HORIZON

FINAL FANTASY IV
Another Future

11. 自戒のしるし(1)

- Porom Side -

 少しだけ近くなったわたしとカインさんのとの距離。
 カインさんのおかげで、パロムとの別離の寂しさは和らぎ、あれ以来わたしは泣いていない。
 パロムに負けまいと仕事に精を出し、穏やかな日々が続いた。
 そしてようやくひとりぶんの食事や洗濯にも慣れた頃、わたしはいつものように長老の館でその日の報告を行っていた。
「ふむふむ、だいぶ山の修繕は進んでおるようじゃな」
 眼鏡を外した長老がしわしわの指で日誌のページをめくる。
 以前はメモ帳を使っていたのだけれど、几帳面な仕事をしたかったわたしはずいぶん前から報告用の日誌を使うようになっていた。
「はい、このぶんならあと半年もあれば初心者の修行の場としても使えるようになりそうです」
「うむ。ご苦労じゃった」
 満足げに長老はわたしに日誌を返してくれた。
「では今日は失礼しますね」
 わたしは日誌を鞄に納め、礼をして部屋を出ようとしたその時、長老は思い出したかのようにわたしを呼び止めた。
「そういえばポロムよ」
 長老の声に足を止めて振り返る。
「何でしょう?」
「最近竜はどうじゃ? 少しは人間らしくなったかの?」
「…………!」
 わたしの心臓が突然の質問にドキンと跳ね上がる。
 竜、それはすなわちカインさんのことだ。
 ここのところ長老には彼のことを聞かれていなかったので、油断していたわたしは一瞬言葉に詰まってしまった。
「い、嫌ですわ長老、『人間らしく』だなんて。カインさんは充分、情の深い方ではありませんか」
 どこにも行かない、だなんて情のない方に言える台詞ではない。
 あの日繋いだ手のあたたかさが思い出されて内心ドキドキしながらわたしは答えた。
「ほう? あやつが情が深いか! ほっほっほっ……」
 何が滑稽なのか分からないが長老は可笑しそうに笑った。
 わたしは少しむっとして口答えする。
「何が可笑しいんですか。カインさんに失礼ですよ」
「いやいや失敬。そうか、あやつも人間らしくなってきおったか。それは何よりじゃ。ポロム、もう下がってよいぞ。呼び止めてすまなんだな」
 満足そうに笑うばかりの長老。
 そういえばカインさんも長老のことを知っているようだったけど、どういう関係なんだろう?
 わたしがいぶかしむように口をへの字にすると、長老は言った。
「あやつが人間らしく生きているなら何も問題など起こらんのじゃ、心配いらん」
「…………?」
 へんな長老。
 首を傾げつつも、わたしは館を後にした。

 翌日は休みの日。
 だけどわたしは試練の山に向けていそいそと家を出た。
 ……大荷物を持って。
 良かった、天気は快晴。
 これならまさに掃除日和だわ!
「…………」
 一合目でわたしを見るなり呆れたように言葉を失ったのはカインさんだ。
「前にカインさんおっしゃいましたでしょ? 今年は本格的に寒くなる前にコテージの大掃除をしたいと。もしかしてお忘れでした?」
 大真面目に言うわたしの手には、大小のほうき、ちりとり、はたき、バケツ、新聞紙、洗剤などあらゆる掃除道具が握られている。
 背中に背負ったリュックの中身も全部雑巾だ。
 そんな完全武装したわたしにカインさんは苦笑した。
「……いや、覚えている。見た目が滑稽だっただけだ」
 言われてわたしは自分の首から下を見る。
 ローブの袖にはたすきをかけ、両手のバケツから飛び出したほうきたちはまるで武器のよう。
 確かに、ちょっと変かもしれないが、わたしはぷーっと頬を膨らせた。
「し、失礼しちゃいますわ! 持ってくるの、大変だったんですよ!?」
「ふっ、まあ怒るな」
 言葉と相反して顔がまだ笑ってますけど……?
 本当に、これだけ荷物を持ってチョコボに乗るのは大変だったのに。
 わたしがむくれていると、両手の掃除道具入りバケツがカインさんの手に渡った。
「すまんな、わざわざ。助かる」
 そう言って、カインさんは荷物を抱えてすたすたと先を歩き始めた。
 まったく、気が利くんだか利かないんだか。
 わたしは機嫌を取り直してカインさんの背を追った。  

 掃除はもっぱらわたしの仕事だった。
 普段は素早くて命中も正確なカインさんだけど、こればかりはわたしの圧勝。
 数刻経った頃にはわたしが掃除係、カインさんは力仕事、という風に完全に役割分担したくらいだ。
 そして、残すは後片付けのみとなった頃。
「この雑巾は全部洗えばいいのか?」
 わたしがバケツの横に積んでいた雑巾の山を見てカインさんは言った。
「あ、じゃあ一緒に手伝ってくれますか?」
「お安いご用だ」
 そしてカインさんは嫌な顔ひとつせず、汚れた雑巾をじゃぶじゃぶと洗い始めた。
 雑巾を洗うカインさん……その光景が妙に可愛くて、わたしはついぷっと笑ってしまう。
「……何だ?」
 憮然としてカインさんが一瞬手を止める。
 彼ほどこういう作業が似合わない方もなかなかいない。
 同じ見目の良い男性でも、セシルさんなら不思議と雑巾洗いも絶対似合うと思うのだけど。
「……いえ、ちょっと『滑稽だった』だけです」
 わたしが先程のカインさんの台詞を奪うと、カインさんはまるで少年のように口をへの字にして、むきになったように勢いよく雑巾洗いを再開した。
 周囲に水が飛び散る。
「あら、カインさん」
 その様子を見てわたしはあることに気が付いた。
 カインさんってば袖を捲らずにやっているから、袖の端がすっかり濡れてしまっている。
「袖、捲りますね」
 わたしは自分の手を拭き、カインさんの左の袖に手を伸ばした。
「ああ、すまんな」
 カインさんは捲りやすいように肘を上げてくれた。
 左の袖を三重ほどに外に折り返し、次は右の袖。
 左同様に、外側に一度折り返した、その時。
「――触るな!!!」
 突如、わたしの手はカインさんに激しく振り払われた。
 カインさんは右の袖を押さえ、わたしに厳しい視線を向けている。
 突然のことにわたしはわけがわからず、呆然としてカインさんを見つめた。
 宙にさまようわたしの手が震えた。
 カインさんに突然振り払われて驚いたからではない。
 わたしは、見てしまった――彼の右袖の下を。
 そこに刻まれた、ひとすじのしるしを、見てしまったのだ――。
「……見たのか」
 カインさんが苦々しい声で言う。
 言葉が出ず、わたしは震えながら頷く。
 わたしが見たもの。
 それは右の手首を横に走る、一本の刻印。
 周りの皮膚よりも色が白く少し盛り上がったようになったその線は、どう見ても深い切り傷の痕。
 そう、自ら命を断とうとした者が手首に刻む、あの刻印だった――
「ご、ごめんなさい……」
 わたしは見てはならないものを見てしまった。
 声にならないほどのかすれた声でわたしは言葉を絞り出す。
 なぜこんなものがカインさんの手首に……?
 わたしは自分の見たものが信じられず、ただただ目線をさまよわせた。
 カインさんはしばらく渋い顔で黙っていたけれど、やがて少し声音をやわらげた。
「……すまん。怯えさせるつもりはなかった」
 わたしはふるふると首を振り、どうしていいか分からず自分の手元に視線を落とす。
 どうして、カインさんが命を断つようなことを……?
 いつのことだろう。
 何があったんだろう。
 知りたいけど、訊きたいけど、訊けない。
 わたしがうつむいているとカインさんは言った。
「君にはもっと早くに話しておいてもよかったかもしれんな」
 はっとして顔を上げると、カインさんの目からはもう険しさは消えていた。
 そして、彼は淡々と話し始めた――

- Cain Side -

 俺は濡れた手を適当に拭き、コテージの外壁に背を預けた。
 暗い過去に久々に思いを馳せる。
「俺がかつて心の闇につけこまれて裏切り行為を繰り返したことは前に話したな」
 ポロムがコクンと頷く。
「だが……よほど俺の闇は深かったらしく、俺はどうしてもセシルとローザを心から祝福してやることができなかった。だから俺はそんな闇を叩き出すため修行の旅に出た……」

 最初は砂漠。そしてホブス山。ファブールの森林。トロイアの洞窟。エブラーナの荒野。
 俺は試練の地、そして安住の地を求め世界を転々とした。
 俺はひとりで生きていかなくては――昔、親父を亡くした時に決意したのと同じ思いで、俺は誰を頼ることもなくさすらった。
 だが、孤独であればあるほど俺の中の闇は深くなっている気がした。
 月を見ると思い出す……パラディンとなったセシル、そしてその傍で微笑むローザ……。
 そして自分自身の悪行の数々を……。
 クリスタルを奪う俺の手、平気で親友に向けた槍、捕らえたローザの傍で高揚する心……。
 四年が経った頃、身も心も疲れ果てた俺はひとりミシディアの浜辺に立っていた。
 今でも覚えている。禍々しいほどに明るい満月の夜だった。
 数多の星が煌めく空はどこまでも広く、目の前に広がる夜の海には終わりが見えない。
 その雄大さに比べ、俺という存在などなんとちっぽけなことか。
 もう、生きていても死んでいても変わらないのではないか。
 むしろ、このどす黒い闇は、消し去るよりも自身もろとも葬ってしまった方が早いのではないか。
 ひとり夜の底を行く俺は、月の魔力に囚われたかのように浜辺に立ち尽くした。
 これ以上生きていて何がある?
 何の理由がある?
 何の価値がある?
 気が付くと俺は左手で槍を持ち、その刃先を右の手首に当てていた。
 そして……何のためらいもなく、俺はその刃を滑らせた。
 鮮血が舞う。
 これで、いい。
 俺は浜辺に倒れるように仰向けになり、満天の夜空を仰いだ。
 ああ、月が綺麗だ。
 右手首からはあたたかいいのちの奔流と共に、これまで苦しみ続けた闇が流れ出て行くような気がした。
 これで俺は楽になれる。解放される。
 目を閉じると、まだ何も分かっていなかった頃、セシルとローザと無邪気にバロンの街を走り回った記憶が蘇った。
 それぞれに大人になり、暗黒騎士、竜騎士、白魔道士の道を進んだ俺たち。
 何度裏切っても快く迎え入れてくれた優しすぎる親友、囚われてもなおセシルの名を呼び続けたローザ、ともに月に向かった魔導船の中……そして、地球に戻ってきた時の幸せそうなふたりの笑顔……。
 そう、これでいいんだ……。
 そして俺の意識は穏やかに遠のいていった。

「う、そ……」
 俺の話を黙って聞いていたポロムは口元を手で覆い、震える声で言った。
「本当だ。この傷は……その時のものだ」
 俺は右の袖を捲り、ポロムにしっかりと見せた。
 堂々と誰かにこれを見せるのは初めてだった。
「でも、今カインさんは生きていらっしゃいますわ……?」
「ああ……。よほど悪運が強かったらしい。人生なかなか思い通りには行かんもんさ」
 自嘲気味にふっと笑い、俺は話を続けた。

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