ノクトがイグニスの誕生日を祝う話

【イグ誕】ノクトが高校時代に一人暮らしをしていた頃のお話です。うっすらイグノク。

ノクトがイグニスを祝う話

 この日のノクティスは朝から挙動不審だった。
 普段から勉強熱心とはとても言い難い彼だったが、この日は特に始終そわそわして授業の終わる時間を今か今かと待ち構えている様子である。
 夕方のホームルームが終わると、ノクティスはプロンプトを引っ張って一目散に高校をあとにした。
「ノクトー、そんなに急がなくたってスーパーは逃げないってば!」
「べっ、別に急いでなんかねーし!」
 言葉とは裏腹に、ノクティスはまるで競歩の選手か何かのようにせわしなく大股で歩いてゆく。走ってこそいないが、ちょっとしたジョギングより速いかもしれない。吐き出される白い息とともに落ち着きなく上下左右に揺れるノクティスのマフラーを目で追いながら、プロンプトは「分かりやすいんだから」と苦笑した。
 行き先は近所のスーパーだ。高校から徒歩十分ほどの距離だが、このペースならば五分ほどで着くだろう。
 ノクティスは早足で歩きながら、目当ての品を再確認するようにぶつぶつと諳(そら)んじた。
「牛肉に玉葱だろ、人参……は入れねーことにして、あとじゃがいもと……」
「カレールー。でしょ?」
 横からプロンプトが笑顔を覗かせた。
「そう、それだ。一番大事なやつ」
 ノクティスも人差し指を立てて大きく頷く。
 『カレーを作る』――それが今日ノクティスが急いでいる理由だった。そのために、雪もちらつく寒さにもかかわらず、いざスーパーで材料を買って帰らんとしているのだ。
「でもさ、ノクトってカレー作ったことあるの?」
「ない!」
 プロンプトの質問にノクティスは堂々と答えた。
 カレーを作ったことなど一度もない。いつもイグニスが何かしら作りに来てくれるし、そうでない日はカップ麺で済ませたり、ごくまれに簡単な炒め物をする程度だ。
「基本、炒めて煮てルーを溶かしゃいいんだろ? 楽勝じゃん。……多分」
 カレーを選んだのは、市販のルーを使えばまず間違いなく一定以上の味のものができると聞いたことがあるからだ。不安がないわけではないが、材料を切って鍋に放り込むくらいならどうにか自分にもできるのではないか、という淡い予感がした。
 カレー程度のことでいつになく余裕のない、されど大真面目なノクティスの横顔を眺めていると、プロンプトの胸はほっこりと和む心地がした。
「まったく、イグニスは幸せ者だねえ。誕生日にノクトに料理作ってもらえるなんてさ」
「さぁ、どうだか。下手くそすぎる、って説教食らったりしてな」
「あはは! ……でも、喜んでくれるよ。絶対に」
「だといいけどな」
 ノクティスは少し照れくさそうにはにかんだ。寒空に白い息がふわりと立ち昇る。
 そう、今日はイグニスの誕生日。
 一人暮らしを始めて以来、ノクティスは衣食住その他すべてにおいてイグニスの世話になりっぱなしである。ゴミの分別ひとつをとってもイグニスの助けがなくてはならないし、イグニスがいなければ洗濯物は溜まっていく一方だし、食事すらもままならない。
 しかし普段それに対してノクティスが特別礼を言うことはない。物心もつかない頃から主従の間柄だったからわざわざ謝意を口に出す習慣がなかったことに加え、単にノクティスが不器用なせいもある。だが、決して感謝をしていないというわけでもないのだった。
 だからイグニスの誕生日である今日のために、ノクティスは何日も前から密かにサプライズプレゼントを画策していたのだ――何か少しでも、イグニスに感謝の気持ちを伝えられるものを。
 悩みに悩んだ末ノクティスがあえて選んだのは『料理』というプレゼントだった。
 スーパーに到着したノクティスは、買い物かごを引っ掴むとぎこちない足取りで店内へと入っていった。

 

「すまない、遅くなった。珍しくグラディオがトレーニングに誘ってきてな」
 夜の八時。いつもと比べて遅い時間にノクティスの部屋を訪れたイグニスは、玄関で革靴を脱ぎながら律儀に謝った。
 くたびれた黒いスウェットを着て完全に部屋着姿になっているノクティスは、
「いーよ、別に」
 と素知らぬ顔で答えた。が、本当は聞く前からすでにそのことを知っている。なぜならノクティス自身がグラディオラスに頼んでイグニスの足止めをしてもらっていたのだから。
 おかげでイグニスの来訪は遅くなり、ノクティスはイグニスが来るまでにカレーを完成させることができた、というわけだ。
「飯はもう食べたか? まだなら、今から食材を買いに行ってくるが」
「あー、イグニス。それなんだけど、よ」
 ノクティスはぎくしゃくした動作で頬を掻き、視線を斜め上あたりにさまよわせた。
「何だ?」
「実は、さ。その……もう作ってあるっつーか、何つーか」
「ん……? そういえばカレーの匂いがするな」
 一発で言い当てられたノクティスの心臓がどきりと跳ねる。しかし分かりやすい匂いのメニューを選んでしまったのだから仕方がない。
「そっ、そーなんだよ、カレー! カレー作ったんだよ、……オレが」
 最後の部分だけ声音が弱々しくなった。ここに来て自信のなさが声に出ている。一流のシェフをも唸らせる料理の腕前を持つイグニス相手に初心者のカレーを出すということが、今更ひどく無謀なことに思えてきた。
 しかし後悔してももう遅い。なるようになれ、とノクティスは腹をくくった。
「ノクトが!? ……しかしまた、なぜ急に」
「そりゃあ、」
 お前の誕生日だからだよ。
 そんなストレートすぎる台詞の代わりになる言い回しを探して、ノクティスはしばし沈黙した。が、苦心してひねり出した台詞もまた、ぶっきらぼうながらも、やはり真っ直ぐなそれだった。
「……悪ィかよ。オレがお前の誕生日を祝ったら」
 それを聞いた瞬間、イグニスは言葉を失った。目を見開き、金魚のように口を開閉するが、語彙が何も出てこない。
 想像もしていなかった展開に対する驚きと、戸惑いと、喜びと、嬉しさと。様々な感情が巨大な毛糸玉のように合体し、一度に受け入れるには大きすぎる衝撃となってイグニスの胸に飛び込んできたのだった。
「……イグニス?」
 何も反応がないことに一抹の不安を覚えたノクティスがイグニスの顔を覗き込む。
「はっ! す、すまない。あまりに驚いてしまって。……まさか誕生日を覚えていてくれたとは」
「何、オレってそんな冷たいヤツだと思われてたわけ?」
「! 違う、そういう意味ではなくて」
「ハハッ、冗談だよ。ま、とにかく上がれよ」
「あ、ああ。そうさせてもらおう」
 珍しくしどろもどろな物言いをしながらイグニスは玄関から廊下へと上がった。何もないところで壁にぶつかっている様子を見ても、よほど驚いたのであろうことが窺える。
 まずはサプライズ成功だ、とノクティスは密かにガッツポーズを作った。

 

「……どーぞ」
 ノクティスは慣れない手つきで、されど精一杯丁寧によそったカレーライスをイグニスの前に置いた。
 ダイニングチェアでそわそわと待機していたイグニスは、ノクティスに負けず劣らずの落ち着きのなさで銀色のスプーンを手にとった。
「では、いただこう」
 そしてカレールーの乗ったライスをひとすくい口に運び、黙って数回咀嚼した。
「ど、どうよ」
 イグニスの正面の席に座ったノクティスが不審者を訝(いぶか)るような聞き方で恐る恐る尋ねると、イグニスは再び無言でカレーライスをすくって二度三度と口に運んだ。
 返事がないのは、まずかったからだろうか。心配になったノクティスは、テーブルの下でスウェットの裾を握り締めながらも、動揺を隠すように空元気を装った。
「べっ……別に無理して食わなくたっていーんだぜ? ルーだって市販のやつだし、お前の作るやつに比べたらその……全然だろうし」
「……い」
「え?」
 ようやくスプーンを持つ手を止めてイグニスが零した呟きは、ノクティスの耳に届かないほど小さな、いや、胸の奥から絞り出したような声だった。
「うまい。最高にうまい。今まで食べた、どんなカレーよりも」
 イグニスはそう言って顔を上げた。眼鏡の向こうの瞳が泣き笑いのようにくしゃっと細められて、目尻にいくつも皺を作っている。
「イグニス……」
 かつて見たこともないようなイグニスの満面の笑みに戸惑うノクティスに、イグニスは今度こそはっきりとした声で断言した。
「お前のカレーは世界一だ、ノクト」
 言葉こそ大仰だったが、そこに誇張などひとつもない。
 確かに、イグニスや一流のシェフが作るものとは違うかもしれない。野菜に比べて肉の量がやけに多いし、具材の大きさはまちまちだし、ルーは何だか水っぽいし、時々コゲが混じっているし、カレーに合わせるにしてはライスが柔らかすぎる。
 だが。されど。ノクティスがイグニスを想って作ってくれたカレーは、イグニスにとって他のどんな高級料理も足元にすら及ばない、間違いなく最高の味だった。
 ノクティスはしばし信じられぬような面持ちでイグニスを見つめていたが、勢い良くカレーを平らげてゆくイグニスを眺めていると、本当に喜ばれているのだという実感が徐々に湧き上がってきた。何だか面映ゆい気持ちになり、自然と頬が緩んでしまう。
 その後あっという間に皿を空にしたイグニスを見てノクティスは慌てて立ち上がった。忘れかけていたが、用意したのはカレーだけではなかったのだ。
「そうだ、エボニー飲むか?」
「まさか食後のコーヒーまで用意してくれたのか!」
「まあ、コーヒーの淹れ方分かんねぇから粉のやつだけどさ」
 イグニスの好物であるエボニーコーヒーをノクティスは好まないため、普段この部屋にエボニーが置かれていることはない。だがスーパーに行ったとき、いつもイグニスが食後に飲み物を淹れてくれることを思い出し、今日くらいはと買っておいたのだった。
 キッチンカウンターに移動したノクティスは、電気ケトルにざぶざぶと適当に水を入れてスイッチを押し、エボニーコーヒーのパッケージからスティックを一袋取り出した。
「これ、どのくらい湯入れんだろ……」
 説明書きに書かれている『150cc』という湯量をいまいち正確にイメージできず、ノクティスはエボニーのスティックを睨んで首を傾げた。
 着古したスウェットが形作るそのゆるやかな後姿を、イグニスが感極まったように睫毛を震わせて見つめていることを、ノクティスは知らない。
 ガタッ。ノクティスの背後で椅子が動く音がして、イグニスが立ち上がった気配がした。
 今日はイグニスの手伝いはいらねえんだけどなあ――ノクティスがわずかな不満を覚えかけたそのとき。
 突然ノクティスの肩がふわりとあたたかくなった。
「……っ!?」
 状況を把握するのにたっぷり一秒はかかった。ノクティスは、イグニスに背後から抱きすくめられていた。
 心臓が飛び出んばかりに驚いたノクティスの手からエボニーのスティックがぽとりと床に落ちる。
「イ、イ、イグニス!?」
 イグニスの力は存外強く、イグニスよりも小柄なノクティスはすっぽりとその腕の中に収まってしまっていた。慌てて振り返ろうとしたが思うように首も回らず、却ってイグニスの髪に頬をくすぐられて妙にくすぐったい。
「ノクト」
 ノクティスの肩口に顔を埋めるようにしてイグニスは言った。
「なっななな何だよ!?」
 ただでさえ穏やかな良い声を持つイグニスである。耳元で名を囁かれなどすれば、男であってもどぎまぎせずにはいられなかった。
 完全に狼狽しているノクティスを抱き締め、イグニスは静かに言った。
「ありがとう。とても、嬉しい。……ありがとう」
「……イグニス」
 ありがとう、を重ねたイグニスの声音があまりに優しくて。ノクティスは、ふっ、と毒気を抜かれた気分がした。動悸が治まり、徐々に落ち着きが戻ってくる。
 少し冷静になってみると、イグニスの力はその気になれば簡単に振りほどけるほどの優しいものだった。それに、背中を包む彼の体温はとても心地良い。
 そのときふとノクティスの脳裏に、よくイグニスと子犬のようにじゃれあったり一緒に寝たりしていた少年時代が蘇った。成長するにつれていつしかそういうことはなくなったけれど。
 数年ぶりにこうしてイグニスの体温を感じてみると、言葉にできない懐かしさと、どこか焦がれるようなこそばゆさが胸の真ん中のやわらかいところを突いてくる。
 たまにはこういうのも悪くないか、そうノクティスが思い始めたとき。
 耳元で、ズズッ、と鼻をすする音が聞こえた。
 ぎょっとしてノクティスが勢い良く振り向くと、なんとイグニスの瞳は真っ赤に充血していて長い睫毛に大粒の涙がかろうじて乗っかっている状態だった。
「ばっ……! お前、泣いてんじゃねぇよ!!」
「すっ、すまない……感激のあまり涙が……」
 イグニスは眼鏡を外して目頭を押さえた。その様子ときたら、我が子の初めての学芸会を見に来て感涙する親のそれである。
 はあぁぁ、とノクティスは呆れと可笑しさが混ざった深い深いため息を吐いた。そして数秒迷った挙句、やおら顔を上げ、
「ん」
 と、イグニスに向かって両腕を広げてみせた。
「…………?」
「ンだよ、来ねえのかよ。ノクティス様の期間限定大サービス実施中だぞ」
「ノクト……!」
 ノクティスの気遣いを察したイグニスは、今度はノクティスを正面からぎゅっと抱き締めた。はずみで睫毛の上の雫がついにこぼれ落ちてしまう。
「ったく、しょーがねえなあ」
 ノクティスはくっくっと笑ってイグニスを受け止め、その広い背中をぽんぽんと甘やかすように叩いてやった。
 途中、電気ケトルが湯が沸いたことを知らせる音を発したが、ノクティスもイグニスも離れようとはしなかった。もう少し、もう少しだけ、このままで。
「イグニス」
「何だ」
「誕生日、おめでとう」
「……ありがとう、ノクト」

 

 二月七日、粉雪の舞う冬の日。
 二人の間にほんのりとあたたかな種火が灯った。

 

おしまい

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