『憎しみと、親愛と』前編(ヒューゴ・クリス)

ヒューゴが炎の英雄となり、グラスランドとゼクセンが手を組み本拠地を構えた後の物語。
これまで恨みの対象でしかなかったクリスのことを実は何も知らないと気付いたヒューゴは、一度彼女ときちんと話をしてみなければと思い立つが……。

ヒュークリ未満、ヒューゴ視点。
管理人の推しにより、多分ジョー軍曹が一番いい位置にいる。


 やわらかな陽の光を受けきらきらと輝く湖のほとりに、とある奇妙な古城があった。かつて、グラスランドとゼクセンの共有地にするという異例の盟約が結ばれた城なのだが、奇妙なのはその点だけではない。正面から見ただけでは分からないが、湖側から見れば人は我が目を疑うだろう、「船……?」と。船にしか見えないそれが、半分城に突き刺さるようにして城と一体化しているのだから。
 船が城の裏手に座礁してから久しい。幸か不幸か、その船の半分は大破したにも関わらず一向に沈む気配を見せなかった。沈めるなり撤去するなりして城を修理すべきなのだろうが、この貧乏な城には先立つ予算もなく今の奇妙な姿に至る。
 やがて撤去することは諦め、座礁船の破損箇所を修理することで逆に城の離れの居住空間として利用するようになったため、城内の大穴を抜けた先が船内という摩訶不思議な構造になっていた。
 さて、そんな座礁船の船内。
 褐色の肌を持つ少年ヒューゴは深く息を吸い込んだ。甲板から吹き込んでくる心地良い風を満喫するためではなく、緊張を緩和させるための深呼吸だ。
「……よし」
 恨みに囚われず、落ち着いて話すんだ、と自分に言い聞かせて目の前の扉をキッと見据える。その先に透けて見えるのは銀髪の戦乙女、クリス・ライトフェロー。ゼクセン騎士団の敬愛する団長であり、行き交う人が振り向くほどの見目麗しき女性であり、そして……少年の親友をその一刀のもとに屠った、仇である。

     *     *     *

 太陽暦四七五年。
 数多の諍いを経て、炎の英雄のもとようやく手を取り合ったグラスランド諸部族とゼクセンは、迫り来るハルモニア軍に圧勝するという快挙を成し遂げた。この時ばかりは兵士たちも、部族の垣根を超えて互いに讃え合い、喜び合い、祝いの盃を交わしたものだ。
 その立役者である真なる火の紋章の継承者ヒューゴは今、新たな拠点となった湖畔の古城での挨拶回りも終え、久々にすべての緊張を忘れてベッドに身を投げ出していた。こんなにふかふかの布団で眠れるのはいったい何日ぶりだろう。
「太陽の匂いがするー……」
 羽毛の枕に顔を埋めると、連戦の疲れや英雄の重圧もわずかばかり軽くなるような気がした。相変わらず建物は古くて隙間だらけのボロボロだけれど、ここをグラスランド・ゼクセン連合軍の本拠地にすることが決まってからほんの短い期間で必死で受け入れ態勢を整えてくれた城主トーマスたちの力添えを思うと、本当に感謝してもしきれない。きっとこの寝具もヒューゴが到着するまでに大急ぎで用意してくれたに違いないのだ。
 城の名は、ビュッデヒュッケ城改めオレンジ城。勇ましさの欠片もないその名に、ヒューゴの母親であるカラヤクラン族長ルシアは大笑いし、リザードクラン族長デュパは渋い顔をし、ゼクセン騎士団参謀サロメは天を仰いだが、慣れてしまえば覚えやすくて悪くはない。何より命名があの小さな守備隊長セシルの強い希望によるものらしいので、異議を唱える者などあろうはずもなかったと容易に知れる。
 そのオレンジ城の中でもトーマス曰く「一番良い部屋」を割り当てられたヒューゴは、ものの数秒で眠りの海に沈みかけてゆく。が、ふと思い立ってヒューゴは眠い目をこじ開け、文机の上の書類に手を伸ばした。
「……」
 布団の上で仰向けになり、その書類を見つめるヒューゴの眼差しは、険しい。題名には『部屋割り』と書かれていた。

 数時間前、オレンジ城一階の広間では各団体からの代表が顔を付き合わせて取り急ぎの話し合いが行われていた。そのうちのひとつが、部屋割りである。それぞれ内情や人間関係をよく把握している者が手際よく決めていったようで、ヒューゴが挨拶回りから戻った時にはそれはもう完成していた。
「よう、ヒューゴ。お疲れさん」
「うん、ジョー軍曹も」
 カラヤクランとダッククランの部屋割りを担当したジョー軍曹がヒューゴに労いの言葉を掛け、書面を渡してきた。
「部屋割りはもう出来てるぜ。お前さんも目を通しておきな」
「ありがとう。さすがだね、軍曹!」
「さっきまで大変だったんだぞ。あっちは水場が近いから嫌だこっちは日照が悪いから嫌だとうるさいお嬢さんがいたからな」
 やれやれと肩をすくめたジョー軍曹が言っているのは多分ティントの令嬢リリィのことだろう。なるほど、二階のほどほどに良い部屋におさまっている。
「ははは、目に浮かぶよ。おれなんか寝られたらどこでもいいけどなあ」
「そうじゃない人間も大勢いるってことさ。彼女に限らず、な」
「そーそー、ダックの軍曹の言うとーり! ったく、ウチの奴らときたらどいつもこいつも……!」
 割って入ってきた声に顔を上げると、そこにはぶちぶちと文句を奥歯ですりつぶしながら地団駄を踏む中年男がいた。ゲドの隊員のエースである。
「ほんとだ、エースさんのとこ、皆バラバラだ」
 部屋割りを見たヒューゴも驚いたのだが、見事にゲド隊の面々は部屋が散らばっていた。
「大将は人が多い場所は嫌だっつうし、ジョーカーは逆に人が多い場所がいいっつうし、クイーンは酒が旨い場所っつうし、ジャックは木の上とか言うし、アイラは街の方がいいっつうし、まーそんな俺は図書館の近くがいいわけよ! 皆好き勝手言いやがってよう……!」
 さり気なく自分の希望も挟んでくるあたりがエースである。苦笑を返しつつヒューゴはエースの口から出てきた名前の部屋割りを指でなぞった。と、その指がふとある箇所で止まる。昔この城に突っ込んできたっきり撤去しようもなく、居住地として利用している座礁船の船室だった。
「……! 軍曹、これ……」
「ああ。おれもそれは気になった」
 ふう、とひとつ重い溜息を落としてジョー軍曹を首を振った。
「本人の意向らしい。サロメどのも説得したそうなんだがな」
 広間から遠く離れた、とてもではないがヒューゴのそれのような『良い部屋』とは言いがたい座礁船の部屋に書かれていた名前は、なんとゼクセン騎士団長であるクリスの名であった。
「だって軍曹、パーシヴァルさんやボルスさんの部屋だって本館の二階の角部屋なのに、なんで団長のクリスさんがこんな、遠くて狭い船室なんだ? ゼクセンの鉄あ……騎士たちは、身分や上下関係を重んじるんだろう?」
 『鉄頭』というゼクセン人の蔑称をぐっと飲み込んでヒューゴは首を傾げた。
 族長が一番偉くて他は皆同じ、という単純明快なカラヤとは違って、ゼクセンでは生まれや階級によっていちいち差が生じる。そのことはこれまで何度も見てきたし、嫌な思いをさせられることも多々あった。それだけに、今回のクリスの意向だというこの部屋割りは、ヒューゴの目に奇妙に映ったのだった。
「さあな、おれには分からん。ただ、色々と思うところがあるんじゃないのか?」
 だがそれはおれの知るべき範疇のことじゃあない、と言いたげに、ジョー軍曹はやれやれと羽根を伸ばした。

「思うところ、か」
 翌日、ジョー軍曹の言葉を思い返してヒューゴはぽつりと呟いた。自分でも知らぬうちに口がへの字になってしまう。
 グラスランドがゼクセンと手を組むまで、もっと正確に言うとチシャクランでグラスランド人を守るためにハルモニア軍と戦うクリスの姿を見るまでは、ヒューゴはクリスのことをルルの仇の鉄頭としてしか見ていなかった。
 彼女が親友ルルの命を奪い、カラヤに火を放ったのは揺るぎない事実なのだから、憎き仇にしか思えなかったのはむしろ当然の心情というものだ。だから、あの猛将はきっと人を人とも思わぬ鉄の心を持ち、平気で人を斬る氷の血が流れているんだと決めつけていた。
 だけど、彼女も本当はヒューゴたちと同じように人間らしく怒ったり泣いたり笑ったり悩んだりしているのだろうか。
「……おれ、あの人のこと何も知らないんだな」
 敵として、知ったような気になっていただけだ。
 ヒューゴは再び部屋割りの書類を手に取ると、意を決したようにひとつ頷いた。
「よし、悩んでたってしょうがないや。直接話を聞いてみよう」
 思い立てば行動は早い。ヒューゴはすぐに離れの座礁船に向かって走り出した。
 そして冒頭に戻るのだが、はて、クリスの部屋の前まで来たのは良いものの、いざとなるとあと一歩が踏み出せない。ついこの間までは姿を見るなり斬りかかっていったような相手なのだ、落ち着いて話をするほうが難しいのも当然ではあるのだが。
 幾度目かの深呼吸をして、ようやくドアノブに手を伸ばしかけた時、背後から声を掛けられてヒューゴは文字通り飛び上がるほどに驚いた。
「ヒューゴさま? クリスさまにご用事ですか?」
「うわぁ!??」
 全身の毛穴がすべて逆立ち心臓がばくばく暴れて口から出そうになりながら振り返ると、そこにはクリスがよく連れている、ヒューゴと同年代くらいの少年が立っていた。
「わわっ、驚かせてしまってすみません!」
「び、びっくりしたぁ……! えっと、確かクリスさんのお付きの……ルイスだっけ」
「はい。名前、覚えてくれてたんですね。ありがとうございます」
 年齢よりも幾分幼い印象を与えるやわらかい笑顔でルイスは頷いた。
「バーツさんの畑から野菜と果物を少し分けてもらってきたんです。ヒューゴさまも、よかったらおひとついかがですか? 採れたてのトマトですよ」
「あ、ああ、ありがとう」
 ルイスの警戒心のない、無邪気な笑顔に押されるように、ヒューゴは言われるままつやつやの赤いトマトを受け取った。トマトを貰いに来たわけじゃないんだけどなぁ、と内心困惑する。
「ところで、クリスさんに何かご用でしたか? ぼく、お呼びしてきましょうか。必要ならぼくは席を外して人払いしておきますけど」
「あっ、いや、別に特に用事があるわけじゃないんだ! その、ちょっと、通りがかっただけだから」
 言ってから「しまった」とヒューゴは後悔した。ついそのような楽な答えが口をついて出てしまったが、本当はわざわざクリスと話をするために奮起してやって来たのに。しかしもう後の祭りである。
 不思議そうに首を傾げるルイスから目線をうろうろ逸らしながら、ヒューゴはしどろもどろに言葉を継ぎ足す。
「ええと、じゃあ、また。トマト、ありがと!」
 そう言うと、ヒューゴは後ろも振り向かずに一目散に本館へと駆け出した。
「ああもう、おれのバカバカバカ! なにがじゃあまた、だよー!」
 心中で自分の頭をポカポカ殴りながら嘆くヒューゴ。その後姿を、野菜かごを抱えたままルイスはぽかんとして見送った。

「……で、そのまま戻ってきたってわけか」
 こくり。
 無言でうなだれて階段に座り込むヒューゴに、ジョー軍曹の大きな溜息が落ちてきた。
 館の前の庭で、城下町を一望しながらヒューゴとジョー軍曹のささやかな反省会が開かれていた。後ろではそんな雰囲気を察したフーバーが「キュイイイイイ……」と心配そうに鳴き、反対側では風呂敷犬のコロクがいつも通り「クゥゥゥ……」と情けない声を上げている。
「まったく、おれはお前をそんなヘナチョコに育てた覚えはないんだがな」
「ヘナチョコって言うなよぉ! ……おれだってダサイと思ってんだから」
「ま、自分から話をしに行こうとした心意気は評価してやる」
「……」
 ヒューゴは手の中のトマトを見つめた。
「……だってさ。ちゃんと話せる自信がないんだ。ゼクセンと手を組んだ今、リーダーであるおれが過去のことを責めるわけにはいかないし。かといってうわべだけの世間話なんてできっこない」
 会議などではクリスと最低限の業務的なやりとりはしているが、あくまでそれだけだ。自分が『炎の英雄』として立っている時だけだ。けれどこれがもし、一対一のプライベートな会話だったら?
「何話したらいいか分かんないよ、軍曹」
 はぁ、とヒューゴは嘆息した。クリスに対してではなく、いつまでも吹っ切れない自分に対して、だ。グラスランドとゼクセンをまとめる自分が一番両者に対して公平であるべき立場なのに、ゼクセンの団長とまともに会話もできないとは。
「ジョー軍曹やサロメさんだって相手に関係なくちゃんと接してるのに……」
「ヒューゴ」
 ヒューゴの独白を目を閉じて聞いていたジョー軍曹は、おもむろに振り返った。
「うん?」
「お前、気負いすぎなんじゃないのか。炎の英雄になったら、今までの恨みつらみをすべて忘れなきゃならないのか?」
「……それは」
「あの女がルルを殺したのは事実だ。おれはひとときだってそのことを忘れたことはないし、それを忘れるつもりもない。ただ、今はそれよりも大事なことがあるだけだ。サロメどのも同じ考えだろう」
「……やっぱり、そう割り切れないおれがガキだってことだよね」
「まあ、そうなるな」
 何の遠慮もないジョー軍曹の評価はかえって清々しく、おれはまだまだだなぁとヒューゴはいくぶん焦燥感の和らいだ顔を空に向けた。
「もっと簡単に考えろ、ヒューゴ。お前は誰かと親しくなる時、何を話すかいちいち全部考えてから話しかけるのか?」
 ヒューゴは首をふるふると横に振る。
「話してみたい、と思うから話すんだろ。そして今のお前はクリスと話してみたいと思ってる、それで十分だろ。何を話したらいいかなんて、話してみてから考えろ。そういうのが広がって、人の和ができる」
「……そんなもん?」
「そんなもんさ」
 ふっと笑って、ジョー軍曹は白い羽根でヒューゴの肩をぽんぽんと叩いた。
「そっか」
 ヒューゴの顔もほころぶ。
 立場云々の前に、話してみたいと思うから話すんだ。その単純な答えで、ヒューゴの胸のつかえはすとんと下りたような心地がした。
 ルイスから貰ったトマトを、しばし見つめてから、勢い良くかぶりつく。
「……うまい!」
 ゼクセン人であるバーツが育てたトマトは、ヒューゴが今までグラスランドで食べたどんなトマトよりも美味しかった。

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