HORIZON

FINAL FANTASY IV
Another Future

7. 酔っぱらいの戯言(2)

「……何をやっているんだ、俺は……」
 コテージの外でしゃがみこみ、俺は長い前髪を乱暴に掴んだ。
「くそっ……」
 あの少女を、いつもと違う目で見てしまった自分がいた。
 彼女から手を伸ばしてきたとはいえ、躊躇もなくその手を握ってしまったことがいい証明だ。
「十も下の子どもだぞ……!」
 ともすれば自分が何かしでかしてしまうのではないかと直感的に悟った俺は、頭を冷やすべく彼女の傍から離れた。
 妙な火照りが頭から離れない。
 山頂の風を浴び、気持ちを落ちつける。
「優しい……か。この俺が」
 そんなことを人に言われたのは初めてのような気がする。
 今までそんなものセシルの専売特許だと思っていたし、そういう風に振る舞ったつもりもなかった。
 だが彼女は言った。

『あなたは……こんなにもお優しい方なのに……』

「ふっ……馬鹿馬鹿しい。所詮、酔っぱらいの戯言だ」
 自虐的に俺は笑う。
 そうだ、酔っぱらいの言うことほど当てにならないものはないのだ。
 そう思い込まなければ、あの熱っぽい菫色の瞳を忘れることができそうになかった。
 あの少女を見る目が変わるということは、同時にある種恐ろしいことでもあった。
 ものごころついて以来、ずっとローザを追っていた自分。
 セシルを恨んだのも敵にいいように利用されたのも、すべてはローザを想う気持ちが募ってのことだった。
 それは若かった俺の一部を形成し、まるで狂信的な宗教か何かのように俺を突き動かした。
 そんな俺の根底に横たわる暗く強固な信念の中にあの少女を迎え入れるとどうなってしまうのか。
 消し去りたい信念のはずなのに、自分の中に脈々と根を張ったその根幹が変わってしまうことは自分が自分でなくなってしまうようで恐ろしく感じられた。
 ……少し、距離を置いた方がいいのかもしれん。
 彼女を見る俺の目が変わってしまう前に。
 風が、金糸の髪をさらさらと揺らしていった。

 夕方になると、彼女は目を覚ました。
 上体を起こし、辺りをきょろきょろと見回してからようやく自分の状況を理解したようだ。
「あれ、わたし……」
 きょとんとした間抜け面は先程の酔っぱらいとはとてもじゃないが同一人物には見えない。
 その無邪気な所作に俺はほっとした。
「目が覚めたか」
 俺が言うと、彼女はおずおずと寝台の上で正座になった。
「あ、あのー……つかぬことをお聞きしますが、どうしてわたしはこんなところで寝ていたんでしょう?」
 眉を八の字にして、くそ真面目に尋ねてきた。
 その様子が可笑しくてつい俺は笑ってしまった。
「覚えていないのか」
「えっと……お水を飲んだと思ったら、頭がくらくらしてきて……それから……もう分かりません」
 しゅんとして彼女はうなだれた。
 こちらとしては好都合だ。
 あんな甘言を覚えていられては、こちらもどういう顔をすればいいのか分かったもんじゃない。
「お前が飲んだのは強い酒だ。目が覚めたのならもう大丈夫だろう」
 だが彼女はなおさら情けない顔になって「もしかして、」と続けた。
「カインさんがここまで運んでくださったんですか……?」
「……俺以外に誰がいる」
 憮然として答えると、彼女は頬を真っ赤にしてぺこぺこと頭を下げてきた。
「きゃー、ごめんなさいごめんなさい! あああ、わたしったら、もう……!」
 今更そう言われても、な。
 あったかい、などと言いながら俺に頬を摺り寄せてきたのはどこのどいつだ。
 やはり、『優しい』など酔っぱらいの戯言だったのだ。
「あ……それから」
「何だ」
 彼女は思い出したように居住いを正した。
 少しためらうように目線をさまよわせてから彼女は言った。
「ごめんなさい……ローザさんのこと」
 何かと思えば、そのことか。
 俺としては彼女が酔っ払っている間の会話で済んだ出来事だったので今更である。
 だが彼女は覚えていないだろうから同じ台詞を言ってやった。
「……気にするな。俺の方こそ……怒鳴ってすまなかった」
「カインさん……」
 彼女は申し訳なさそうにもう一度小声で「すみません」と言った。
 これだけ気を遣わせるくらいなら、話しておいたほうがいいのかもしれない。
 少なくとも俺の知らない場所で彼女がどこからか耳に入れてくるよりは、自らばらしてしまったほうがまだマシだろう。
 彼女はおそらく自分からは訊いてこない。
 訊きたくても訊いてくる性格ではない。
 ならば今ここで俺が伝えた方がお互いすっきりするというものだ。
 話そう、俺の過去のあやまちを。

「俺とローザは、バロンの上流階級の家に生まれた」
「…………」
 彼女は寝台に正座したまま、じっと俺の目を見ながら話を聞いた。
 俺は淡々と、昔の記憶を吐き出していく。
 竜騎士団隊長だった父をはやくに亡くしたこと、ローザの母親がローザと俺を結婚させたがっていたこと、だがローザはずっとセシルのほうを向いていたこと、ローザに応えようとしないセシルに憤りと友情の混ざり合った嫉妬を抱いたこと……
 そしてある時、俺の闇に何か『別のもの』が住みついたこと。
「ファブールやトロイアのクリスタル、果ては地底のクリスタルを奪ったのはこの俺だ」
 目の前の少女は手で口を覆った。
「闇に囚われた俺の中では、セシルが憎い……ローザの傍にいたい……その思いだけが膨らんでいった。意識はあったのだ……だが俺はゴルベーザに加担し、セシルたちを裏切ってしまった。何度も……何度も」
 話していると何か苦いものがこみ上げてくる心地だった。
 あれから五年近くも経ったのだからもう大丈夫だろうと思っていたのに、声に出すと吐き気がした。
「俺は月の戦役の後、自分の中にある闇を消すために旅に出た……。だがどうやらいまだに克服できていないらしい」
 ひとつ呼吸を置いて、俺は静かに言った。
「俺はそういう汚い人間なんだ。お前のことも、いつ裏切るか分からん。だから――」
 もう俺に構うな。
 そう言おうとした時。
「カインさんはそんな人じゃありませんわ!!」
 彼女が叫んだ。
「そんな人じゃありません! 昔はそうだったかも知れないけど、少なくともわたしが知っている今のカインさんは……!」
 彼女は泣きそうな顔で、しかし怒ったように俺の目を真正面から射抜いていた。
「この先誰かを裏切るだなんて、ぜっっっったいにありませんっ!!!」
 鼻息荒く、そう言い切った。
 俺が二度と裏切らないだと……?
 いったい何を根拠にそんなことを。
 どこからその自信が沸いてくるのか?
「なぜ怒るんだ」
 どうしていいやら分からず俺が訊くと、
「カインさんがバカだからです!」
 と彼女はもどかしそうに怒鳴った。
 ますますもって意味が分からない。
 自分の罪を罵倒されることはあっても、突然馬鹿と言われる筋合いはない。
「……意味がわからんぞ」
 すると彼女はなおさら憤慨したように顔を赤くして俺を睨むと、子どもを叱る母親のように語気を強めて怒鳴った。
「あなたのようなお優しい方が誰かを裏切るはずがないじゃないですか!!!」
 優しい――だと!?
 一瞬、思考が止まった。
 数刻前の酔っぱらいの戯言が脳裏に蘇る。
『……あなたは……こんなにもお優しい方なのに……』
『カインさんだって……セシルさんに負けない素敵な方だと……わたしは思います』
『お世辞なんかじゃ……ありませんわ』
 酔っぱらいの戯言では……ない?
 冷え切った心の中に、何かあたたかいものが満ちていく。
 闇の中に差す、ひとすじの光。
 俺ははっとして顔を上げた。
 怒りをぶちまけた彼女は、泣きそうな顔で、しかしながら確信に満ちた表情で、口をへの字に引き結んでいた。
 俺は掛けるべき言葉に迷った。
 優しくなどない、と否定するべきなのか。
 すまん、と謝るべきなのか。
 ありがとう、と感謝するべきなのか。
 俺が迷っている間にも彼女の眉は悲しそうに八の字に下がっていく。
 彼女の亜麻色の髪をそっと撫でてやるのが、俺にできる精一杯だった。
「! カインさん……?」
 彼女は驚いたように目を丸くした。
「お前の言う通り俺は馬鹿だからな、こういう時にどう言っていいのかわからん……」
 幼子をあやすようにポロムの頭を撫でながら俺は静かに言った。
「だが……そういう風に言ってもらえることを、素直に嬉しいと思う。……ありがとう」
 俺が最初に選んだのは、否定でも謝罪でもなくその答えだった。
 つたない言葉だが、正直な気持ちだった。
 見上げてくるのは、菫色の大きな瞳。
 彼女はそこではっと普段の顔に戻って、ぶんぶんと首を左右に振った。
「あっ! えっと、その、わっ、わたしの方こそ……バカって言っちゃいました……」
 先の威勢はどこへやら、情けない顔になって彼女は「すみません、すみません」と繰り返した。
「構わん。多分、俺は本当に馬鹿者だからな」
 今の今まで、自分がこの少女に『優しい』と思われているなどと知りもしなかった。
 言葉で言われても、酔っぱらいの戯言だと思って無視しようとしていた。
 そうやって自分ひとりで勝手に解釈しようとするから俺は馬鹿なのだ。
 俺はしょんぼりとうなだれた彼女の頭をもう一度撫でてやった。
 彼女の頬が赤くなったのは気のせいだろうか。
 すると、彼女は両手でばっと顔を覆った。
「どうした?」
「……今更自分の言ったことが恥ずかしくなってきましたー……」
 何を言うかと思えば。
 いきなり怒ったり、しおれたり、恥じらったり。
 何とも忙しいやつだ。
 だがそのよく動く表情は見ていて飽きない。
 気が付けば、晴れた日の海のようなとても穏やかな心が自分の中にあった。
 俺がもう二度と裏切るはずがない、か――。
 根拠などないくせにはっきりとそう言い切った彼女のその言葉に、俺はどうやら救われたらしい。
 ローザに対する炎にも似た激情とは全く違う、穏やかで心地よい木漏れ日のようなあたたかさを感じた。
「ポロム、ありがとう」
 俺は彼女をぎゅっと抱きしめた。
 それは妙な下心などではなく、自然と取った動作だった。そう、まるで命の恩人と抱擁を交わすような。
「ひゃっ!? カカカカインさん……!?」
「君のおかげで救われた」
 これほど落ち着いた気分はいったいいつ以来だろう。
 目を閉じると眠ってしまいそうな心地よさの中、俺はここ数年感じたこともない安らぎを感じていた。
 しかしここでポロムが硬直していることに気づいた俺は慌てて身を引いた。
「す、すまん。つい」
「いえっ! 知っていますよ握手みたいなものですよね特にトロイア等で一般的だと国際異文化論という本で読みましたもの!」
 釈明でもするかのようにやけに早口でポロムが言う。だが、このような触れ合いに不慣れなのはその紅潮した顔を見れば一目瞭然だ。
「あらためて、ミシディア式で礼を言わせてくれ」
 俺はポロムに左手を差し出した。
 利き手を差し出して握手をする行為、これは相手に信頼や感謝を伝えるミシディア式の礼だと聞いている。
「! ……カインさん」
 ポロムは驚いたように俺の顔を見た。そして、おずおずと両の手でふわりと俺の左手を握った。
「カインさんの手は、大きいですね」
「ポロムの手は、小さいな」
 お互い、自然と笑みがこぼれた。
 手のひらから伝わってくる自分のものではない体温が、胸の奥まで温めてくれるような気がした。

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