『憎しみと、親愛と』後編(ヒューゴ・クリス)

前作の続き。
真なる水の紋章を宿した後、評議会に招集されたクリス。
出立の前日、クリスの部屋を訪れたのはなんと自分を恨んでいるはずのヒューゴだった。

ヒュークリ未満、クリス視点。
ヒューゴは男前でたまに素ですごく可愛いことを言う子だと思う。


 ゼクセン騎士団長であるクリスが評議会に招集されたのは、シンダル遺跡にて真の水の紋章がクリスに宿ってから数日後のことだった。
 よそに割ける人手も時間も足りていないこの状況でクリス自ら出てこいと言える評議会は、やはりこの戦況下にあってもあの評議会なのだなと苦笑いすら起こさせた。少し前までのクリスならば違和感を覚えなかったかもしれないが、一度ゼクセンを出てさまざまな文化や価値観を見てきた今のクリスにとっては、それがグラスランド人の目には奇妙に映るのも納得できる。
「まあ、そういうわけだから、明朝わたしとサロメ、ボルス、ロランでブラス城に向かうことになったよ。ルイス、お前も来てくれるな?」
 オレンジ城の離れとして使っている座礁船の船室で、自分の剣を手入れしながらクリスは言った。従者であるルイスはクリスの鎧を磨く手を止めてしっかりと頷く。
「はい、もちろんです!」
「破壊者の連中がいつ襲ってくるか分からない今ここを離れるのは心苦しいが、レオとパーシヴァルを残していくからおそらく大事はないだろう」
「そうですね。それに、ヒューゴさまもおられますから」
「……そうだな」
 ルイスが何気なく口にしたその名が、クリスの胸にちくりと刺さってクリスは曖昧に笑った。
 チシャの村でヒューゴと出会ったあの日、彼はクリスを見るやいなや、剣を抜いて斬りかかってきた。友の仇、と剥き出しの怒りをまっすぐこちらに向けて。
 そう、かつてクリスは彼の親友を手に掛けた。だがそれは戦の中で武器を向けられたから咄嗟に応戦したまでで、そのことを謝罪するつもりはない。ナッシュも言ったように、戦いの技を持ち、それを使うのなら、死は避けられないことだ。敗者が勝者よりも弱かった、ただそれだけのことなのだ。
 だがそれでも、村を焼かれ、遺されたカラヤの民にとって自分が生涯許せぬ敵であろうことは自覚している。そんな自分が今、ヒューゴたちグラスランドの人々と手を組んでいる。運命など世迷い事、と切り捨てるゼクセン人であるクリスも、「これがユンの言う縁(えにし)というやつか」と思わずにはいられない星のめぐり合わせだった。
「彼は一生わたしを許さないだろうけどな」
 ぽつりとこぼれ出てしまったクリスの独白にルイスが眉をひそめた時。
 コンコン、と扉を叩く音の後に、少し緊張気味の少年の声が聞こえてきた。
「こ、こんばんは! あの、クリスさん。夜分にすみません、ちょっと話があって、その、」
「……! ヒューゴ?」
 クリスは小声で訝った。
 なぜならば、先程館内でヒューゴとすれ違った時は、わずかに逡巡を見せた後「……気をつけて」と言葉少なに言い去るだけだったからだ。連合軍になった今でもまだ目も合わせてくれないのだな、と改めて彼の恨みの深さを知った。
「そういえばルイス、先日ヒューゴがこの辺りをうろついていたと言っていたな?」
「はい。やはりクリスさんに何かお話があったんでしょうか」
「分からないが……とりあえず、会ってみよう」
「じゃあぼくは席を外しますね」
「ああ、すまないな」
 そして、ルイスと入れ替わりにヒューゴがクリスの部屋に現れた。
 しかし、ドアのところに立ったまま入ろうとはせず、視線をうろうろさせている。
「ええと……ヒューゴ? わたしに何か用だろうか」
 相手が何も言わないので、極力落ち着いたトーンでクリスは問うた。
「とりあえず入ってくれ、立ち話も何だ」
 だがクリスがヒューゴを招き入れようとすると、途端にヒューゴは顔の前で手を振ってそれを拒否した。
「い、いや! ここでいいから」
「しかし……」
 そういうわけにはいかない、と再度クリスは席を勧めたのだが、ヒューゴは頑として入ろうとしない。その頑なさにいささか傷つかないでもなかったが、クリスはやがて表情を緩めると、ハンガーに吊るしてあった外套を手に取った。
「ならばわたしも外へ出よう。それでいいか?」
「! ……うん」
 あくまでここで立ったまま話すつもりだったのだろう、ヒューゴの返事は半ば仕方なく、といった肯定だったが、クリスは外套を肩に引っ掛けて迷いのない足取りで部屋から出た。来客、しかも軍のリーダーに戸口で立ち話をさせるほどおちぶれてはいないつもりだ。
 ふたりは微妙な距離を保って座礁船の甲板に出た。人々の憩いの場として改装してあり、公園のようにベンチが設置されている。しかし夕食も終わったこの時間ではクリスたちの他に人影は見当たらなかった。
「ここでいいかな」
 木のベンチの右端にクリスが腰掛けると、ヒューゴも頷いて左端に腰掛けた。間にはきっちり人ひとり分空いている。この距離を埋められるものを自分は何も持っていないのだ、とクリスはまたしても再認識した。
 しばらく、ふたりは無言だった。甲板にひとつだけ焚かれた篝火に照らされたヒューゴの横顔をちらりと見ると、何か言葉を発するのをためらっているようだった。そしてクリスもまた、それを待った。
 今宵は雲が多く、空には星の姿はない。ゆるい風にクリスの銀髪がさらさら揺れるだけの、静かな夜。
「あのさ、」
「うん?」
 今更、何を言われても仕方がない。なじられるのを覚悟でクリスはヒューゴに向き直った。だから、ヒューゴの言った台詞は少なからずクリスに驚きを与えた。
「さっきは、ごめん。おれ、何て言ったらいいか分からなくて、感じ悪かったと思う」
「……?」
 膝の上でぎゅっと握った己の拳を見ながら、ヒューゴは一句一句言葉を紡ぎ出すように言った。
「さっき、というのは?」
「城内ですれ違った時だよ。本当はもっと色々言いたかったはずなのに」
 険しい表情で「……気をつけて」とだけ言った、あの時のことか。謝られるとは思ってもいなかったクリスは逆に答えに窮してしまう。
「い、いや、大丈夫だ……」
 言ってから、大丈夫って何だ、と頭を抱えたくなった。語彙の貧弱さには自覚がある。
「おれさ、数日前にもここに来たんだ。でも、ちゃんと話ができる自信がなくて……」
「ああ、ルイスから聞いている。何かわたしに用があったのではないのか?」
 先程からどうもヒューゴは自分に話があるような素振りだ。しかし予想に反してヒューゴは首を横に振った。
「いや。そういうわけじゃないんだ。ただ……」
「……ただ?」
 そこで、初めてヒューゴは顔を上げ、クリスと向かい合った。力強い光をたたえた、澄んだエメラルドグリーンの瞳をまっすぐに向けられ、クリスは思わず息を呑む。
「思ったんだ、おれはもっとクリスさんと話をしてみたいって」
「わたしと……話を?」
「うん。……クリスさんが、あの時どうしてチシャの人たちを助けたのか、とか、どうしてこんな場所を自分の部屋に選んだのか、とか、おれには分からない。それは多分、おれが、ルルを殺したゼクセンの鉄頭としてのクリスさんしか知らないからなんだ」
「ヒューゴ……」
 仇と、仲間。ふたりのクリスの間で葛藤し、それをあえて隠さずに、ありのままを見せるヒューゴが、目の前にいた。
「昨日まではまだ踏ん切りつかなかったんだけど、明日からクリスさんはブラス城に行くことになっちゃっただろ? だからどうしても今日話しておきたいと思ってさ」
 けっこう勇気要ったんだよ、とヒューゴはまだ緊張した面持ちではにかんだ。その心中を察すると、クリスの胸はきりきりと締め付けられる。彼は、憎むべき仇のところへ、みずから歩み寄ろうとしてくれているのだ。
「……ありがとう。わたしも、お前と色々話をしてみたいよ」
「本当かい?」
 不安混じりだったヒューゴの表情が少し明るくなった。クリスもゼクセンを出ていた時のように、やわらかく微笑む。
「ああ。本当だ」
「じゃあ……何の話がいいかな」
「そうだな、カラヤの話を聞かせてくれないか? 父ワイアット……ジンバがそちらでどういう暮らしをしていたのか知りたいな」
「うん、いいよ」
 そうして、クリスとヒューゴの初めての他愛もない会話が始まった。
 互いにどこか遠慮し合うぎこちないやり取りだったけれど、わずかながらも徐々にヒューゴの口調は軽やかになり、クリスからは固さが取れていった。
「……で、ジンバってば毎日その鎧磨いててさ。村の皆はゼクセンの鎧だから嫌がってたけど、ジンバはすごく大切そうにしてたよ」
「ははは、そうか。父はカラヤでも騎士の誇りを捨ててはいなかったんだな」
「剣の腕もすごかったなあ、母さんと互角に渡り合っててさあ……」
 話は尽きない。クリスは父がルースの養子として世話になっていたことや、そのルースがルルの実母であることをすでに聞いてはいたが、ヒューゴはその辺りには触れなかった。おそらく暗い話や恨みのつのる話は避けるよう気を遣ってくれたのだろう。七つも年下のヒューゴにそのように気を遣わせていることが心苦しく、クリスの胸の奥はつんと痛んだ。
 ひとしきりカラヤの話を終えた頃、ヒューゴはふと周囲を見渡して言った。
「風がちょっと冷たくなってきたからこれくらいにしておこうか。クリスさんは明日のこともあるし」
「ああ、そうだな。続きは帰ってきてからまた聞かせてくれ」
 クリスが何気なく言った「また」という言葉にヒューゴは一瞬驚いたように顔を上げたが、やがて表情をふわりと和らげ、城内ですれ違った時とはまるで違う声音でクリスに言った。
「クリスさん、道中気をつけて。無事を祈ってる」
「……ヒューゴ……」
 うわべだけではない本心からの言葉だと、その目を見れば分かる。一本気な性格の少年だとは思っていたが、それは怒りや熱意だけではなく、優しさもまたこちらの心に沁み入るほどにまっすぐなのだとクリスは気付いた。
「……ありがとう。ここのことは任せたぞ」
「ああ」
 ゼクセンとグラスランドが手を結んでからはや数日、ここに来て初めて、ようやく仲間という間柄に近づけた気がする。うまく会話できたかどうかは分からないが、話せて良かった。そんな思いが互いの胸に去来した。
 それからふたりはクリスの部屋の前まで戻り、「おやすみなさい」と別れた。
 だが別れ際、本館に去ろうとするヒューゴはふと立ち止まり、見送るクリスに「あのさ、」と語りかけてきた。
「クリスさん、お願いがあるんだけど」
「何だ?」
 自分にできることならば快く応じよう、そう思ってクリスはヒューゴの言葉を促す。だが返ってきたのはクリスが思いもしなかった、素朴で優しいお願いだった。
「明日から、おれが朝おはようって言ったらクリスさんもおはようって言ってくれる?」
 少し上目遣いで、伺うように尋ねてきたヒューゴ。クリスは思わず言葉に詰まってしまった。これはあまりに純真な不意打ちだ。そんなクリスの反応を悪い意味に勘違いしたのか、ヒューゴは説明を付け加えた。
「カラヤでは人付き合いで何よりもまず挨拶が大事なんだ。起きておはようも言わなかったら母さんにぶっとばされるくらいにさ。だから、クリスさんとも挨拶くらいはちゃんとしようって思うんだけど、もし無視されたら凹むなぁと思って」
 だから予めお願いしておいていいかな、とヒューゴははにかむように言った。
 クリスのことを恨みながら、恐れながらも少しずつ歩み寄ろうとするヒューゴのまっすぐな姿勢がまぶしく、クリスは目を細めてこくりと頷いた。
「ああ、もちろんだ。わたしからもぜひ挨拶させてくれ」
「きっとだよ! じゃあ、おやすみ」
「おやすみ、良い夢を」
 そして、ヒューゴは館へと駆けて行った。
 この日のクリスの表情は、その後戻ってきたルイスによると「何かとても良いことがあった時の顔」だったという。

 翌朝。
「あっ……おはよう、クリスさん」
「おはよう、ヒューゴ」
 若干緊張混じりに挨拶を交わしたふたりを、遠くから「ほう」と驚きの目で見る者たちがあった。ヒューゴの母であるカラヤ族長ルシアと保護者であるジョー軍曹だ。
「ジョー軍曹、ヒューゴに言ったのかい? グラスランドとゼクセンが手を結ぶ前、クリスがカラヤのことで我々に跪き頭を下げたこと」
「まさか。たとえ相手が仇であれ、その名をむやみに貶めるようなことは口外するもんか。あれはおれたちだけが知っていればいいことさ」
「じゃあヒューゴは自ら……」
「ああ。自分で考えて、自分でクリスとのわだかまりを解こうとしているんだろうよ。また少し大人になったな、あんたの息子は」
「ふふっ。先が楽しみな子だよ、まったく」
「おれの出番なんか、そのうちなくなっちまうんだろうなあ。寂しくなるぜ」
 冗談めかして言いながら、テーブルの上のトマトを口に放り込むと甘酸っぱい爽やかな味が広がった。
「あら軍曹、トマトなんて好きだったかい?」
「美味いんだよ。あのバーツとかいうゼクセン人の作った作物は」
「同感。カラヤを復興する時にはぜひ作り方のコツを教えてもらいたいもんだね」
 保護者ふたりはあたたかくヒューゴを見守りながら、かつての敵国生まれの青年が作った真っ赤なつやつやトマトを旨そうに頬張った。

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