ヒュウレイ小説 第1話『少年は光を見た』

FE封印のヒュウレイちゃんが大好きなので!
まだロイの軍に入る前、レイが初めてヒュウに出会ったときのお話です。
傾向:BL未満ですがややブロマンス風


第1話 少年は光を見た

 いつになく雨の多い夏だった。
 昨日の夜半から降りはじめた雨は昼になってもやまず、見上げた空は雲が落ちてきそうなほどに重苦しい。
 雨がもたらすものが水の恵みだけではないことを、齢十歳のレイはすでに学んでいた。
 雨が続くと、孤児院の家屋には黴が生え、食べ物は腐りやすくなり、畑の野菜は病に罹(かか)る。黴や病はまわりに広がってゆくので、悪くなった部分は捨てなければならない。結果、食うに困るようになる。
 決して暮らしに余裕のある孤児院ではないから、畑の野菜があてにできなければ腹をじゅうぶんに満たすことは大変に困難だった。朝に出されたひとかけのパンも、半分は風邪引きの年少の子にやってしまった。
 同世代のチャドが八百屋の瓜をくすねるところを昨日見かけた。我ながら驚いたことに、「だめだ」や「ずるい」よりも、「仕方ない」という諦めの気持ちが真っ先にやってきた。咎める気も起こらず、結局誰にも言っていない。
 対して自分はというと、雨漏りがする軒下で、双子の兄のルゥと並んでしゃがんでいる。
 ――『お恵みください』と書かれた木箱を前に置いて。
 生活に困窮したときの最終手段として、時折こういった方法をとらざるをえない場合があった。恥もプライドもかなぐり捨てて、物乞いをするのである。
 中でもレイとルゥは双子である物珍しさと可愛らしさのせいか、孤児院の中でもとくに稼ぎがよかった。
 レイは箱を睨みつける。かたく握った拳の爪は手のひらを穿ち、噛みしめた唇からは血が出そうなほどである。こんな手段でしか稼ぎを得られないことが、またこんな手段で稼ぎを得られてしまうことが悔しくてならなかった。
 そこへ、小洒落た傘をさした親子連れが通りかかった。流行りのベロアのおべべを着せてもらっている幼い少女はレイたちのほうを指さして無邪気にたずねた。
「ねえパパー、あしょこにいるおにいちゃんたち、なにちてるのー?」
 身なりのよい父親は少女に目線を合わせるようにしゃがみ、同じ方向に顔を向けた。
「おや、双子のお兄ちゃんたちだね」
「ほんとうー! おんなじおかおね!」
 レイはぎりりと歯を噛んだ。少女の純粋無垢な笑顔と舌っ足らずの声が神経を逆撫でしていく。
 しかし隣のルゥは箱を持ってさっと立ち上がり、人好きのする笑みを浮かべて自分から声を掛けた。
「あの、もしよかったら孤児院にご寄付をいただけませんか? 少しでいいんです。病気の子がいるのに、雨ばかりで野菜が駄目になってしまって……」
 媚(こび)を売りやがって、とレイは舌打ちしたい気持ちにかられた。こんなことをするくらいなら、まだチャドのように自力で泥棒をするほうがましだろうに。
 が、すぐにその暗い感情を否定する。違う、ルゥは大人なのだ。年長組である己の役割をわかっているから、文句のひとつも言わずにこうして粛々と自分の仕事をこなしているのだ。
 少女の父親は革の財布から紙幣を一枚取り出すと、娘の小さな手に握らせて言った。
「これをあのお兄ちゃんに渡しておあげなさい」
「ん。わかったぁ」
 少女は右手に赤い傘を、左手に紙幣を持ってとてとてと駆け寄ってきた。
「あい、ふたごのおにいちゃん。こえ、あげうー」
 レイは紙幣を盗み見た。この先三日間は食いつなげそうな額である。
 そんな、自分からすれば『大金』を、このあどけない少女はまるでおもちゃの色紙か何かのようにぴらぴらともてあそんでいるのである。
「ありがとう。この箱に入れてね」
 ルゥはさっとかがんで、少女に満面の笑みを返した。
「えへへー。どういたちまちて!」
 得意気に紙幣を箱に入れた少女は、再びとてとてと小走りになって父親の元へ戻っていった。同時にルゥが父親に向かって深々と頭を下げる。
「ほらっ、レイも!」
 小声でルゥに叱られてレイもとっさに頭を下げた。
 親子連れの姿が雨の向こうに見えなくなるまで、何度も何度も頭を下げた。
 そのたびに、自分のプライドがすり減っていくような気がした。
 金を恵んだ少女の丸い瞳が、小さな手が、高い声が、脳裏に張り付いて離れない。あの幼い無邪気さが胸をえぐった。
 これもまた盗みと同じように「仕方ない」と飲み下さねばならないのか。生きるためにはあのような幼子にまでへつらわねばならないのか。このヒエラルキーに甘んじろというのだろうか。
 否、とレイは顔を上げた。そんなのは間違っている。
「レイ?」
「ルゥ。おれは決めたよ」
「決めたって、何を?」
 雨垂れを見つめ、レイは言った。
「今すぐには無理かもしれないけど、いつか絶対に独り立ちしてやる」
 自分で身を立てて、金を稼ぎ、そして自力で孤児院のみんなを助ける。
 それまで絶対に今日の屈辱は忘れない。あの残酷なほどに無邪気な笑顔を、忘れなどするものか。
 絶対に、絶対に……。

     *     *     *

 朦朧とする頭の中で、濁った池に浮かぶ落ち葉のように苦い記憶がゆらゆらと漂っている。
 あれから季節がめぐった今、春の空がひどく遠く見えた。
 決して手の届かぬところを悠々と舞う鳥たちを羨望のまなざしで睨みつけ、天の下の己の小さきことを知る。
 手に職をつけて身を立て、孤児院の皆を助けるのだとかたく誓って家出同然に飛び出したのがわずか十日前。ほんのそれだけの期間でも、現実の厳しさを知るにはじゅうぶんな長さだった。
 レイは、たまらず森の小道に倒れこんだ。
 三日間何も食べていない。空腹の苦しみはとうに通り過ぎ、もはや腹が痛いのか気持ちが悪いのかも定かではない。孤児院にいた頃も食いっぱぐれることは時々あったが、優しい院長先生の庇護の下、三日間も絶食を味わうようなことは一度とてなかった。
 飯を食わなければしだいに四肢が震えはじめる。孤児院ではそんなとき院長先生が「皆には内緒ですよ」と言って氷砂糖をくれたものだ。不思議と甘いものを摂ると身体の震えはおさまった。しかし今そんな砂糖菓子などあるはずもなく、寒気からくるものか糖の不足かはわからないが、レイの身体はぶるぶると細かく震えていた。
 わずかばかりの路銀はたちの悪い泥棒に盗まれ、一文無しだ。仕方なく野草を食ってはみたものの、苦くてとても食べられたものではなかった。自然の中では食べられるものと食べられないものの区別すらできないことを初めて知った瞬間だった。
 あれほど強い気持ちで独立を志して孤児院を出てきたというのに、その結果がこのざまか。レイは自分の力のなさと、子供(ガキ)であることの社会的な弱さにうちのめされていた。
 倒れたレイの目の前を、蟻の行列が這っている。各々が何かしらの餌を運んでいて、懸命に働いていた。
 蟻ですら生活を成立させているのに、自分はたった十日で野垂れ死ぬような存在なのかと思うと、悲しさと悔しさがこみ上げてくる。
「ちくしょう……」
 それでも、物乞いのような真似だけは絶対にしたくなかった。プライドを切り売りして生き永らえるくらいなら死んだほうがましとまで思えた。そんなことをする必要がないように独立を志したのだから、そこだけは絶対に譲れないレイの矜持だった。
 しだいに意識が薄れてゆく。眠ろうとしているのか、空腹が極限に達したのかはわからない。目を閉じると自分が何か大きな渦の中に吸い込まれてゆくような心地がした。
 と、そのときレイの意識が急に覚醒した。
「……?」
 何かが匂う。朦朧とする頭でその正体を推測すると、レイの目はかっと見開かれた。
「魚が焼ける匂いだ……!」
 ここからはもはや本能の為せる技とも言っていい。体力を振り絞って立ち上がり、木立の幹を支えにしながらレイは獣のように匂いを追った。
 下草を踏み分けて進んでいくと徐々に匂いは濃くなった。しかし、空腹と疲労に苦しむ身体は思うようには動いてくれない。あと少しというところで膝をついた。膝をつけば人間の身体は前に倒れる。
 落ち葉の上にどさりと倒れ、レイは呻く。
「こんな……ところで……!」
 脳裏にルゥやチャド、孤児院のみんな、そして院長先生の顔が次々に浮かんでは消えてゆく。
 そのときだった。
「おーい、誰かいるのか?」
 正面、つまり魚の焼ける匂いのするほうからがさがさと下草を踏み分ける音と男性の声が聞こえてきた。
「いるんなら返事しろー」
 どことなく陽気なその声は近くをうろついている。
 ここだ、とレイは言おうとしたが、声が出なかった。昨日から水さえ飲んでいなかったので喉が張り付いたように乾ききっていた。
 もう、だめなのか。
 そう諦めかけた瞬間。
「おーい……っ! うわっ、なんでこんなところにガキが!?」
 目の前の茂みが分かたれ、現れたのはレイよりもだいぶ年上の青年だった。紫色の長髪を振り乱してレイに駆け寄る。
「おいお前、大丈夫か! しっかりしろ!」
 青年はレイを抱え起こし、頬を軽く叩いた。
「う……」
 レイはか細い声を絞り出す。
「どうした、怪我か!? 獣にやられたのか!?」
「は、腹が……減って……」
「腹が減ったんだな? よし、わかった!」
 青年はレイの腕をぐいとつかむやいなや、軽々と背に負った。
「今助けてやるからな!」
「……」
 助かった――その安心感のせいか、レイはふっと苦痛がやわらぐのを感じた。
 そして同時に、昔院長先生に言われた言葉を思い出していた。

『レイ、生きているかぎりあなたはいつか困難に直面するでしょう。
 しかしそのとき絶望してはいけませんよ。
 あなたに救いの手を差し伸べてくださる方がきっと現れます。
 希望の光は決してあなたを見放しません』

 今この青年が、院長先生の仰る『光』に見えた――なんて言ったら、信じてもらえるだろうか。
 レイは青年の背で揺られながら、院長先生の言葉は本当だったのだとぼんやり噛みしめていた。

 

 その後青年のキャンプでレイはたらふく飯を食べた。
 焼きたての川魚、干し肉、乾パン、木の実のスープ。
 空腹時にいきなり大量のものを胃に入れてはいけないとは言うが、レイの生きようとする本能が待ってはくれなかった。
「お前、名前は?」
「レイ」
 干し肉を噛み千切る合間にレイは短く答えた。
「レイか。おれはヒュウ。よろしくな!」
 愛想の良いヒュウの声にレイは一瞥をくれただけで、すぐに栄養の摂取に戻った。雑談どころではなかったのだ。
 飲み食いしているうちにどんどん身体の芯から温まっていくのを感じた。生きているのだ、と感じる。いつの間にか手足の震えもおさまっていた。
 腹が一杯になると今度は猛烈な眠気が襲ってきた。眠ろうかどうしようか迷う間もなく瞼を開けていられなくなり、その場に倒れるように横になった。
 すぐに寝息を立て始めたレイを見たヒュウは慌てて切り株から半分腰を浮かせた。
「お、おい、お前いったいどこから来……眠っちまった」
 食うだけ食ってあっさり寝やがって、とヒュウは渋面になった。余分に持っていた保存食が空になったというのに、礼のひとつも言わずに寝てしまうとは。
「あーあ、これだからガキは嫌いなんだよ。好き勝手しやがって」
 ヒュウはぶうたれながらどっかりと切り株に座り直した。
 でも、とヒュウは思う。
 こんな森の小径で独りで行き倒れている子供など、訳ありと見てまず間違いないだろう。不安定なご時世ではあるが、ここリキアではまともな親がいればせいぜい迷子がいいところだからだ。
 ヒュウは死んだように眠りこけるレイを見下ろして嘆息した。
「よっぽど腹すかせてたんだな。まだガキなのによ……」
 風がさざ波のように木々を揺らし、鳥が甲高く鳴いてもレイは目を覚まさない。
 春先の昼間とはいえ日陰にはまだしんとした冷たさが残っている。ヒュウは焚き火に枯れ枝を足し、火の勢いを強めた。

 

 あかあかと燃える炎が見えた。時々ぱちんと粗朶(そだ)の爆ぜる音がする。
 下側にしている右頬がなぜかちくちくと刺激を受けていると思えば、先の尖った雑草の葉が頬の下で抵抗しているのだった。
 近くの少し高い位置からかわいらしい小鳥のさえずりが聞こえてくる。こんなふうに盛んに鳴き交わすのは早朝だ、とぼんやりする頭で推測した。
 どうしてこんな森の中にいるんだったか、とレイはまどろみの中で答えを探す。
 空腹と疲れで倒れて。それから……。
「……あ」
 焚き火の向こうで座ったままこくりこくりと船を漕いでいる紫髪の男の姿を視界に捉え、レイはようやく記憶のもやがさっと晴れるのを感じた。
「そうか、この人に助けられたんだった……」
 上半身を起こしながら呟いた。
 地面で長時間眠ったせいで身体の節々は固まったように痛むが、体調が断然よくなっていることをはっきりと実感できる。手足も震えないし、身体の芯に種火が灯ったように暖かいし、思考も整然としている。
 起き上がると同時に肩から何かがばさりと落ちて、自分に毛布が掛けられていたことを知った。
「……?」
 見ると、ヒュウの肩には何も掛かっていない。独り者のようだから、当然毛布も自分のものしか持ち歩いていないはずだ。それをこちらに寄越してくれたのだ、とレイはすぐに察した。
 焚き火もいまだよく燃えて熱を提供し獣を遠ざけてくれているところを見ると、ヒュウはレイが眠っていた間に定期的に粗朶を足してくれていたらしい。座ったまま船を漕いでいるのは、休息をとりつつも火の番を怠るほど熟睡せぬようにするためというわけだ。
「はぁ……なんでおれは……」
 レイは痛恨のため息を長く吐き出した。
 なんでおれは、また他人の世話になってしまったのか――活力が戻って冷静になった頭で、レイは大きな後悔に直面した。
 物乞いや盗みをしなくても生きていけるよう、自立を志して孤児院を出たというのに。その後もどんなに腹が減ってもそういった行為だけはせずに耐えてきたというのに。
 成り行きのうえとはいえ、これではヒュウに恵んでもらったのと同じではないか……。
「くそっ!」
 子供であることが悔しい。手に職がないことが悔しい。独りで生きるための知恵も力もないことが悔しい。
 ぎりりと歯噛みすると、悔しくて悔しくて涙が出そうになった。
 するとそのとき、ヒュウがもそりと身体をよじるようにして動いた。
「ん……朝か? ふぁ~あ」
 ぐぐっと両腕を伸ばし、大口であくびをする。
「おう、起きたのか、レイ」
「え、あ、まあね」
 昨日は勢いだけで飲み食いしたので話をする余裕などなかったレイだったが、今はもう普段の冷静な感覚を持ち合わせている。元々初対面の人間に対して警戒しがちなレイは、好き放題に飲み食いしてしまった気まずさと、ヒュウに施しを受けてしまったばつの悪さもあいまって、つい目をそらして無愛想な返事を返してしまった。
「元気そうだな、良かった良かった」
 しかしそんなレイに嫌な顔をせず、ヒュウはにかっと笑ってそう言った。そのからりとした態度がかえってレイを居心地悪くさせる。
「……世話になった。いくら払えばいい?」
 ヒュウの厚意から逃れようとしてひねり出した台詞がそれだった。案の定、ヒュウは豆鉄砲をくらった鳩のような当惑顔だ。
「……はあ?」
「お、おれはっ! 施しとか、受けるつもりはないから! 助けてもらったぶんはきっちり返す!」
「……でもよ、お前、その様子じゃ金持ってないんだろ?」
「それはそうだけど……働いて返す」
「リキアじゃ児童労働は禁止されてるぜ?」
「うっ……! じゃあ、年齢を偽って……!」
 どうしたって十歳そこそこの少年にしか見えない容姿を自覚しながらも、レイは食い下がる。
 ヒュウは自分の膝に肘つきをして、ふっと苦笑した。
「……まぁ、な。食いたいだけ食いやがってこのクソガキ、とは思ったぜ?」
「う……」
「でもよ、お前、何か訳があるんだろ? ガキが独りでこんな郊外をウロウロしなきゃならない理由が、よ」
「……」
 図星だった。ヒュウの紫水晶の瞳がレイをじっと見透かしている。
 助けられた恩もあって、その視線を無視することはレイにとって簡単なことではなかった。
「……家出したんだ、孤児院から」
 ぽそり、とレイは言った。
「孤児院……じゃあ、お前、」
 孤児なのか、と言おうとしたヒュウの同情をレイはわずかに怒気をはらんだ声で遮った。
「勘違いすんなよ! おれはあの孤児院が好きだったし、院長先生も世界で一番尊敬してるんだからな!」
 レイは孤児院で育ったことを、苦労はあれども決して恥だとは思っていなかった。それは慈愛に溢れた院長先生の教育の賜物だった。
 だから、孤児院育ちであるのを人に隠そうとすること、それはすなわち院長先生を貶めることになってしまうと考えている。ヒュウに対してもその態度は変わらない。
 だったらなぜ、とヒュウは訝しげに眉根を寄せた。
「そんなに大好きな場所だったのに、家出したのか?」
「まあね。そろそろ自立したくてさ」
 レイはあくまでさらりと答えた。しかしヒュウは一段と声のトーンを落とし、痛いところを突いてきた。
「……何か、あったのか」
「!!」
 ぎくり、と心臓が跳ねた。
 物乞いをすることに心底嫌気がさした、ほんの小さな小さなきっかけ。されど、その小ささとは反比例して、今でも燃えるような熱さで記憶の中で明滅している。
 どうしても許すことができなかった、あの夏の出来事。幼い少女の無邪気すぎるまなざし――。
「……っ」
 当時の記憶がまざまざと瞼の裏側に蘇り、レイは知らず拳を握り締めていた。
 わなわなと震え、爪が立つ。
 その頑なな拳をふっと緩めたのは、レイよりひとまわり大きいヒュウの手だった。
「やっぱいいや、言うな」
 見ると、ヒュウはレイの横に移動してレイの拳をやんわりと押さえていた。
「立ち入ったことを訊いちまって悪かった。別に無理に聞くつもりはねえから安心してくれ」
「……」
 レイが怪訝な顔を向けると、ヒュウは「ただな、」と付け加えた。
「現状、おれは大人で、お前は保護者のいない飢えたガキだ。おれがお前を助けるのは当然のことだろう? それを金で返してほしいなんざ、これっぽっちも思っちゃいねえよ。むしろそんな要求するようになったらこのヒュウ様もオシマイだぜ?」
 冗談っぽい口ぶりだが、ヒュウの目は本気だ。しかしレイの反抗も折れない。
「だけど! おれはあんたに恵んでもらう義理は……」
「だーかーらー、」
「むぐっ」
 ヒュウは片手でレイの顔を雑に掴んだ。両頬が潰れて蛸のような人相になる。
「施しだとかお恵みだとか、こっちもそんなつもりはねえって言ってんの! 仮にお前がどっかのお貴族様のぼっちゃんだってんなら請求書切らせてもらうかもしれねえけどよ、違うだろ? お前、独りで困ってたんだろ?」
「くっ……おれがみなしごだから哀れんだのかよ」
 ヒュウの手を払いのけてレイもまた反論する。
「そうじゃねえって! そもそもおれはガキは嫌いなんだ、でもなんつうかこう……ほっとけねえんだよ! お前みたいなガキは」
「なんだよそれ、そういうのを同情って呼ぶんだろ」
「ああああもう! いいよ、同情でも何でも! とにかくお前が負い目に感じるような理由は何もねえってことだ、わかったか! っていうかわかれ!」
 ヒュウはもどかしい問答に見切りをつけ、スパーンとレイの頭をはたいた。
「痛てっ! 何するんだよ!」
「知らん! ……っ、ぶぇっくしっ!」
 レイの抗議を無視しようとしたところで、ヒュウは焚き火に向けて盛大にくしゃみをした。と同時に、夜明けの冷え込みを急に感じて肩がぶるっと震えた。
 天を仰げば、暁の空の色が徐々に白み始めている。最も気温の低い時間帯を過ぎた頃のようだ。
「あ~さすがに朝はまだ冷えるな。この野郎、おれの毛布返しやがれっ」
 ヒュウは鼻をすすりながら、レイの膝の上から毛布をむしり取って頭から被った。
「や、ぬくいぬくい。生き返るねえ」
 毛布に包まって火にあたるヒュウを、レイは「あんたが勝手におれに被せたんだろ」と半眼で見ていたが、ややあって思い直す。その厚意がわからぬほどレイは愚かではない。
「……悪かったな、毛布、借りちまって」
 ぶつぶつと愚痴でも言うかのような口調だったが、レイは素直に謝った。
 毛布を取られてから気がついたが、火にあたっていても背中側の体温はしんと冷たい春先の風にさらわれてゆく。おそらく今朝はここ一週間で一番の冷え込みだろう。そんな中で毛布もなしに火の番をしているのは酷だったはずだ。
 するとヒュウはおどけたように大げさな身振り手振りで答えた。
「おう、そりゃあもう寒かったぞ! 鼻水がこう止まんなくてよ、焚き火が消えちまうかと思ったぜ!」
「……」
 せっかく人が謝ったのに、とレイは前言撤回したくなった。
「そうだ、お前も旅するつもりなら毛布かマントがあったほうがいいぜ。お前、持ち物は? 旅道具は持ってるのか?」
「うっ、それは」
 突かれると痛いところだった。孤児院の皆に隠れてこっそりとかき集めた旅道具だったのでじゅうぶんには程遠い品揃えである。おまけに現金は盗まれて文無しだ。
 レイは道具袋を開いて中身を並べた。
 孤児院の台所から持ち出した鈍色のフォークと木椀。院長先生に一人一つずつ持たされていた傷薬。以前町で拾った小さなナイフと残り本数の少ないマッチ。そして、孤児院の書棚からくすねてきたファイアーの書とミィルの書だ。
 院長先生は子どもたちの素質を見出すために積極的にさまざまな技術に触れさせてくれた。そのうちのひとつが魔道で、レイは理魔法か闇魔法の素質があると言われていた。しかしまだどちらとも判断されていなかったので、迷った挙句、レイのほかに適性のありそうな者がいなかったミィルの書と、部数に余裕があったファイアーの書の両方を持ち出してきたのだ。
 院長先生も皆も怒っているだろうが、いつかその何倍も恩返しをするつもりで、心の中で謝りながらふたつの魔道書も袋に押し込んだのだった。
 当然、ヒュウは不思議そうに首をひねった。魔道はふつう、いずれか一系統しか修められないからである。
「理魔法と闇魔法の書が両方……?」
「うん。どっちがより素質あるかわからないって言われたから」
「はあぁ?」
 ヒュウがいっそう怪訝そうな顔をするので、レイは少しむっとして棘のある言葉を返した。
「なんだよ、文句あんのかよ」
 するとヒュウは慌てて両手をぶんぶん振って他意はないことを示した。
「いやいやいや、そうじゃねえよ。だってお前……どう見ても闇魔道向きだろ」
「……え?」
 今度はレイが戸惑う番だった。
「レイ、お前闇魔道の素質あるよ。しかもそうとうなもんだ。おれが言うんだ、間違いねえ」
 ヒュウがあまりに平然と言い切るので、レイはしばらく開いた口がふさがらなかった。
「な……なんであんたにわかるんだよ。嘘くせえ」
「うーん、なんでって言われてもなぁ」
 レイの疑惑の眼差しをひしひしと受けるヒュウは、手を顎にやって考えこむようにして言葉を探した。
「おれのばあちゃんが闇魔道士の権威みたいな人でさ。遺伝のせいか、ガキの頃から闇魔道が身近にあったせいか知らねーけど、見たらなんとなくわかるんだよな。あーコイツは闇魔道の素質があるな、って」
「なんだそれ、ただの勘じゃないか」
「ああそうだ。ただし、一度も外したことのない勘だ」
 レイはぐっと押し黙った。
 ミィルの書にそっと触れてみる。
「おれが、闇魔道士……」
 この男が言うことが真実ならば、この書を持って闇魔道の修行に励めばいつか大成することができるだろうか。
 そこでレイははっと気がついた。今ヒュウは祖母が闇魔道の権威だと言ったではないか。
「あ、あのさっ! ってことはあんたも闇魔道使いなのか!?」
 だったらおれに修行をつけてくれ、そう言わんばかりの勢いでレイはヒュウに迫った。
「あっはっは、それがなぁおれは闇魔道はさっぱりなんだよな! 旅のイケメン理魔道士とはおれ様の……」
「チッ」
「あ!? お前今舌打ちしたな!? 舌打ちしただろ!?」
「期待して損した」
 大げさにため息をついて、一瞬でも期待を膨らませてしまったことをレイは後悔した。やはり人生そう都合よくはできていない。
 とはいえ、自身に闇魔道の素質があるとわかったことは大きな収穫だ。孤児院を出たときに思い描いた目的地は正しかったのだとレイは再確認した。
「なあ、エトルリアってここからまだ遠いのか?」
「お前、エトルリアを目指してんのか?」
「ああ。魔道を極めるならエトルリアだって聞いたことがあるから。そこで魔道を学ぼうと思ってる」
 レイの目的地、それはエトルリアだった。騎士の多いリキアに比べ、エトルリアには大きな図書館があったり学術院があったりなど魔道に力を入れているという。そこへ行けば自分も何か習得できるのでは、という漠然とした予測があった。
「なるほど、な。けど、エトルリアはけっこう遠いぞ? この先もまだオスティアを越えなきゃらなねえし、エトルリアに入ってももし首都アクレイアを目指すんだったらもっともっと先だ。そんな旅装で行けるような距離じゃねえよ」
「ぐ……」
「それに、賊や野犬なんかが多い危ねえ地域もある。ガキ一人じゃあエトルリアに着く前にこの世とサヨナラしてるかもしれねえな」
 レイは唇を噛んで、並べられた自分の持ち物を見下ろした。しかしヒュウに言い返せる材料は何も見つからなかった。賊や野犬どころか、その日の飯すらままならないのである。
「でも……それでもおれはっ、」
「そこでだ。ひとつ提案なんだが」
 意固地になるレイの台詞を遮ったのはヒュウの何やら含みのある声だった。ヒュウは人差し指をぴっと立て、とっておきの話でも聞かせるかのようにレイに言った。
「お前、おれを雇わないか?」
「……は?」
 耳を疑うように問い返したレイに、ヒュウは押し売り口調で話を進めた。
「さっきも言ったとおり、おれ様は旅のイケメン理魔道士だ。旅慣れてるうえ悪いやつらの撃退もできる。おまけにエトルリアへの道も知ってるときた。こんな超優良物件、ほかにはないぜ?」
「ちょ、ちょっと待てよ。そのイケメンってのは置いといて、雇えって言われても」
「なんで置いとくんだよ! 拾えよそこ!」
「おれ、人を雇うような金ないから。見ればわかるだろ」
 突っ込むヒュウを完全に無視して、レイは至極冷静に肩をすくめた。そして広げた持ち物を道具袋に片付け始める。
「あーっ待て待て待て! 金はいらねえから、それだよそれ!」
「は?」
 ヒュウが慌てて指差したのは、レイが今にも袋に入れようとした赤い表紙の魔道書だった。
「なに、あんたファイアーの書が欲しいの?」
「そうそう! いやーうっかり手持ちの書を使い切っちまってよぉ! ……じゃなくて、お前闇魔道をやるんだったらファイアーの書はどうせいらないだろ? 現金の代わりにそれで請け負ってやっても、いいんだぜ」
 最後だけ格好がついたが、レイは完全に半笑いになってヒュウをにやにや眺めていた。
「へえ、予備がないのに書を使い切っちゃったのか。ばかだね、あんた」
「う、うるせえやい! これからフェレに買いに戻るところだったんだよ! ……とにかく、おれを雇うのか、雇わないのか、どっちなんだ!?」
 どっかりとあぐらをかいた膝をぱしっと叩き、ヒュウはレイに取引を委ねた。
 レイはくっくっと笑いながら目の前の男をあらためてじっと見た。
 整ってはいるが本人が過大評価している感も否めない顔立ち、いたずらっぽさの残る明るい瞳、魔道士にしてはしっかりした体格。そして、裏表のなさそうな物言い。良く言えば正直、悪く言えば単純。
 値踏みするわけではないが、レイはヒュウを信用してよいものかどうか思案した。
 しばし黙考したのち、はたしてレイは頷いた。
「……わかった。あんたを雇おう」
「よしきた! 大船に乗ったつもりで任せたまえ、このヒュウ様がエトルリアまで連れてってやるからよ!」
 ニカッと白い歯を見せて笑い、ヒュウは手を打って喜んだ。
「ああ。じゃ、この書はあんたにやるよ」
 レイは約束どおりファイアーの書をヒュウに手渡した。
 これで、エトルリアへ行くことができる。ヒュウとの取引はまさに渡りに船、それもヒュウの言葉を借りれば大船と言えた。
 しかしレイにこの取引を受けさせた決定打はその点ではなかった。
 一番の理由は、ヒュウからはレイの自尊心をないがしろにするような嫌な印象は受けなかったからだ。そう、あの夏の日の屈辱とは違って。
 そのような大人はレイの知るかぎりほとんどいない。仮にもし、ここでリキアで最も優秀な傭兵を雇うことができたとしても、その者が少しでも憐憫のまなざしや優越感を見せたとたんにレイはひとりで行くことを選んだだろう。
 だからこそ、ヒュウを信用してみてもいいかという気持ちになった。
「よし、それじゃあ早いとこ飯食って……っつってもお前が昨日食っちまったからあんまり残ってねえけど。そんで、エトルリアへ出発しようぜ!」
 ヒュウは意気揚々とそう言って右手を差し出した。
「よろしくな、レイ」
 ひと呼吸あってから「握手か」と気付いて、レイは大雑把な握手を返す。
「ああ。よろしくな、おっさん」
「お、おっさん!?」
 ヒュウは愕然として叫んだ。
「おれそんなに老けてるか? このヒュウ様が? まだ肌ツヤ抜群だぜ? 白髪もねえし……あ、白髪はこの前一本あったか。えーと、顔にほうれい線もねえし?」
「ぷっ」
 レイは思わず吹き出す。ヒュウを横目で見て笑いを噛み殺している。
「笑うなっ! つーか、取り消せ! おっさんはヒドイだろー!?」
 ヒュウはレイを指差して年甲斐もなく抗議したが、レイはどこ吹く風で「さあて」と立ち上がってにやりと笑った。
「出発の支度しようぜ。おれは何を手伝えばいい?」
「無視すんなって!」
 唾を散らすヒュウをけらけらと笑いながら、レイは胸の中で独白する。

 ――昨日、おれにはあんたが光に見えたんだ。
 それは薄れゆく意識が見せた単なるまぼろしだったかもしれない。
 だけど今、おれはあの光の正体を確かめてみたくなった。
 あんたと一緒なら、退屈しない旅路になりそうな予感がするよ――

 そして、心の声でそっと呟いた。ありがとう、これからよろしく、と。


 

第2話 『旅は道連れ』前編

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