勝負していないことなど百も承知だったが、それは問題ではない。何となく、この空気を共有していることが楽しいのだ。
 そんなミレディをぼんやり眺めて、トレックは穏やかに笑った。
「あんた、だいぶ元気になったよなぁ」
「え?」
 突然そんなことを言われてミレディは新しく餌を付ける手を止めた。
「冬に会った頃と比べて、明るくなったような気がする」
「わ、私、そんなひどい顔してました……?」
「んー……あの時はこの世にはなーんにも楽しいことなんかないって雰囲気だったなぁ。顔色も良くなかったし」
「面目ありません……」
 確かにそうだった、とミレディは恥ずかしさで頬を赤らめた。戦争でゲイルを失い、動乱が終結したことで戦友たちとも離れ離れになり、ベルン復興のため身を粉にして働くしか逃げ場がなかったあの一年。ろくに休みもせず限界まで働くことで安息を得ていた。
 しかし今は違う。新生ベルンも大分安定してきたし、悲しみを和らげるだけの時間も流れた。何よりここイリアに新しい風がある。後ろ向きになって倒れかけていた彼女に吹き込んだ、新しい風が。
「……トレックどの、あなたのおかげです。あなたがこうして、私の話を聞いてくださるから」
「……おれ? おれ、何かしたっけ」
「ええ、じゅうぶんに」
「はぁ……まぁ、いいや」
 トレックは釣竿を引き上げると、「ああ、また取られてる」と餌のなくなった釣り針を見て口をへの字に曲げた。
「……また来てもいいでしょうか? お邪魔でなければ」
「うん? あんたがいいんならおれは構わないけど」
「ありがとうございます」
 ミレディはほっとしながら目を細めた。次も約束された、夕日が傾くまでの束の間の安らぎの時間。
「よーし、大きいのが釣れますように」
 ミレディは餌を付けた釣り糸を再び水面に垂らした。
 

「……!!」
「……!!!」
 その様子を茂みから密かに伺いつつ、驚きのあまり目を見開いて口元を押さえるふたりの男女の姿があった。ノアとフィルである。
 トレックが有給休暇を取ってまで会う釣り仲間とは何者ぞと意気込んで偵察に来たのだが、予想をひっくり返す結果に声も出ず、ふたりして金魚のように口をぱくぱくさせるだけで精一杯だった。

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 そしてその日の夜。
「おおおおいトレック!! これはいったいどういうことだ!???」
「そそそそうですよ! 私たち、見たんですからっ!!」
 ミレディがベルンへ戻るのを見送ったトレックを捕まえてノアたちは詰め寄った。
「はぁ?」
「はぁ、じゃないっ! おいいったいどうなってるんだ、あれはベルンのミレディさんじゃないか!」
「ああ、うん」
「な、ん、で、彼女がお前に会いにくるんだよ、お前の釣り仲間ってのはまさかミレディさんのことなのか!?」
「うん、イリアに用事がある時についでにおれの所にも来るもんで」
 いつも通りの口調でのんびり話すトレックにノアは愕然とした。ギネヴィア女王の直近であるミレディがイリアを訪問することは何らおかしいことではない。だがその後だ、そんな美人のお偉いさんがなぜトレックのもとを訪れる?
「……今回で何度目だ?」
「えーと……六回目か七回目か……」
「何だとー!?」
 予想の斜め上すぎてノアはその場にへたりこんだ。男女沙汰に鈍いフィルですら、頬を押さえて妙な笑いを浮かべている。
「トレックどの……その、ミレディさんはどうしてあなたに会いに来られるのでしょうか?」
 フィルに問われてトレックも首を捻る。
「さぁ……一緒に前線で戦った者同士だからかなぁ」
「けど戦友くらい他にもいるだろ! おれやフィルさんも前線に近かったしディークさんやルトガーさんも。なのにお前にばかり会いに来るとはどういうことだ? それにまた会いに来てもいいかって彼女訊いてたじゃないか!」
「そうそう、それにすっごくミレディさん楽しそうでした! 私、行軍中にあんな穏やかなミレディさんの顔見たことありません!」
 ノアとフィルの圧力に気圧されてトレックは一歩後ずさる。
「うーん……そりゃそうだけど。……おれが訊きたいくらいだよ」
 そう呟いたトレックの表情は一見いつものぼんやりしたそれだったが、ほんのわずかに憂いがかすめたのを長年の友人であるノアは見逃さなかった。
 トレックがこんな顔するなんて、もしかしたらこいつなりに悩んでいるのだろうか――ノアは咳払いしてはやる気持ちを落ち着ける。
「……トレック。もしも、だぞ。仮にもし、百億分の一くらいの確率で、の話だけど。もし、ミレディさんがお前に会いに来る理由が、そのー……何だ、こ、好意とかによるものだったりしたら」
 どうするんだ、とノアが言う前にトレックは珍しく遮った。
「はは、まさか」
 どことなく自嘲的に笑ってトレックは全否定した。
「おれみたいな冴えない男にあんな美人さんが? 夢や寝言でもあり得ないだろ、そんなこと」
「トレック……」
「…………」
 押し黙ったトレックにフィルがそっと問う。
「じゃあ……じゃあどうしてトレックどのはミレディさんのためにわざわざ休みをとったりしているのです?」
 あなたはミレディさんのことを――そこまで言いかけてぐっと飲み込んだ。
「うーん……おれは……まぁ、彼女が元気になるんならそれでいいかなーって」
 ベルンの方角の空を見上げてそう呟いたトレックに、もはやノアもフィルも何も言えなかった。ただ純粋にミレディを想うトレックの心が痛いほど伝わったから――。それだけに、自身を『冴えない男』と一蹴してしまうのが切なくてならなかった。
 しばらくミレディの飛び去った空を眺めてから、トレックはやがて視線を戻し、ふわぁと大あくびをしながら伸びをした。
「さぁてと。ご飯にしようかなぁ、でも眠いしなぁー。どうしようかな、ふぁーあ」
 そして今話していた話題など忘れたかのようにのんきな足取りで家路に向かって歩き始めた。
 その背中を見送りながら、ノアは何とかできないものかとため息をついた。やはり親友には幸せになってほしい。いつだったかトレックは「おれは将来は見合いでもしてそれなりの家庭を持てればいいや」などと言っていたが、彼とて恋愛にまったく興味がないわけではないだろう。そうでなければ先程のような憂いの表情が垣間見えたりなどしないはずだ。
 トレックの後ろ姿が見えなくなってから、ノアは難しい顔をして再び深い息を吐いた。
「はぁーー。でもそうだよなぁ、相手があのミレディさんだもんな……。ベルンのお偉いさんでしかもあんな美人に親しくされたら、そりゃ戸惑うのも無理ないよなあ……」
「むっ、ノアどの。私のようなちんちくりんでは戸惑いすらしないと?」
「あ、いやフィルさん、決してそういうわけでは」
 フィルにジト目で睨まれてノアは慌てて手を振る。
「ほ、ほら考えてもみてごらんよ。フィルさんが例えばエトルリアのパーシバル騎士軍将やクレイン将軍に親しげに近づかれたらどう思う?」
「え……っ。パーシバルどのやクレインどのに……!? そ、そんな夢のような話があるはずないじゃないですかっ! エトルリアの重鎮でとんでもなく容姿端麗でいらっしゃるおふたりが私などに……! ひゃあああ」
 ぽっと顔を赤らめて想像を膨らませるフィルに嫉妬しないでもなかったが、どうやら分かってもらえたようだ。
「だろ? だからトレックの反応ももっともだなあって。まあ、トレックは消極的すぎるとは思うけどさ」
「なるほど……。なかなか難しいのですね……」
「…………」
「…………」
「……晩飯でも行こうか、フィルさん」
「……そうですね、行きましょうか」
 これはきっと、口には出さないが誰よりも悩んでいるであろうトレックにしか答えを見つけられない問題なのだ。第三者がいくら考えても答えの出ない問題に区切りをつけ、ふたりは歩き始めた。
 来月には自分たちはナバタへ向けて旅立ってしまう。それまでに何らかの答えが出ればいいのだが……そう願ってノアはベルンの方角に振り返る。夕暮れを迎えたイリアの空は、ファームに戻る天馬たちがあちこちで羽ばたいていた。

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